飛竜との戦い
上空でホバリングするAランク魔物『フロスト・ワイバーン』の口元に、極大の蒼いエネルギー球が収束していく。
周囲の空気が急速に凍りつき、ただでさえマイナス60度だった気温がさらに低下していくのが肌でわかった。
直撃すれば、いくら【竜鱗装甲(極)】があろうと、ジャージごと氷の彫像にされるのは明白だ。
「マ、マスター! エネルギーのチャージ率90%! 来ます!」
エク子が悲鳴のような警告を上げる。
「わかってる! だが、空を飛ばれてる上に、風の防壁で投擲も弾かれる! 足元がツルツル滑って、まともにジャンプで距離を詰めることもできない! どうすりゃいいんだ!」
俺が焦燥に駆られたその時、脳内に極めて冷静な、氷のような声が響いた。
「――慌てないでください、マスター。私の演算能力(マスターの広背筋)は、すでにこの局面の『最適解』を導き出しています」
トラ子だ。
先ほどまでの崩れた口調とは違う、知的で冷徹な、彼女本来のナビゲーション音声。
「ヤツが極大のブレスを吐き出す瞬間、口元の『風の防壁』はコンマ0.5秒だけ展開を停止します。ブレス自体が防壁に干渉するのを防ぐためです」
「つまり、その隙間を縫って攻撃を当てろってことか? だが、届かないぞ!」
「ええ。ですから、マスター自身が『弾丸』となって、ヤツの懐に飛び込むのです。
……その手に提げている『魔法の黄色い袋』を盾にして」
「このペラペラのビニール袋をか!?」
「ええ。マスターの魔力アンカーが付与されたその袋は、現在システム上【破壊不可】のユニーク・アーティファクトとして認識されています。神話級の絶対零度ブレスであろうと、この袋を物理的に破ることは不可能です」
トラ子は淡々と、信じられない狂気の戦術を提示した。
「右足を、後方の氷晶に対して斜め45度に、全力で踏み込んでください。陸上競技のスターティングブロック(踏み台)を形成するのです。それで、足元が滑るという物理的問題は解消されます。
……そして、ブレスが放たれた瞬間に袋を構えて跳躍し、光線の奔流を正面から割って進むのです」
「……ブレスの中を、袋を傘がわりにして逆走しろって言うのか!?」
「計算上、全く問題ありません。むしろそれ以上ありません。実行してください」
相変わらず、俺の肉体を重機か何かと勘違いしている指示だ。
だが、俺の足りない頭で考えるより、大胸筋と広背筋をフル稼働させているトラ子の計算を信じた方が生存率は高い。
「上等だ……! やってやる!」
俺は黄色いドドンキの袋を両手でしっかりと握り直し、右足を後方に引いた。
そして、フルパワーで氷の大地を斜めに踏み抜く。
ガギィィィィンッ!!
分厚い氷晶の地層が砕け、俺の右足が膝下までガッチリと食い込んだ。
これなら、どれだけ強く蹴り出しても絶対に滑らない。完璧な踏み切り板だ。
『シャァァァァァァァァァッ!!』
上空のフロスト・ワイバーンが、ついに極大のブレスを放とうと大きく顎を開いた。
「マスター、タイミングは私が合わせます。……3、2、1」
ズゴォォォォォォォォォォォッ!!
