蒼竜に一撃を
『――凍レ。我ガ怒リト共ニ』
蒼竜の六枚の翼が、天を覆い尽くすように大きく広げられた。
直後、第20階層の空気が甲高い悲鳴を上げる。
ドーム状の空間全体が蒼白い光に包まれ、マイナス数十度だった気温が、物理法則の限界点である「絶対零度」へと向かって急激に暴落していく。
「マスター! 対象が固有結界『絶対零度領域』を展開!
大気中の魔力がすべて致死の氷刃へと変質しています!」
「マスター、息をするだけで肺が凍りますよ!」
トラ子とエク子の切迫した声が脳内に響く中、俺の視界は吹き荒れる白銀の暴風によって完全に奪われた。
空間そのものが牙を剥いて殺しにくる領域。
ジャージの露出部分から、皮膚が硬質な音を立てて凍りつき、壊死していくのがわかる。
『滅ビヨ、羽虫』
蒼竜の黄金の瞳が閃いた瞬間。
虚空から、全長十メートルを超える巨大な「氷の槍」が数百本、まるでミサイルの雨のように俺に向かって射出された。
空気を切り裂く鋭い風切り音が、幾重にも重なって殺到する。
「来るぞ……ッ!」
足元の氷晶を粉砕し、俺は弾丸のような速度で駆け出した。
絶え間ない破壊音が背後から追いすがる。
コンマ数秒前まで俺が走っていた軌跡を、無数の氷槍が次々と串刺しにし、ドームの床を抉り取っていく。
「トラ子! 回避ルート!」
「演算中! 右前方、30度! 氷柱を蹴って跳躍、空中で身を捻ってください!」
トラ子の指示通り、俺は眼前に迫る巨大な氷柱の壁を足場にして駆け上がり、天井に向かって大跳躍した。
眼下を、数十本の氷槍が凄まじい風圧と共に通り過ぎていく。
だが、回避行動を取り続けるだけでは、いずれこの極寒の領域に体力を削り殺される。
現に、俺の細胞は超低温によって次々と破壊され、筋肉の動きが劇的に鈍り始めていた。
「マスター! このままではジリ貧です! 急激なレベルアップやステータス上昇は見込めません。今は攻撃を耐え凌ぐ『回復』と、ヤツの隙を突く『戦術』にのみリソースを割いてください!」
トラ子の冷静な判断が、俺の生存本能を叩き起こす。
「わかってる! 力押しじゃ届かねえなら、泥臭く繋ぐまでだ!」
俺は空中でアイテムボックス(ドドンキの袋)からプロテインを取り出し、一気に喉へと流し込んだ。
「オラァァァァァッ!!」
致死の冷気によって破壊された細胞が、【超速再生】のスキルとプロテインの栄養補給によって、壊死した端から強制的に修復されていく。
凍結と再生。
破壊と回復の果てしないイタチごっこ。
全身から血の混じった高熱の蒸気を噴き出しながら、俺は空中から氷の床へと着地し、再び音速のステップを踏んだ。
『――小賢シイ!』
俺の異常な回復力とゴキブリのような生存能力に業を煮やした蒼竜が、今度はその巨大な顎を開き、直接的な極大ブレスの姿勢に入った。
「マスター! ヤツの最大の攻撃が来ます!」
放たれたのは、蒼鳴の霊峰そのものを貫通せんばかりの、絶対零度の極大レーザー。
轟音すら凍りつくような、静寂にして圧倒的な暴力の奔流だった。
「逃げ場がありません!」
エク子が悲鳴を上げるが、俺の目は、崩壊していくドームの「地形」を正確に捉えていた。
トラ子の演算が弾き出した、唯一の生存ルート(戦術)。
「逃げ場がないなら……作るまでだッ!」
俺は黄色い袋を右手に強く握りしめ、極大ブレスが迫る真正面――ではなく、俺の頭上にそびえ立っていた「巨大な氷の柱」の根元に向かって、跳躍した。
「砕けろォォォッ!!」
俺の拳が氷柱の根元を撃ち抜く。
数千トンの質量を持つ巨大な氷の塊が、重力に従ってドームの天井から剥がれ落ち、俺と蒼竜の極大ブレスの「中間」へと落下してきた。
直後、極大ブレスが氷柱と激突。
鼓膜を破るほどの衝撃波が吹き荒れ、氷柱は数秒で蒸発したが、その「数秒の防壁」が、俺にとっての絶対的な死角を生み出した。
『……ナニ!?』
ブレスの光が収束した直後。
蒼竜の視界から、俺の姿が完全に消失した。
「今だッ!!」
俺は、蒸発する氷柱の裏側でギリギリまでタイミングを計り、爆発的な脚力で一気に踏み込んでいた。
音の壁が弾け飛ぶ衝撃と共に、俺は蒼竜の懐へと肉薄する。
ヤツが驚愕に目を見開くよりも早く、俺の身体は蒼竜の長大な首を駆け上がり、無防備な顔面の側面へと到達していた。
「てめえのブレス、確かに冷たかったぜ。……だがな」
俺は空中で腰を捻り、筋力を右腕に集中させる。
純粋な己の拳(バグの鉄拳)だけを限界まで引き絞った。
「俺の筋肉はもっと熱いんだよッ!!」
戦術と回復で繋いだ一撃。
そのすべてを乗せた渾身の右フックが、蒼竜の顔面、黄金の瞳のすぐ横にある強固な鱗へと、容赦なく叩き込まれた。
蒼竜の鱗がひび割れ、圧倒的な質量が激突する重低音がドームに響き渡る。
蒼竜の顔面が、理不尽な暴力によって真横へと大きく弾き飛ばされた。




