閑話:毒蛇の暗躍と、牙を剥く狂犬
バトルパートが思いつかない‥。
と言うことで、閑話入れます。
すいません。
誠がAランクダンジョン『蒼鳴の霊峰』へ足を踏み入れた頃。
地上、新宿の裏社会では、水面下でどす黒い陰謀が蠢き始めていた。
◆
「……忌々しい。あの小娘、最近調子に乗りすぎだ」
六本木にある高級ラウンジのVIPルーム。
紫煙をくゆらせながら、革張りのソファに深く腰掛けて苛立ちを露わにしているのは、『黒犬』の幹部であり、まどかの異母兄にあたる男――龍牙だった。
本来、次期ボスの座は龍牙の指定席のはずだった。
だが最近、まどかの派閥が異様なほどの急成長を遂げている。
政治家との太いパイプを構築し、さらにはBランク最上位のダンジョンを単独で攻略にするなど、異例の功績を立て続けに上げているのだ。
組長である宗一朗も、まどかの手腕を高く評価し始めている。このままでは、自分の立場が危うい。
「何としてもまどかを蹴落とさねばならん。……だが、あの『化け物』がいるせいで手が出せねえ」
龍牙は舌打ちをし、グラスの氷を乱暴に鳴らした。
結城誠。
まどかがどこからか拾ってきた、得体の知れない専属護衛。
一見すればただの冴えない男だが、龍牙が差し向けた数十人のヒットマンを素手で返り討ちにし、爆弾テロすらも無傷で凌ぎ切るという、常軌を逸した暴力の化身だ。
あんなバグのような存在が横に立っている限り、物理的な排除は不可能に近い。
「お悩みですか、龍牙様」
その時、VIPルームの重厚な扉が開き、一人の男が音もなく入ってきた。
銀縁眼鏡をかけ、常に柔和な笑みを浮かべる男――左京玄弥である。
「……左京。てめえ、なんの用だ。お前は親父の懐刀だろうが。俺の派閥にちょろちょろ顔を出すんじゃねえ」
「おや、冷たいですね。私はただ、龍牙様にとって『極上の有益な情報』をお持ちしただけなのですが」
左京は慇懃無礼に一礼し、龍牙の向かいの席に座った。
「…有益な情報、だと?」
「ええ。龍牙様が最も忌み嫌う、あの結城誠についてです。……実は彼、現在『新宿にはおりません』」
左京の言葉に、龍牙は眉をひそめた。
「不在? どこへ行った」
「Aランクダンジョンですよ。
どういう伝手を使ったのかは知りませんが、特区のゲートを抜け、たった一人で『蒼竜』の討伐に向かいました。……つまり、現在まどかお嬢様は、あの絶対の盾を失った『丸腰』の状態だということです」
「なっ……Aランクダンジョンに一人だと!? 馬鹿かアイツは、自殺志願者か!」
龍牙は驚愕しつつも、すぐに自身の情報屋に連絡を入れ、裏取りを行った。
数分後。情報屋からの返答は「確かに結城誠はAランクゲートへ姿を消し、まどかの護衛には就いていない」というものだった。
事実だ。あの化け物は今、地上にいない。
「……ククッ、ハハハハッ! 傑作だ! あの馬鹿、自ら死地に赴きやがったか!」
龍牙の顔に、凶悪な歓喜の笑みが浮かぶ。
邪魔な護衛がいない今なら、まどかをどうとでもできる。
だが、左京は眼鏡の奥の瞳を妖しく光らせ、さらに甘い毒を囁いた。
「龍牙様。まどか様をただ排除するだけでは、少々勿体ないとは思いませんか?」
「あ? どういう意味だ」
「万が一……億が一ですが、あの化け物が生きてAランクダンジョンから帰還した場合の話です。彼の手には、国家予算すら凌駕する『Aランクの素材』が握られていることになります」
龍牙の息が止まった。
Aランク素材。
それは、裏社会はおろか、世界のパワーバランスすら変えかねない超絶的なシノギだ。
「結城誠は、まどか様に異常なまでの忠誠を誓っています。ならば……彼が帰還した時、我々がまどか様を『保護(誘拐)』していればどうなるか」
「……なるほど。妹の命と引き換えに、Aランクの素材をすべて俺に差し出せと脅すわけか」
「その通りです。素材を奪い取った後で、疲弊しきった結城誠を完全武装した部隊で蜂の巣にすればいい。そうすれば、莫大な富も、次期組長の座も、すべては龍牙様のものです」
完璧な計画だった。
龍牙の脳内で、欲望がどす黒く膨れ上がっていく。
しかし左京がなぜ自分にこんな情報を流したのか、その真意(左京自身も結城誠を恐れ、龍牙を捨て駒にして確実な排除を狙っていること)に気づくこともなく、狂犬は毒蛇の入れ知恵に完全に乗りかかった。
「……手筈を整えろ。まどかを狩るぞ」
◆
同じ頃。新宿の『黒犬』事務所。
「……遅いわね、誠。もう何時間経ったのかしら」
まどかは、デスクの上の時計を不安げに見つめていた。
