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甘い話には裏がある


 新宿地下水道ダンジョン、第1階層の奥深く。

 ジメジメとしたコンクリートの通路を、俺は黄色いドドンキの袋を片手にトボトボと歩いていた。


「おかしいな……。クエストの依頼書には『ヒカリゴケは水路の壁面に群生している』って書いてあったのに、全然見つからねえぞ」


『マスターがさっきスライムに小石を投げた爆風で、この区画一帯の壁面ごとヒカリゴケが消し飛んだからですよ。自業自得です』


「うっ……。正論で殴るなよ、トラ子」

 ため息をつきながら歩いていると、前方からチャプチャプと足音を立てて近づいてくる二つの影があった。


 警戒して立ち止まると、薄暗い魔力式ランタンの光の中から現れたのは、黒い革鎧に身を包んだ二人の男だった。

 三十代半ばくらい、俺と同年代の歴戦の冒険者といった風貌だ。


「おや? こんな浅い階層で人に会うなんて珍しいな」

「おーい、そこのアンタ。もしかして道に迷ったのか?」


 男たちは俺のジャージ姿を見ると、一瞬だけ鋭い視線を交わしたが、すぐに人懐っこい笑みを浮かべて手を振ってきた。


「あ、どうも。Fランクの新人なんですけど、依頼のヒカリゴケが見つからなくて……」

「はははっ、なるほどな! 初心者あるあるだ。

ヒカリゴケなら、この奥の行き止まりに群生地があるぜ。俺たちが案内してやろうか?」


「本当ですか!? いやあ、助かります!」

 地獄の裏社会から生還した俺にとって、この冒険者ギルドという表の世界はなんて優しさに溢れているのだろう。

受付の雨宮さんといい、この先輩冒険者たちといい、良い人ばかりじゃないか。


『――マスター、警告します。対象の二名から明確な【敵意】と【殺意】を検出しました』

 だが、その心温まる空気に、トラ子の氷のような冷や水がぶっかけられた。


『彼らの心拍数は異常に高く、腰に帯びた短剣には即効性の神経毒が塗布されています。また、歩法は完全に背後を取るための暗殺術のそれです。ただちに距離を取り、迎撃態勢を』


「お前な、トラ子。なんでもかんでも疑ってかかるのは良くないぞ」

 俺は脳内のAIの警告を鼻で笑った。


「彼らは先輩として、迷子のルーキーを気遣ってくれてるだけだ。

第一、俺みたいなジャージ姿の貧乏人を襲ったところで、ヤツらに何のメリットがあるんだよ」


『それは……』

「いいか、人間ってのは支え合って生きてるんだ。俺は先輩を信じる」


 知力20のゴリラは、己の性善説(ただの能天気)を信じて疑わず、男たちの後をホイホイとついていった。


「いやあ、先輩たちみたいに親切な人がいてくれて本当に良かったです。俺、冒険者になったばかりで右も左もわからなくて」


「ハハッ、気にすんなよ。俺たちも昔は先輩に助けられたからな」

 談笑しながら歩くこと数分。

 やがて、水路の奥にある少し開けた空間――明らかに正規のルートから外れた、隠し部屋のような場所に出た。


 そこには、ギルドの刻印が不自然に塗りつぶされた巨大な木箱がいくつも積まれていた。


「ん? なんですか、あの箱の山。……おっ?」

 俺は、無造作に置かれていた一つの木箱の隙間から、紫色の禍々しい光が漏れているのに気づいた。


 男の一人が「チッ」と舌打ちをして慌てて布を被せようとしたが、俺の目は確かにそれを捉えていた。小瓶に入った、毒々しい紫色の液体。


「先輩、それは?」

「……ああ。見られちまったか。まあいい、もうすぐ案内も終わるしな」


 男はニヤリと笑い、その小瓶を一つ手に取って見せた。

「これはな、ただの薬さ。飲むと一時的に『魔力が増える薬』だよ」


 ――魔力が増える。

 その言葉を聞いた瞬間、俺の脳内に電撃が走った。


 RPGなどのゲームにおいて、『魔力(MP)』の最大値を決定するステータスは何か。

 ……そう、『知力(INT)』である。


 つまり、魔力が増える薬=頭が良くなる薬=俺の絶望的な【知力:20】を底上げしてくれる魔法のアイテム!!!


