ダンジョンからの帰還、理不尽な査定
薄暗いダンジョンの奥へと足を進める。
コボルトを倒して得た身体能力の向上は劇的だった。
足取りは軽く、岩場を跳ねるように移動しても息一つ乱れない。
「マスター、前方に新たな魔素反応です! 気をつけて、今度はちょっと厄介ですよ」
空中に浮かぶエク子が、小さな指で通路の先を指差す。
そこには、床一面に広がる半透明の青い粘体――スライムがいた。
「ん、スライムか。……あいつ、物理攻撃が効きにくいんじゃなかったか?」
「正解です! ゼリー状の身体で打撃を吸収しちゃうので、本来は魔法や武器で弱点である『核』を斬るのが定石なんですけど……今のマスターには『素手』しかありませんからねっ!」
「まぁ、やるしかないか」
スライムが獲物を見つけ、その巨体を大きく波打たせて突っ込んできた。
俺は拳を固め、半透明の身体の中心にぽつんと浮かぶ、ソフトボール大の硬そうな『核』を狙って右ストレートを叩き込む。
――グニチャァッ!
「……っ、拳が沈んだ!?」
スライムの体内に深く入り込んだ拳が、分厚いゴムの塊に包まれたようにピタリと止められる。
打撃の衝撃が、粘体によって完全に殺されてしまったのだ。
さらに、スライムの持つ強酸がスーツの袖をドロドロに溶かし、俺の皮膚をジリジリと焼き始めた。
「熱っ……!?」
「マスター! 無理に引き抜こうとすると、強い粘着力で関節が外れますよ!」
「なら……引かずに、もっと押し込むっ!」
俺は酸の痛みに歯を食いしばり、強奪したコボルトとゴブリンの圧倒的な【筋力】に物を言わせ、逆に腕をスライムの深部へと力任せにねじ込んだ。
ヌチャアアッ、と気味の悪い音を立てて腕が沈み込み、やがて指先が中心にある硬い『核』を鷲掴みにする。
「捕まえたぞ……っ!」
「えっ!? まさかマスター、それを素手で!?」
俺は右手の指先に全身の力を込めた。
ステータス【筋力】の数値はすでに一般人を遥かに凌駕している。鋼鉄すらも歪ませるであろう、常識外れの握力。
ギリリリリッ! と指先からミシミシ嫌な音が鳴り、硬い核にヒビが入っていく。
「砕けろおおおおっ!!」
パキィィィンッ!!
ガラスが砕けるような甲高い音と共に、スライムの核が俺の掌の中で粉々に砕け散った。
核を失った瞬間、身体を構成していた青い粘体が水風船が割れたように弾け、バシャアッと石畳にぶちまけられる。
『――条件達成。【存在強奪】が発動します』
ノイズと共にスライムの残骸が消え、俺の体内に冷たい清涼感のような力が流れ込んだ。
同時に、酸で焼け爛れていた右腕の皮膚が、嘘のようにスゥッと元の綺麗な状態に戻っていく。
「ふぅ……。やりましたね! 力技にもほどがありますけど! スライムの強奪で、【HP】に(+50)、【耐久】に(+30)、さらにスキル【物理耐性 Lv1】を獲得です!」
「物理耐性……。これで少しはマシに戦えるようになるな」
「はい! これでこの層のゴブリン、コボルト、スライムは全て『存在』を強奪しました! しばらくはこの層に魔物が湧くことはありませんよ」
(ん?しばらく…?落ち着いたら後で聞いてみるか)
俺が歩いた後には、存在が消えるため死体すら残らない。
文字通り「何も存在しない通路」となったダンジョンを後にし、俺は地上へと戻った。
♦
夕闇に包まれた駅前。
ボロボロのスーツに血と泥がこびりついた俺の姿を、通行人たちが避けるように通り過ぎる。
どうやらエク子は他人には見えないらしい。
つまり今の俺は、側から見ればボロボロのスーツ姿で独り言をブツブツ言いながら歩く、相当危ないおじさんというわけだ。
「マスター、顔が怖いですよ! もっとニコニコして換金所に行きましょう!」
「……見た目綺麗なお前に言われても説得力がない。それに、この格好で笑ってたら通報されるぞ」
俺は周囲の冷たい視線を無視し、冒険者協会の分室にある『魔物素材買取所』のカウンターへと向かった。
そこには、不機嫌そうな顔をした中年男性の職員が座っていた。
「……はい、次の方。あー、あんた、登録冒険者じゃないね? ここは一般人の持ち込みは手数料高いよ」
職員は俺のボロいスーツを見て、鼻で笑った。
「構わない。これの査定をお願いします」
俺はインベントリから、今日手に入れた一番の目玉、【ゴブリンの変異血】を取り出した。
職員の目が一瞬で剥かれた。
「なっ……これ、変異血か!? 初心者の第4エリアでこれが……? おい、どこで盗んだんだ」
「盗んでない。自分で倒して手に入れたものだ」
「フン、どうだか。まあいい、本物なのは間違いないな……。通常なら、このランクの変異血は相場で『30万円』だ」
三十万。
美桜の治療費一億円には遠いが、一歩確実に近づける金額だ。俺が安堵の息を漏らそうとした、その時だった。
「だが、あんたは『未登録者』。さらに身なりからして、ダンジョン内での不法占拠、装備不備によるペナルティ、税金諸々を差し引かせてもらうよ」
職員は電卓を叩き、信じられない数字を提示した。
「……3万円だ。不服ならよそへ行け」
「な……っ!? 30万の価値があると言っただろう! 9割も引くなんて、いくらなんでも横暴だ!」
「横暴? ハッ、適性も資格もない一般人が、命の危険があるダンジョンに勝手に入ってゴミを拾ってきたんだ。3万でもお恵みだと思えよ」
職員はせせら笑いながら、俺の目の前に三枚の一万円札を叩きつけた。
「……マスター。あのオヤジ、性格悪すぎます! 今すぐ一発殴っちゃいますか!?」
エク子が俺の周りを飛び回りながら憤慨しているが、俺は拳を握りしめて耐えた。
ここで暴れれば捕まり、美桜の元へ行くことすらできなくなる。
「……いい。それでいい。受け取るよ」
「お、話が早くて助かるよ。まぁ次からは、せいぜい怪我しないようにね、お兄さん!」
三万円を掴み、俺は買取所を後にした。
一億円まで、あと九千九百九十七万円。
適性がないというだけで、努力も成果も、ここまで踏みにじられるのか。
「……見てろよ。いつかその理不尽ごと、全部奪ってやる」
夜の街に、俺の静かな怒りが溶けていった。




