暴食との遭遇2
「くっ……!」
腕に走る強烈な痺れに顔を歪めながら、ヒナはバックステップで大きく後退する。
(これは……障壁!? ということは、この男は魔法使い? いや、それなら詠唱する必要があるはず……)
ヒナの脳内で思考が高速回転する。
物理攻撃を完全にシャットアウトする強固な魔力障壁。
もし相手が高度な魔法使い(キャスター)であるならば、近接戦闘に持ち込んだこちらに分がある。
相手に詠唱の隙を与えなければいい。
手加減する必要は一切ない。
「ハァァァァァッ!!」
ヒナは自身に【身体強化】のスキルを二重にかけ、残像を生み出すほどの速度で大男の周囲を乱舞し始めた。
上段、下段、袈裟斬り、突き。
目にも止まらぬ速度で放たれる百連撃。
ダンジョンのボスすらも数秒で屠る、剣士の絶技。
ガガガガガガガガガガッ!!!!!
しかし、そのすべてが、大男の周囲に展開された無数の魔力障壁によって、火花を散らして防がれていく。
「何故……!? まさか、上位ランクの冒険者なの!? でも、こんな顔の冒険者なんて見たことない……あなた、一体何者なの!?」
全ての攻撃を防がれ、ヒナは肩で大きく息を切らしながら足を止めた。 対する大男は、息一つ乱すことなく、不気味な笑みを浮かべたままだ。
「んー。魔法使い(キャスター)を想定しての手数で押し切る戦法。
悪くないけど、少し単調だねぇ。……それじゃあ、今度は『僕の番』だねぇ」
大男が、虚空に右手を突っ込んだ。
そして、彼岸花の模様が刻まれた、禍々しい巨大な『両手剣』を引きずり出したのだ。
「なっ……大剣!? 魔法使いじゃ……」
「剣術スキル:剛・重撃斬」
大男がその巨体に似合わぬ滑らかなステップで踏み込み、大剣を上段からヒナめがけて振り下ろした。
――ドゴォォォォォォンッ!!!
「きゃああっ!?」
ヒナは咄嗟に長剣を交差させて防御したが、まるでダンプカーに正面衝突されたような凄まじい衝撃に吹き飛ばされ、裏路地のコンクリートの壁に激突した。
全身の骨が軋み、口から血が滲む。
(嘘でしょ……。あんな完璧な魔力障壁を張りながら、剣術スキルまで使えるなんて……!)
防戦一方に追い込まれるヒナ。
相手は魔法も剣術も極めたような、あり得ない強さの化身だった。
このままではジリ貧だ。殺される。
「これで……決めるッ!!」
ヒナは最後の力を振り絞り、壁を蹴って宙へ高く跳躍した。
長剣に自身の全魔力を注ぎ込み、刃が青白い極光を放つ。
「絶剣・朧月ッ!!」
ヒナの放つ起死回生の一手。
対象を断ち切る、彼女の持つ最強のオリジナル剣技が、大男の頭上から雷のように降り注いだ。
だが。
「あはは。美味しそう」
大男は避けることも防御することもなく、ただ腹部のスーツをビリッと破り去った。
そこには、ギザギザの牙が並ぶ、巨大でグロテスクな『口』が開いていた。
ズズオォォォォォォッ!!
ヒナの放った必殺の剣技が。
奴を断ち切るはずの絶対の刃が。
まるで掃除機に吸い込まれるかのように、大男の腹部にある巨大な口へとそのまま吸い込まれて消滅してしまったのだ。
「え……っ?」
「ごちそうさま。うん、なかなかキレのある味わいだ。……君、珍しい剣術スキルを持ってるねぇ」
ヒナが空中で硬直した、その隙を大男は見逃さなかった。
フッと大男の姿が消えたかと思うと、ヒナの背後に回り込み、その太い丸太のような腕で、彼女の身体を背後からガシッと捕まえてしまったのだ。
「あ、ぁぁ……っ! 離し、て……ッ!」
「暴れないでよ。僕は『大喰らい(暴食)』でね。君のその美味しそうなスキルと……結城誠に関する記憶を美味しく頂こう。
まずは味見してみようかな」
大男の腹部の口が、ヒナの背中にピタリと押し当てられた。
牙が肉に食い込む痛みはない。
だが、それよりも遥かに恐ろしい、魂そのものを削り取られるような『概念的な捕食』が始まった。
「ア……ァ、ァァァァァァッ!!??」
ヒナの口から、絶叫がほとばしる。
痛い。熱い。怖い。
自分の脳内から、長年血の滲むような努力で培ってきた剣術の記憶が、スキルのデータが、ズリズリと引き剥がされていく。
そして。
(ダメ……ッ! それだけは、それだけは持っていかないで……ッ!!)
獄炎の地下神殿で、炎の中から現れた彼の背中。
見上げるほど巨大なミノタウロスを粉砕した、あの特売ジャージの男の姿。
今日、ギルド本部で見かけた、妹に向ける優しい笑顔。
ヒナの心の中で、狂気的なまでに膨れ上がっていた『結城誠への愛と執着』の記憶が、悪魔の胃袋へと無慈悲に吸い込まれていく。
「やめ、て……私の、誠、さん……っ」
ヒナの瞳から光が失われ、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「ほうほう。なるほどね」
やがて、大男――暴食は、満足げに腹をさすりながら、ヒナの身体をゴミのように路地裏へと吐き捨てた。
「ふぅん、あれが結城誠か。冒険者適性ゼロの元事務員ね。
……なるほど、彼がイレギュラーたる所以が、君の記憶から少しだけ分かった気がするよ。ありがとう、いい味だった」
暴食は、足元でピクピクと痙攣するヒナを見下ろし、三日月の笑みを浮かべた。
「今日は美味しいモノも食べられたし、気分が良いや。
君の剣術スキルと、彼の記憶は美味しく頂くね。
……でもまぁ、命は助けてあげるよ。結城誠へのちょっとした『ご挨拶』代わりにねぇ」
暴食の言葉に、ヒナはもう反論する気力すら残っていなかった。
頭の中が、ひどく霞がかったように真っ白だ。
自分がどうして剣を振るっていたのか。なぜこんな路地裏にいるのか。
そして、自分が何よりも大切に想っていた『誰か』の顔が、モザイクがかかったように思い出せない。
「まこ……と、さん……」
ヒナは消えゆく記憶の残滓に必死にしがみつこうと手を伸ばすが、虚空を掴んだ手はパタリと力なく落ちた。
暴食の姿が闇に溶けて消え去ると同時に、日向ヒナの意識は深い泥のような暗闇へと沈んでいったのだった。