「マ、マジですか……ッ!!」

 俺はドドンキの袋を取り落とし、男の両肩をガシッと掴んだ。


「その薬を飲めば、知力が……頭が良くなるってことですよね!? 小難しい計算とか、書類仕事のミスとか、そういうのが一瞬で解決する、魔法の薬なんですね!?」


「えっ、あ、ああ? まあ、そういうふうにも言える……か?」

 男は俺の異常な食いつきっぷりにドン引きしながらも、適当に話を合わせた。


「売ってくださいッ!!」

 俺は土下座の勢いで頭を下げた。


「俺、昔から頭が悪くて……!

事務員時代も表計算ソフトのマクロが組めなくて怒られて、ステータス画面でも知力だけがずっと20で……!

その薬があれば、俺もスマートなインテリ冒険者になれるんですよね!?

い、いくらですか! さっきもらった30万、全部出しますから!!」


 俺がドドンキの袋から現金入りの封筒を取り出しそうになった、まさにその時である。


『――マスター!! 待って、お願いだからその知力20の単細胞をストップさせてくださいッ!!』


 エク子の悲鳴のようなツッコミが響き渡った。

「なんだよエク子! 邪魔すんな、これは俺が脳筋冒険者からインテリ冒険者に進化するための大事な――」


『違います! 目を覚ましてください! そんな飲むだけで簡単に頭が良くなる薬があるなら、マスターは35年間もバカなまま生きてないでしょうが!!』


 ……グサァッ。

 エク子のど直球な言葉が、俺の胸に深々と突き刺さった。


『トラ子ちゃん! マスターに論理的な現実を!!』

『はい。マスター、よく考えてください。もしそれが本当に知力を劇的に上げる薬なら、世界中の学者や政治家がこぞって買い占めているはずです。

こんな下水臭いダンジョンの隅で、コソコソと木箱に隠して持ち歩く理由がありません』


「……あ」

『さらに言えば、その紫色の液体からは強烈な【精神破壊バッドステータス】の成分が検出されています。

それは知力を上げるどころか、脳神経を焼き切って一時的な魔力の暴走を引き起こす、裏社会の違法薬物――『魔力増強剤ブースト』です。

飲めば確実に、マスターの知力は20からゼロ(廃人)になります』


 ゼロ、ゼロ、ゼロ………。

 それは、もはや人間としての尊厳の死を意味していた。


「…………」

 俺はゆっくりと、男の肩から手を離した。

 期待でキラキラしていた俺の目は、一瞬にして「月曜の朝の満員電車に乗るサラリーマン」のような、死んだ魚の目へと戻っていた。


「……なんだよ。結局、楽して賢くなる道なんて、この世にはねえってことかよ」

 俺は深く、この世のすべての理不尽を呪うようなため息をついた。


「すいません、やっぱりいらないです。

俺、地道にドリルとか参考書を買って勉強します。

……お騒がせしました、帰ります」


 俺が現金の封筒をドドンキの袋にしまい込み、背を向けて歩き出そうとした瞬間。


 チャキッ、と。

 背後で、冷たい金属音が鳴った。

「……おいおい。散々騒いで中身を見た挙句、そのまま帰れると思ってんのか?」


 振り返ると、先ほどまで「親切な先輩」の顔をしていた二人の男が、殺意に満ちた冷酷な顔で、毒の塗られたダガーを俺に向けていた。


「ここは俺たち密売組織の隠し倉庫だ。こんな浅層に迷い込んだのが運の尽きだったな。

……商品を見られた以上、テメェにはここで消えてもらう。残念だがスライムの餌にしてやるよ!」


 ダガーから滴る紫色の毒液が、コンクリートの床をジュッと溶かした。

 トラ子の警告通りだった。彼らは最初から、俺を安全な場所で始末するために、この行き止まりへと誘導したのだ。


「……そうか。アンタら、最初から俺を殺すつもりで……」

 俺は、黄色いドドンキの袋をゆっくりと右手に持ち直した。


 失望、そして静かな怒り。

 知力20のバカなりに、先輩冒険者という存在を心から信じようとした俺の純情を、こいつらは土足で踏みにじったのだ。


「悪いが、俺は今日はすき焼き食うって決めてるんだ。……こんな下水で、チンピラの相手をしてる暇はねえ」


 ジャージが、微かに膨張する筋肉によってミシミシと音を立てる。

 圧倒的な質量と暴力が、薄暗い地下水道の奥深くで、静かに牙を剥き始めていた。



現在の所持金:401,420円

知力:20(永遠に変動なし)

NEXT :違法薬物の密売組織との戦闘へ


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