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挑発、憤怒


 神話の竜の巨体が、俺の渾身の右フックを受けて大きくよろめいた。


 無敵を誇る蒼い鱗に走った亀裂。

 そこから漏れ出す高濃度の魔力が、ヤツの受けたダメージの深さを如実に物語っている。


 だが、追撃を掛けようと踏み込んだ俺の眼前に、猛烈な吹雪が巻き起こった。


 蒼竜が六枚の巨大な翼を広げ、ドームの天井付近――遥か上空へと一気に飛び立ったのだ。


『……忌々シイ、物理ノ獣メガ。我ガ神体ニ傷ヲ負ワセタ事、万死ニ値スル』

「逃げたか! トラ子、ヤツの高度は!」


「……上空約三百メートル。ヤツの周囲に展開された風圧バリアに阻まれて届かない領域です。

 対象は肉弾戦の不利を悟り、完全な遠距離殲滅戦法に切り替えたようです」


 空を舞う蒼竜から、雨あられのように魔法攻撃が降り注ぎ始めた。

 絶対零度の氷槍、空間を凍らせる魔力のレーザー、そして広範囲を押し潰す高密度の氷塊。


 俺は氷の大地を駆け回りながら、迫り来る死の雨をギリギリで躱し続ける。

「クソッ、落ちてきやがれ!」


 俺は走りながら、アイテムボックスから黄色いドドンキの袋(中身は重いプロテイン缶)を取り出し、空中の蒼竜に向けて全力で投擲した。


 飛竜フロスト・ワイバーンを撃墜した、俺の絶対破れない対空ミサイル。

 だが――。


『無駄ダ』

 蒼竜が翼を一度羽ばたかせると、そこから発生した猛烈な竜巻が、黄色い袋の軌道をごく自然に逸らした。


 袋は竜の遥か下を通り過ぎ、壁に激突して虚しく手元に戻ってくる。

 飛竜の時とは次元が違う。

 相手はAランク上位のエリアボスだ。単純な投擲など、ヤツの莫大な魔力風の前には届きすらしない。


「マスター! 躱しきれません!」

 背後で炸裂した氷塊の破片が俺の背中を切り裂き、鮮血が舞う。


 【超速再生】で瞬時に傷は塞がるが、回避と再生を繰り返すことで、俺の体力と魔力は確実に削られていく。


 近づけない。殴れない。

 圧倒的な高度と弾幕による、完全な「詰み」の盤面。

 息を荒らげる俺の脳裏に、焦りが募る。


 このまま逃げ回っていれば、いずれ俺の体力が底を突く。

 それに美桜の命のタイムリミットも目前に迫っている。

 どうにかして、ヤツを地上に引きずり下ろさなければならない。


 だが、どうやって?

 知力20の頭をフル回転させ、上空で優雅に羽ばたく巨大な竜を見上げる。


 ヤツの黄金の瞳には、地べたを這いずり回る俺への明確な「見下し」と、絶対的な「傲慢さ」が宿っていた。


 ……傲慢。プライド。


 そうだ。ヤツは「竜」だ。

 俺のような羽虫に顔面を殴り飛ばされ、その暴力にビビって空に逃げたという事実を、ヤツ自身のプライドが許容できるはずがない。


「……エク子、トラ子。ちょっとヤツの逆鱗、撫でてくるわ」

「マスター? 何を……」


 俺は足を止め、氷の雨が降り注ぐ中で、上空の蒼竜に向かって真っ直ぐに指を突きつけた。

「おい、デカブツ!!」


 俺の怒声が、魔力の暴風を貫いてドームに響き渡る。

「一発殴られたくらいで、ビビって空に逃げんのか!? お前、それでも神話の竜かよ!」


『……ナニ?』

 空中の攻撃が、一瞬だけピタリと止んだ。

 俺は口角を限界まで吊り上げ、ありったけの嘲笑を顔に貼り付けて叫んだ。


「地上じゃ俺にボコボコにされるからって、安全な空からチマチマ魔法撃つしかできねえのか? 立派な羽が生えてるくせに、やってることはただの臆病なトカゲじゃねえか! 神話のバケモノが聞いて呆れるぜ!」


 静寂。

 絶対零度の空間が、さらに一段階、別の意味で凍りついた。


『……貴様、今、我ヲ何ト呼ンダ』


 空気を震わせる声。それは先ほどまでの威厳あるテレパシーではなく、怒りで沸騰し、怨嗟に満ちた地鳴りのような響きだった。


「逃げ腰のビビリトカゲって言ってんだよ! 悔しかったら降りてこい! それとも、俺の拳が怖くてそこで泣いてるのか!?」


『――許サン。許サンゾォォォォォォォォッ、矮小ナル羽虫メガァァァァッ!!!』


 ドームの天井を吹き飛ばさんばかりの、凄まじい絶叫。

 神話の竜のプライドが、知力20の脳筋による安い挑発によって、完全に粉々に砕け散った瞬間だった。


 理性を失い、戦術的な有利(空からの遠距離攻撃)をかなぐり捨てた蒼竜が、六枚の翼を畳み、一直線に俺を目指して急降下してくる。


「マスター! ヤツが来ます! 超質量による特攻です!」

「しめしめ、見事に釣られましたねマスター! 挑発とは、性格悪いですね!」


 脳内のAIたちの声を聞きながら、俺は両拳を強く握り込み、極限まで魔力を練り上げた。

 これだ。これでいい。


 バケモノ相手の知恵比べなんて俺の柄じゃない。バカな俺には、真正面からの殴り合いしかできないのだから。


「さあ、地上戦(第3ラウンド)の開始だ。……お前の一番の自慢の牙、真っ向からへし折ってやるよ」


 鼓膜を破る轟音と共に、蒼竜の巨体が氷の大地に激突する。


 大地が砕け、舞い散る氷晶の煙の中で、俺と神話の竜は再び、互いの拳と牙が届く距離で対峙した。

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