すれ違い3
「うそ……でしょ……?」
自分がこの30分間、電柱の陰で一人で「きゃっ☆」とか言いながらぶつかる練習をしていたのは、いったい何だったのか。
あのピンク色に染まった最高のシミュレーションは、すべて独り相撲だったというのか。
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! 誠さぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
ヒナは頭を抱えて絶叫すると、南口方面に向かって猛烈なダッシュを開始した。
Aランク冒険者の本気の全力疾走である。
彼女の身体は文字通り銀色の残像となり、通行人の間を縫うようにして、新宿の街を弾丸のような速度で駆け抜けていく。
(間に合って……! まだ駅のホームにいるかもしれない! 今度こそ、今度こそ絶対に声をかけるんだからぁぁぁぁっ!!)
◆
「それじゃあ葵さん、しずくさん! またねー!」 「はい、美桜ちゃんも気をつけて。誠さんも、またギルドでお会いしましょうね!」
「ああ、お前らも無理するなよ」
新宿駅の南口改札前。
俺と美桜は、ここで葵としずくの二人と別れた。
二人を見送った後、俺と美桜はICカードを改札にタッチし、ホームへと降りていった。
「お兄ちゃん、今日は楽しかったね! パフェも美味しかったし!」
「そうだな。お前が元気になって、こうして一緒に歩けるようになったのが一番嬉しいよ」
「えへへ……。これからも、ずっと一緒にお出かけしようね!」
美桜が俺の腕にギュッと抱きついてくる。
俺たちはちょうどホームに入ってきた快速電車に乗り込み、ドア横のスペースに並んで立った。
プシューッ、という音と共に、無機質な車内アナウンスが響く。
『ドアが閉まります。ご注意ください』
その、直前だった。
「――っ、まこっ……結城さぁぁぁぁぁぁぁんッッ!!!」
新宿駅の構内に、悲痛な、そして凄まじい声量の少女の絶叫が響き渡った。
「ん?」
俺が声のした方、電車の窓ガラスの向こうへ視線を向けると。
改札の方から階段を、あり得ない速度で文字通り『跳躍』しながら駆け下りてくる、銀髪の少女の姿があった。
「あ、ICカードタッチッッ!!」
少女は改札のセンサーにスマートフォンを物理的に叩き割らんばかりの勢いでタッチし、そのままの速度を維持してホームへと滑り込んでくる。
ものすごい形相だ。
完全に目が血走っている。
何かの事件か、あるいは強力な魔獣でも追ってきているのだろうか。
「なんだ、あいつ……すげえスピードだな」
「お兄ちゃん、あの人なんかこっち見てない……?」
美桜が少し引いたように俺の腕を強く掴む。 確かに、その銀髪の少女は、一直線に俺たちの乗っている車両のドアへと向かって手を伸ばしていた。
「結城さんっ! 待って、お願い、私よ! ヒナよぉぉぉぉぉっ!!」
バンッ!! 少女の細い手が、閉まりかけた電車のドアのガラスに激しく叩きつけられた。
しかし、非情にも電車のドアは完全に閉まりきり、プシューッという音と共にロックがかけられてしまう。
「……えっ。いや、嘘でしょ……開けて、開けてよぉっ!」
窓ガラスの向こうで、少女が必死にドアを叩いている。
だが、電車は無情にもゆっくりと動き出し、ホームを滑るようにして加速し始めた。
「……なんか、すげえ必死な顔してたな。誰か知り合いでも乗ってたのかね」
俺は動き出した電車の窓から、ホームに取り残された少女の姿をぼんやりと眺めながら呟いた。
ジャージを着た俺のようなおっさんに、あんな美少女が用があるはずもない。
完全に人違いか、あるいは別の車両に乗っている誰かを追っていたのだろう。
「ふふっ、きっと彼氏と喧嘩でもしちゃったんじゃない? 青春だねぇ」
美桜が、どこかホッとしたような、そして完全に他人事のような顔で笑った。
ガタン、ゴトン、と電車がスピードを上げる。
窓ガラス越しに見える銀髪の少女の姿は、あっという間に小さくなり、やがて視界から完全に消え去ったのだった。
◆
「…………あぁ…………」
新宿駅のホーム。
走り去っていく電車のテールランプを、日向ヒナは膝から崩れ落ちたまま、絶望的な瞳で見送っていた。
窓越しに目が合った。 確実に、彼と目が合ったのだ。
しかし、彼はこちらに気づくことなく、ただ「なんだあの人」というような、完全に赤の他人を見るような顔で、妹と談笑しながら去っていってしまった。
「なんで……なんでいつも、あと一歩のところですれ違っちゃうのよぉ……っ!」
ヒナは大理石のホームに両手をつき、ポロポロと涙をこぼした。
地下神殿で自分を救い出してくれたあの優しい声。
それを思い出すたびに、胸が張り裂けそうになるのに。
(ダメよ、ヒナ。ここで諦めちゃダメ……! 運命の女神様が、私に少しだけ試練を与えているだけなんだから……!)
ヒナは涙を拭い、グッと顔を上げた。
その瞳には、先ほどまでの絶望感はすでに消え去り、代わりに重く、暗く、ねっとりとした『絶対の執着』の炎が燃え上がっていた。
「……今日は逃がしちゃったけど。でも、収穫はあったわ」
ヒナはスンッ、と鼻を鳴らした。
彼女の優れた嗅覚は、先ほどまで彼が立っていたこの新宿駅のホームの空気に、しっかりと彼の匂いの成分を最新のものとしてアップデートさせていた。
「もう、ギルドのデータベースなんて必要ない。
この匂いを辿っていけば、彼がどんな路線に乗って、どの駅で降りて、どこのアパートに帰っていったのか……全部、ぜーんぶ丸わかりなんだから」
ヒナは立ち上がり、狂気すら孕んだ恍惚の笑みを浮かべた。
「待っていてくださいね、誠さん。……次こそは、絶対に、絶対に私の方からあなたを見つけ出して、私の全部を捧げてみせますから……!」
夕日に染まる新宿駅のホームで、Aランクの天才剣士・日向ヒナの、規格外の男に対する重すぎるストーキング計画(純愛)は、ついに最終段階(自宅特定)へと足を踏み入れようとしていた。
平和な日常を満喫し、夕飯のおかずを何にするか考えている結城誠に、物理法則よりもタチの悪い『愛の脅威』が迫っていることを、彼はまだ知る由もない。




