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折れない令嬢と、果てなき蒼の迷宮

うむむ。

後で直すかもです。


 薄暗く、埃っぽい空気が漂う地下室。

 コンクリート剥き出しの冷たい床の上で、まどかは意識を取り戻した。


「……っ」

 身体を動かそうとしたが、手首と足首は太い結束バンドで鉄パイプに厳重に縛り付けられていた。身動き一つまともに取れない。


 周囲を見渡すと、窓一つない殺風景な倉庫のような空間だった。

 鉄扉の向こうからは、見張りに立っているであろう裏切り者の護衛たちの話し声が微かに聞こえてくる。


「……完全に、やられたわね」

 まどかは自嘲気味に呟き、ギリッと唇を噛み締めた。


 スマートフォンはもちろん、ドレスの裏に仕込んでいた護身用の小型ナイフや発信機すらも、すべて入念に奪い取られていた。


 左京の抜かりのなさが窺える。

(どうにかして、地上の味方に助けを求めないと……)

 まどかの頭脳が高速で回転させる。


 黒犬の内部はすでに龍牙と左京によって掌握されつつあるだろう。

 頼れるとすれば、彼女が独自に築き上げた政財界のパイプか、前に誠の身辺調査をした時に知った誠の親友であるSランク冒険者の剣崎だ。


 彼らに現状を伝えることさえできれば、あるいは龍牙たちを牽制し、状況をひっくり返すことができるかもしれない。


 だが、伝える術が何一つない。

 この地下室がどこにあるのかもわからず、外部との通信手段は完全に絶たれている。

 仮に大声を出したところで、見張りに暴行を受けるのがオチだ。

(……誠が帰ってきたら、あいつは必ず私を助けようとして、Aランクの素材をすべて龍牙に渡してしまう。あんなに妹さんのために命を懸けているのに、私のせいで……!)


 絶望が、冷たい地下室の闇と共にまどかの心を侵食しようとする。

 結城誠という絶対の盾に守られ、いつの間にか彼に依存しきっていた自分の甘さが憎かった。


「……ううん、まだよ」

 まどかは顔を上げ、暗闇の中で鋭く目を細めた。

 極道の家に生まれ、常に命のやり取りを間近で見てきた女の意地だ。


 ここで折れて泣き言を言うようなら、初めから組織のトップなど目指してはいない。

(左京は、誠の持つ素材が目当て。なら、誠がAランクダンジョンから帰還するまでは、私を殺すことは絶対にない。……時間はまだあるわ)


 まどかは静かに呼吸を整え、鉄扉の向こうの足音や、見張りの交代のタイミングを注意深く耳で拾い始めた。


 どんな強固な牢獄にも、人間が管理している以上、必ず綻びは生じる。


 たった一度のチャンス。

 それを見逃さず、必ず外部へ情報を流す。美桜の命を懸けて戦っているあのバカな男の努力を、こんな小悪党どもに横取りさせるわけにはいかないのだ。


 まどかは決して諦めることなく、反撃の牙を研ぎ澄ませながら、暗闇の中で静かにその時を待ち続けた。


 ◆


 地上での陰謀など知る由もない新宿の地下深く。

 Aランクダンジョン『蒼鳴の霊峰』の中腹にて、結城誠はこれまでにない苦戦を強いられていた。


「オラァァァァッ!!」

 轟音と共に、俺の右ストレートが巨大な四つ足の魔物――『ブリザード・フェンリル』の頭部を粉砕する。


 光の粒子となって消えていく魔物を見届け、俺はドサリと氷の大地に尻餅をついた。

「ハァッ……ハァッ……! クソッ、硬てえ……! どいつもこいつも、タフすぎんだろ……ッ!」


 全身の筋肉が悲鳴を上げ、1980円のジャージはすでに原型を留めないほどボロボロになっていた。

(魔法の黄色い袋から予備を出して着替えても、数時間の戦闘ですぐに破けてしまうのだ)。


 吐き出す息は白を通り越して凍りつき、圧倒的な【耐久】があっても疲労までは誤魔化せない。


「マスター、バイタル低下しています! プロテインの摂取を推奨します!」

「ああ……わかってる」


 俺は黄色いドドンキの袋からプロテインを取り出し、水で流し込むように飲んだ。

 Aランクダンジョン。

 それは、俺の想像を遥かに超える「果てなき絶望の迷宮」だった。


 敵の強さはもちろんだが、何よりも俺を苦しめていたのは、その「異常なまでのスケール」だ。

 Bランク以下のダンジョンであれば、せいぜい5階層から8階層程度でボス部屋に到達できていた。

 だが、この『蒼鳴の霊峰』は次元が違った。

「……トラ子。今、何階層だ」


「第12階層です、マスター。……霊峰の頂、蒼竜のいる最上層は『第20階層』と推測されます。まだようやく半分を過ぎたところですね」


 トラ子の冷徹な報告に、俺は天を仰いだ。

「20階層……っ! 長すぎるだろ! 一つの階層が山一つ分くらい広大なのに、それが20個もあるのかよ!」


 Aランク魔物たちは、Bランクのように単調な動きはしない。

 雪崩を起こして俺を生き埋めにしようとしたり、吹雪に紛れて遠距離から氷の魔法で狙撃してきたり、連携して罠にハメようとしてきたりと、極めて狡猾だった。


 俺の筋力や、ドドンキの袋を使った投擲戦術があっても、この広大なエリアを一つ一つ踏破し、知恵の回るバケモノどもを殲滅していくのには、どうしても膨大な「時間」がかかってしまうのだ。


「これでも、マスターの理不尽な身体能力がなければ、とっくに全滅しているペースですよ。Sランクの部隊ですら、1階層を攻略するのに数週間はかけるのですから」


 トラ子がフォローを入れるが、俺の焦りは募る一方だった。


 すでに、このダンジョンに突入してから丸3日が経過している。

(美桜のリミットが……どんどん削られていく)


 特級エリクサーを美桜に投与しなければならない期限は、刻一刻と迫っている。

 ここでモタモタしていれば、仮に蒼竜を倒せたとしても、美桜の命が間に合わなくなる可能性があった。


「マスター! 弱音を吐いてる暇はありません! 前方から新たな魔力の群れが来ます! 『アイス・ゴーレム』の軍団です!」


 エク子の声に、俺は重い腰を上げた。

「……休む暇もなしか。上等だ」

 俺はボロボロのジャージの袖を千切り捨て、黄色いドドンキの袋を握り直した。


 時間が惜しい。

 罠だろうが魔法だろうが、この圧倒的な暴力ですべて最短距離でぶち抜くしかない。


「エク子、トラ子! ここから先はペースを上げるぞ! 邪魔する奴は、削り飛ばして進む!」


「はいっ! ルートの最短演算、常時フル稼働させます!」

「……ええ。貴方の筋肉が焼き切れるまで、最高の戦術を供給し続けましょう」

 俺は雄叫びを上げ、立ちはだかる氷の巨兵の群れへと単騎で突撃した。


 どんなに深く、どんなに果てのない迷宮だろうと、立ち止まるという選択肢は俺にはない。


 すべては、妹の命を救い、地上で待つまどかたちに勝利の報告をするために。


 脳筋の歩みは、血と汗と氷にまみれながら、さらなる深淵(頂)へと続いていくのだった。



特級エリクサー(蒼竜からの強奪)投与リミットまで:あと8日


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