結城誠がAランクダンジョンへ出発してから、まだ半日しか経っていない。
頭ではわかっているのに、彼が横にいないというだけで、心細さが異常なまでに募っていた。
「ダメね、私。いつの間にか、あいつの筋肉に依存しきってる」
まどかは自嘲気味に笑い、コーヒーを口に運んだ。
誠が帰還するまでの数日間、まどかは一切外に出ず、このセキュリティの強固な事務所に引きこもるつもりだった。
彼不在の間に襲撃を受ければ、ひとたまりもないことは自分が一番よく理解しているからだ。
だが、運命は非情だった。
デスクの上の内線電話が鳴り響く。
『――まどかお嬢様。龍牙様から、至急お会いしたいとの通達が来ております。本家の定例会議に関する、重要な案件だと』
「龍牙から……?」
まどかの顔が険しくなる。
このタイミングで、最も敵対している異母兄からの呼び出し。
十中八九、罠だ。誠が不在であるという情報が漏れている可能性が高い。
だが、この世界において「本家の業務」を理由にした上位の人間からの呼び出しを、正当な理由なく断ることは許されない。
ここで逃げれば、それこそ組織れの反逆とみなされ、大義名分を与えてしまう。
「……わかったわ。向かうと伝えてちょうだい」
まどかはため息をつき、立ち上がった。
誠はいないが、彼女にだって直属の精鋭護衛部隊がいる。
重武装した彼らを5人引き連れていけば、いくら龍牙でも本家の目がある場所で露骨な真似はできないはずだ。
「誠が帰ってくるまで、なんとか時間を稼ぐしかないわね」
まどかは護衛たちを引き連れ、指定された本家直轄の料亭へと向かった。
◆
料亭の奥に位置する、広々とした和室。
上座には龍牙がふんぞり返り、酒を飲んでいた。
「遅かったじゃねえか、まどか。可愛い妹の顔が見たくて、待ちわびたぜ」
「白々しい挨拶はいいわ、龍牙兄さん。本家の重要な案件って何? 手短に済ませてちょうだい」
まどかは龍牙と距離を取り、直属の護衛5人を背後に立たせたまま冷たく言い放った。
「ツれないねぇ。……お前、最近調子に乗ってるらしいな。親父に気に入られて、シノギも順調。さぞ気分がいいだろう」
「……何が言いたいの?」
「だがな、お前のその威勢も、飼い犬の『化け物』がいてこそのものだろ? その犬が今、ここにいねえってのが……致命的な隙だッ!」
龍牙がグラスを床に叩きつけた瞬間。
まどかは即座に背後の護衛たちに指示を出した。
「構えなさい! 龍牙が動いたら撃っていいわ!」
チャカッ、と。
銃の撃鉄が起こされる冷たい音が和室に響き渡る。
だが、まどかの顔からスッと血の気が引く。
護衛たちが抜いた銃口は、龍牙ではなく――すべて、主である『まどかの背中』に向けられていたのだ。
「……え?」
「動かないでください、お嬢様。少しでも抵抗すれば、脚を撃ちます」
長年まどかに仕えてきたはずの護衛のリーダーが、氷のような声で告げる。
「どういう……こと? あなたたち、私を裏切ったの!?」
「ハハハッ! 傑作だろう、まどか! てめえの部下はな、左京の野郎がとっくの昔に『倍の金』で買収済みだったんだよ!」
龍牙の嘲笑と同時に、襖が開き、左京玄弥が静かに姿を現した。
「…お久しぶりです、まどか様。ビジネスの世界では、忠誠心よりも現金のほうが重い。……悲しい現実ですね」
「左京……ッ! あなた、親父様の懐刀のくせに、龍牙と組んだの!?」
「誤解なさらないでください。私は常に、組織の最大の利益を追求しているだけです。
……結城誠が持ち帰るであろうAランク素材。あれは、あなたが独占するには少々荷が重すぎます」
まどかはギリッと唇を噛み締めた。
完全に嵌められた。
誠の不在を狙い澄まし、内側から切り崩すという、左京の狡猾極まりない毒牙。
「さあ、おとなしく縛られろ、まどか。お前には、あの化け物が帰ってきた時の『極上の人質』になってもらうからな」
龍牙の合図で、裏切った護衛たちがまどかに手錠をかけ、乱暴に拘束する。
腕を後ろ手に縛られながら、まどかは冷たい畳の上に膝をつかされた。
(……誠。ごめんなさい、私の油断だったわ……)
絶体絶命の窮地。
裏社会の狂犬と毒蛇の手によって、まどかは完全に囚われの身となった。
冷たい地下室へと連行されながら、彼女はただ一人、神話の領域で戦っているはずの不器用な男の顔を思い浮かべていた。
特級エリクサーを手に入れ、結城誠が帰還するまで後数日はかかる。
地上と地下、二つの死線が、最悪の形で交わろうとしていた。