飛竜の口から、滝のような蒼白い絶対零度の光線が、俺を目指して一直線に放射された。
「――今です! 『撃滅』!」
「オラァァァァァァァッ!!」
トラ子の号令と同時。俺はスターティングブロックと化した氷の大地を、粉々に粉砕しながら空へと跳躍した。
地対空ミサイルのような超絶的な速度で、俺の身体が射出される。
直後、俺の身体は飛竜の放った絶対零度のブレスと空中で真正面から激突した。
凄まじい冷気と魔力の奔流。
だが、俺の身体に直撃のダメージはほとんどない。
俺が顔の前に突き出した『黄色いドドンキのビニール袋』に直撃した蒼白い極大ブレスは、破壊不可という理不尽なシステム法則に完全に阻まれ、まるで豪雨の中で傘を差したかのように、袋の表面を滑って綺麗に左右へと真っ二つに裂けていたのだ。
「おおおおおおおッ!! すげえ、本当に防げてるぞ!」
背後で空気が凍りつく凄まじい音を聞きながら、俺は黄色い袋の「安全地帯」に隠れ、絶対零度の滝を猛スピードで登っていく。
『――ギ、ヂ!?』
フロスト・ワイバーンの瞳に、決定的な「恐怖」が宿るのが見えた。
自身の最強のブレスがペラペラの黄色い袋に真っ二つに割られ、その背後からジャージ姿の人間が突っ込んでくるのだ。魔物にとって、これほどの悪夢はないだろう。
「到達。風の防壁、突破しました」
トラ子の静かな報告。
俺の身体は、ブレスの発生源――大きく開かれたワイバーンの顎の真正面へと踊り出た。
俺は盾にしていた黄色い袋をサッと横に退け、空中で腰を捻り、右拳を限界まで引き絞った。
「ただでさえクソ寒いのに、これ以上冷やそうとすんじゃねえよ」
【竜鱗装甲(極)】が、俺の右腕を鋼鉄の杭へと変える。
「暖を取らせろって、言っただろッ!!」
全身のバネを解放し、渾身の右アッパーカットを、ワイバーンの下顎へとカチ上げた。
――ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!
蒼鳴の霊峰の空気が、爆発したように震えた。
俺の拳から放たれた凄まじい物理衝撃が、飛竜の巨大な頭部を下から上へと完全に貫通。
硬度を誇る氷の鱗も、強靭な頭蓋骨も、俺の理不尽な暴力の前には薄氷のごとく粉砕された。
『――――ッ!!』
声にならない断末魔。
頭部を完全に吹き飛ばされたフロスト・ワイバーンは、空中でビクンと一度大きく痙攣した後、全身の細胞を崩壊させ、光の粒子となって蒼い吹雪の中へ霧散した。
俺は重力に従って自由落下し、ズシン、と氷の大地へと着地する。
凍りついていたジャージの表面の氷が、着地の衝撃でパリパリと砕け落ちた。
『――Aランク魔物【初討伐ボーナス】を確認』
『――条件達成。【存在強奪】が発動します』
『――【筋力】(+50)、【耐久】(+50)、【敏捷】(+50)』
『――【知力】(+0)』
脳内に響いた強奪のシステム音声を聞いて、俺は思わず目を見張った。
「おおっ!? すげえ! 一気にステータスが跳ね上がったぞ!」
「Aランクの魂の質は、Bランクとは文字通り桁違いですからね。
初回のボーナスも加算されて、マスターの基礎スペックが一気に底上げされた結果です」
トラ子が、ホログラムの眼鏡を指で押し上げながら、誇らしげに解説する。
たった一匹倒しただけで、Bランクを50匹倒したのと同じ上昇量。
これなら、この極寒の環境での体力消費も、上がったステータスで十分に相殺できる。
「マスター、超カッコよかったですよ! 黄色い袋の盾からの右アッパー、最高に痺れました!」
「ふっ、俺もついにAランクの戦い方(スタイリッシュ・脳筋?)が板についてきたな」
俺が黄色い袋をシャカシャカと揺らしてドヤ顔をしていると、トラ子が小さくため息をついた。
「……まぁ、あの無茶苦茶な軌道をミリ単位の狂いもなく遡りきった身体能力と、袋一枚を信じ切った度胸だけは、褒めてあげます。
私の計算を完璧に体現できるのは、貴方のその理不尽な筋肉だけですから。……つ、次も、期待していますよ、マスター」
冷徹な声色の中に、ほんのわずかに混ざった信頼の響き。
ツンデレAIなりの、最大の賛辞だった。
「おう、任せとけ。俺とお前たちの最強コンビなら、どんなバケモノだろうが殴り倒すさ」
破壊不可の盾(ドドンキの袋)による対空突破手段と、さらなるステータスの爆発的成長を手に入れた今、俺を止められるものはこの山には存在しない。
「行くぞ。……待ってろよ、蒼竜」
ドドンキのジャージ姿の男が、人類未踏の死地をズンズンと歩き始める。
脳筋によるAランク蹂躙が、ついに本格的な火蓋を切ったのだった。




