にっく・にっく・すき焼きとSランクの看護師長1
新宿地下水道ダンジョンの出口付近で、どうにか自生していた『光る苔』を10株むしり取った俺は、息を切らして冒険者ギルド新宿本部へと舞い戻っていた。
「雨宮さん! 依頼の品、ヒカリゴケ10株です!」
「あ、結城様! お帰りなさいませ! 無事に……いえ、早かったですね!?」
受付の雨宮さんが目を丸くしている。
俺がダンジョンに向かってからまだ二時間も経っていないのだから無理もない。だが、俺には急がねばならない理由(すき焼き)があった。
「ええ、まあ、運良く入り口近くに生えてたんで! じゃ、クエスト達成のサインお願いします!」
「は、はい! 滞りなく処理いたしますね。報酬の8,000円です。お疲れ様でした!」
「どうも! ではまた!」
俺は報酬をひったくるように受け取ると、脱兎のごとくギルドを飛び出した。
後ろから「あんなに急いで、やっぱり貧困でお腹を空かせているんじゃ……」という雨宮さんの悲痛な呟きが聞こえた気がしたが、まあ半分当たっているからいいだろう。
◆
「にっく〜、にっく〜、にっくっく〜♪」
ギルドを後にした俺は、新宿の高級デパ地下を、上機嫌な鼻歌を歌いながら練り歩いていた。
黄色いドドンキの袋の中には、鬼島教官にもらった魔石の換金代、30万円が唸っているのだ。
「フフフ、これだ。これぞ『特上・松阪牛のすき焼き用スライス』! 1パック1万円だと!? ええい!買おうじゃないか、2パック!」
『マスター、顔が完全に成金のおっさんです。よだれ拭いてください』
エク子が呆れ声を出すが、知ったことか。
さらに俺は、高級な長ネギ、焼き豆腐、しらたき、ブランド卵を購入。
そして忘れてはいけない、病室ですき焼きを作るための「カセットコンロ」と「すき焼き鍋」も日用品売り場でカゴに放り込んだ。
「よし、完璧だ。……おっ、こっちの鮮魚コーナーの『特上・大トロ入り握り寿司盛り合わせ』も美味そうだな。……ええい、買っちゃえ! 今日は豪遊だ!」
俺はすき焼きだけでは飽き足らず、1万円の特上寿司セットまでドドンキの袋(アイテムボックスなので傾いても崩れないし冷気も保てる)へと突っ込んだ。
無敵の肉体と、大金と、美味しいご飯。
人生の春がやってきたような足取りで、俺は美桜の待つ病院へと向かった。
◆
バンッ!
「美桜! お兄ちゃんが最高のすき焼きセットを持ってきたぞ!!」
俺は勢いよく個室のドアを開け放ち、高らかに宣言した。
ベッドの上で本を読んでいた美桜が、驚いてパチクリと瞬きをする。
「お兄ちゃん? すき焼きって……えっ、ここ病院だよ?」
「個室だから大丈夫だろ! ほら見ろ、この松阪牛! そしてこの新品のカセットコンロ! 今からここを最高級の料亭にしてやるからな!」
俺はウキウキとベッドサイドのテーブルにカセットコンロを設置し、ガスボンベをカチャリとセットした。
鍋に牛脂を引き、火をつけようとツマミに手を伸ばした、まさにその瞬間。
「……結城、誠さん?」
背後から、絶対零度のブリザードのような、地獄の底から響くような声がした。
背筋に強烈な悪寒が走る。
Aランクの蒼竜ですら感じなかったほどの、圧倒的なプレッシャー。
恐る恐る振り返ると、そこには。
腕組みをして仁王立ちし、夜叉のような笑みを浮かべたベテランの看護師長(推定50代)が立っていた。
「あ、いや……これはその、ですね」
「病院の! しかも病室内で! 火気を使用するとはどういう神経をしているんですかァァァッ!!」
ドゴォォォォンッ!!
という幻聴が聞こえるほどの、看護師長の大音量の怒声。
俺の防御力も、日本の医療現場の厳しいルールの前にはただの紙切れ同然だった。
「すき焼きの匂いがフロア中に充満したら他の患者さんの迷惑になるでしょうが! コンロ没収! 鍋没収! 結城さん、ちょっと廊下に出なさい!!」
「ひぃぃぃっ! すんません、すんませんッ!!」
俺は看護師長に耳を思い切り引っ張られ、ズルズルと廊下へと引きずり出されていった。
『ギャハハハハハハッ!! マスター、ダッサ! Sランクの看護師にボロ負けじゃないですか!!』
『火災報知器が作動してスプリンクラーが回る前に止められて、本当に運が良かったですね、マスター。
知力20の面目躍如といったところです』
爆笑するAI娘たち。
俺は廊下の隅で正座させられ、「いい大人が病院のルールも守れないでどうするんですか! 妹さんが恥ずかしい思いをしますよ!」と、約15分間にわたる地獄の説教を食らうことになったのである。




