はじめてのおつかい(依頼)
冒険者ギルド新宿本部の1階ロビー。
壁一面に張り出された無数の依頼書を前に、俺はひどく緊張して立ち尽くしていた。
『マスター、ガチガチですね。ただのお使いクエストを選ぶだけですよ?』
「うるせえ。俺にとっては、自分の意志で『冒険者として』仕事を受けるのはこれが初めてなんだよ」
脳内で茶化すエク子に言い返しつつ、俺はごくりと唾を呑み込んだ。
事務員時代は、冒険者たちが持ち帰った依頼書の事後処理や、不備のある書類にハンコを押して突き返すのが仕事だった。
いざ自分が依頼を「選ぶ」側になると、勝手が違って妙なプレッシャーを感じる。
「ええと、どれがいいかな……。ん?」
俺は一枚の依頼書を手に取った。
無意識のうちに、事務員の職業病が顔を出す。
「……ダメだこの依頼書。フォントのサイズがバラバラで読みづらいし、依頼主のサインのインクが掠れてる。ギルドの規定フォーマットから行間が3ミリずれてるぞ。誰だこれ受理した受付は……」
「あ、あの! 結城様、何か依頼書の不備でしょうか!?」
ブツブツと文句を言っていると、背後から慌てたような声がした。
振り返ると、受付嬢の雨宮さんがバインダーを抱えてオロオロと立っていた。
「い、いや! 独り言です! すんません、なんでもないです!」
「そ、そうですか。結城様、初めての依頼受注ですよね。もしよろしければ、私が初心者向けの安全なクエストを見繕いましょうか?」
雨宮さんが親身になって聞いてくれる。彼女の中では、俺は完全に「才能ゼロなのに冒険者を夢見る可哀想な35歳」として定着しているらしい。
「あ、ありがとうございます。じゃあ、これで」
俺が慌てて適当な依頼書を一枚引き抜いて渡すと、雨宮さんの顔がサッと青ざめた。
「ゆ、結城様……。これは『Aランク指定・狂暴化ミノタウロスの群れ討伐』です。受注出来ませんし、仮にFランクの方が受けたら、ダンジョン入って開始3秒でミンチにされてしまいます……!」
「あ、間違えました! こっちです!」
ドタバタとしたやり取りの末、ようやく俺は身の丈に合った(?)依頼を受注することができた。
【依頼内容】新宿地下水道ダンジョン(第1階層)にて、光る苔を10株採取せよ。
【報酬】8,000円
「これなら、出現する魔物もFランクのスライムや大ネズミ程度ですから、結城様でも逃げ回りながら安全に採取できるはずです。気をつけて行ってきてくださいね!」
「はい、ありがとうございます! 行ってきます!」
雨宮さんの温かい声援(と同情の入り混じった視線)を背に受け、俺は黄色いドドンキの袋を握りしめてギルドを後にした。
◆
新宿地下水道ダンジョン。
旧時代のインフラ設備と迷宮が融合した、初心者向けの浅層ダンジョンだ。ジメジメとした湿気と、微かな下水の臭いが鼻を突く。
『――マスター。背後から尾行がついています』
薄暗い通路を歩き始めた直後、トラ子の冷徹な声が脳内に響いた。
「尾行……? 魔物か?」
『いえ、人間です。高度な【隠密】スキルを使用していますが、マスターの索敵範囲では丸見えです。
……おそらく、ギルド本部の腕利きでしょう。
昨日のオークの一件で、マスターの実力を疑って監視をつけてきたものと推測されます』
「マジかよ。ギルドマスターの手回し早すぎだろ」
俺は内心で舌打ちをした。
ここでバケモノじみた力を見せつければ、即座にギルド本部に拘束されるか、国に目をつけられる。
「仕方ない。トラ子、エク子。俺は今日、徹底的に『才能ゼロのひ弱なFランク新人』を演じ切るぞ」
『了解です、マスター! 迫真の演技、期待してます!』
俺が気合を入れた直後。
通路の角から、ドロドロとした青い粘液の塊――Fランク魔物『ブルー・スライム』が這い出てきた。
(よし、見せ場だ!)
「う、うわぁぁぁッ! で、出たな魔物ォォォッ!!」
俺はわざとらしく裏返った声を上げ、腰を抜かしたような不格好な体勢で後ずさった。
そして、手元にあった小石を拾い上げ、ブルブルと震える手でスライムに向かって投げつける。
(出力0.0001%……! いや、もっとだ! 赤ちゃんがボールを転がすくらいの力で……ッ!)
――ピュッ。
俺の指先から放たれた小石は、空気を切り裂く鋭い音を立ててスライムに直撃した。
ドゴォォォォォォォォォォォォンッ!!!
「…………あ」
着弾した瞬間、スライムの身体は衝撃波と共に跡形もなく消滅。
それどころか、小石はスライムの背後にあった地下水道の分厚いコンクリート壁を深々と抉り抜き、直径2メートルほどのクレーターを作り出していた。
水路の水が爆風で真っ二つに割れ、遅れてパラパラと瓦礫が落ちてくる。
『……マスター。出力調整が絶望的に下手です』
「ち、違う! 小石が思ったより軽くて、指先の弾きに勢いが乗っちゃって……!」
背後の暗闇の奥深くで、尾行していたはずのギルドの調査員が「ヒッ……!?」と短い悲鳴を上げて腰を抜かす気配が、俺の知覚にはっきりと伝わってきた。
……演技、完全に失敗である。
「も、もういい。さっさとヒカリゴケを集めて帰ろう……」
俺は落ち込みながら、ドドンキの袋をぶら下げて地下水道の奥へと進んでいった。
◆
その頃。
結城誠がヒカリゴケを探して歩き回っている場所から、さらに下層へ続く立ち入り禁止エリアの奥深く。
「……おい。上の階層で、妙な爆発音がしなかったか?」
「気にするな。どうせ新米が魔法の暴発でも起こしたんだろ。こんなFランクのゴミ捨て場ダンジョンに、まともな冒険者が来るわけねえ」
淀んだ水路のほとりに、黒いローブで顔を隠した数人の男たちが集まっていた。
彼らの足元には、ギルドの刻印が偽造された巨大な木箱がいくつも積まれている。
箱の隙間からは、禍々しい紫色の魔力光が漏れ出していた。
「今夜の取引相手は、海外の裏組織だ。
この『魔力増強剤』を売り捌けば、俺たちは一生遊んで暮らせる金が手に入る」
「ああ。ギルドの目を盗んで、こんな浅層ダンジョンを密輸の隠し倉庫に使ったリーダーの頭脳の勝利だな」
彼らは、冒険者の裏で暗躍する犯罪組織の末端――違法な魔法薬の密売人たちだった。
使用者の精神を破壊する代わりに一時的な超パワーを引き出す禁忌の薬。
それを、誰も寄り付かない初心者ダンジョンに隠匿していたのだ。
その時。
見張りをしていた一人の男が、手に持っていた探知魔道具を見て舌打ちをした。
「チッ。リーダー、マズいです。上の階層から、こっちの隠しルートに向かって降りてくるバカがいます」
「なんだと? ギルドの査察官か!?」
「いえ、魔力反応はゼロです。生体反応からして、ただのFランクの新人ですね。迷い込んだんでしょう」
「……チッ。運の悪いガキだ」
リーダーと呼ばれた男は、ローブの奥で冷酷な目を光らせ、腰から毒の塗られたダガーを引き抜いた。
「取引の前に嗅ぎ回られては厄介だ。……おい、お前ら。その迷子のFランクを始末してこい。死体は適当にスライムの餌場にでも放り込んでおけ」
「へへっ、了解です。ちょっくら新米の悲鳴を聞いてきますよ」
下劣な笑いを浮かべ、二人の男がダガーを手にして闇の中へと消えていく。
平和なはじめてのおつかいは、残念ながらすでに終わっていた。
Fランクの依頼の裏で蠢く、犯罪の暗い影。
彼らはまだ知らない。
自分たちが「始末」しようとしている迷子の新人が、竜すら素手で殴り殺す、常識外れのバケモノ(35歳)であることを。




