すれ違い1
ファミリー向けの常識を逸脱した『マウンテン・アイスクリーム・フルーツサンデー』を四人で平らげた後、俺たちはすっかり満足してファミレスの入り口を出た。
主に美桜が七割方を胃袋に収めたにもかかわらず、彼女の足取りは羽が生えたように軽く、ご機嫌そのものだった。
「ふーっ! 食べた食べた! さすが一番人気のパフェ、生クリームの濃厚さが全然違ったね!」
「お前、あんなバカでかいパフェ食った後によくそんなケロッとしてられるな……俺なんて、コーンフレークの層でアゴが疲れたぞ」
「お兄ちゃんが少食すぎるんだよ! だからジャージの下が貧弱になっちゃうの!」
美桜が俺のジャージの袖を引っ張ってケラケラと笑う。
九州で悪魔を素手で粉砕した俺の筋力を「貧弱」呼ばわりできるのは、世界広しといえどこの世で俺の妹ただ一人だろう。
「あははっ、美桜ちゃんと誠さんは本当に仲良しなんですね」
後ろを歩いていた葵が、微笑ましそうに目を細める。
しずくも「ええ、見ていてなんだか温かい気持ちになります」と小さく頷いていた。
こうして笑い合える人がいるというのは、なんともありがたいことだ。
「さて、それじゃあ俺たちはそろそろ帰るかな。
美桜も病み上がりであんまり歩き回らせるわけにいかないしな」
「あっ、そうですね! それじゃあ、折角ですから駅まで一緒に行きましょうか。
私たちも今日はギルドの資料室で調べ物をするだけでしたし、もう帰る予定だったので」
葵の提案に、俺は二つ返事で頷いた。
「おう、それじゃあ途中まで一緒に行くか。新宿駅の東口でいいか?」
「はい! よろしくお願いします!」
俺たち四人は並んで新宿の歩道を歩き出した。
春の陽気が心地よく、平日午後のオフィス街はそれなりに人が行き交っている。
平和な昼下がりの風景。
……しかし、俺はこの時、全く気づいていなかったのだ。
◆
その頃。
俺たちが向かおうとしているルートの先、交差点の曲がり角にある電柱の陰で。
「ハァ……ッ、ハァ……!」
一人の美しい銀髪の少女――Aランク冒険者の日向ヒナが、完全に瞳の焦点を飛ばしながら、荒い息を吐いていた。
彼女のAランクスキル【超感覚】によって極限まで研ぎ澄まされた嗅覚が、風に乗って流れてくる『特売洗剤と強者のオーラが混ざった匂い』を完璧に捉えていた。
(来る……! 結城さんが、こっちに向かって歩いてきてる……っ!)
ヒナは電柱の裏にぴったりと背中を張り付け、自分の胸を強く押さえた。
心臓が激しく打ち鳴らされている。
防具の下で、体温が急激に上昇していくのがわかった。
匂いの強さから計算して、彼がこの曲がり角に到達するまで、あとおよそ三十秒。
(大丈夫……シミュレーションは完璧よ。
私がこの角を曲がった瞬間、結城さんの広い胸にドンッてぶつかる。
そしてバランスを崩した私を、結城さんが逞しい腕でグッて抱き止めてくれる……!)
ヒナの脳内で、少女漫画の1ページのようなピンク色の幻覚が展開される。
ぶつかった瞬間に見つめ合う二人。
驚く彼の顔。
上目遣いで「ごめんなさい、私ったらおっちょこちょいで……」と恥じらう自分。
そして、「いや、俺の方こそ前を見てなくて……って、ヒナじゃないか」と、あの圧倒的な強さを持つ男が、自分だけに向けてくれる優しい声。
(……ダメ、想像しただけで顔が熱い……っ! 私、ちゃんと可愛く驚けるかな……? 息、臭くないかな? 前髪崩れてないよね!?)
ヒナは小さな手鏡を取り出し、マッハの速度で前髪を整え、リップを塗り直す。
Aランク剣士としての身体能力と集中力が、こんなストーカーまがいの遭遇戦のためだけにフル稼働していた。
♦︎
(あと十秒……! 九、八、七……っ!)
ヒナは息を止め、全神経を角の先から近づいてくる足音に集中させた。
来る!
運命の出会いが、今、ここで物理的に衝突する……っ!
(三、二、一……今よっ!!)
ヒナは目をギュッと瞑り、「きゃあっ!」と可愛らしい悲鳴を上げながら、勢いよく曲がり角へと飛び出した。
――が。
タッタッタッ、と。
ヒナの身体は、誰の胸にぶつかることもなく、ただ虚しく新宿のコンクリートの歩道を数歩進んだだけだった。
「……あれ?」
ヒナが目を開けると、目の前には行き交うサラリーマンやOLの姿があるだけで、あの見慣れたジャージの姿はどこにもなかった。
ぶつかるどころか、すれ違う気配すらない。
「えっ……? おかしいな。匂いは確かにこの角に向かってきていたはずなのに……」
ヒナがキョトンと首を傾げている頃。
俺たちは、ヒナが待ち構えていた曲がり角の、ちょうど『一本手前』の交差点にいた。
「……ん?」
美桜が、不意にピタリと足を止めた。
彼女は少しだけ眉をひそめ、右折すれば駅への最短ルートとなる、あのヒナが潜んでいる方向の道をジッと睨みつけた。
「どうした、美桜? 腹でも痛くなったか?」
「ううん、違うの。あのね、お兄ちゃん……」
美桜は、俺のジャージの袖をクイッと引っ張り、どこか警戒するような、猫が毛を逆立てた時のような鋭い目を向けた。
「なんか、そっちの道から『すごく嫌な気配』がするの」
「嫌な気配?」
「うん。なんていうか……ジメジメしてて、ねっとりしてて、お兄ちゃんにまとわりつこうとする、すっごくタチの悪い『変な虫』みたいな気配」
美桜の言葉に、俺は思わず周囲を見回した。 変な虫?
ダンジョンから漏れ出した害虫系の魔獣でもいるのだろうか。
しかし、魔獣の放つ魔力的な威圧は一切感じない。
『マスター。周囲の索敵範囲内に、敵対的魔力反応はゼロです。
妹個体の発言は、オカルト的な第六感、あるいは過度の警戒心によるものと推測されます』
『ふんっ、何を言うか。トラ子、お主は全く分かっておらんのう』
トラ子の冷静な分析に、脳内のグリ子がニヤニヤと笑いながら横槍を入れる。
『主の妹のセンサーは、魔力などというチンケなものを感知しておるわけではない。
これは、主という「獲物」を狙う、別のメスの放つドス黒い情念……すなわち「泥棒猫」の気配を、本能で察知しておるのじゃよ! いやぁ、女の直感というのは恐ろしいのう!』
「……泥棒猫って、なんだそりゃ?」
俺が呆れたように小さく呟くと、美桜が俺の腕にギュッと抱きついてきた。
「と、に、か、く! そっちの道はなんかゾクゾクするから嫌! お兄ちゃん、反対側の南口の方から回って駅に行こう?」
「南口? おいおい、それだとかなり遠回りになるぞ。葵たちも東口に向かう途中だったんだし……」
「いいの! 遠回りした方が、ご飯食べた後の腹ごなしになってちょうどいいでしょ! ね、葵さんたちもそれでいいですよね?」
美桜が、先ほどのファミレスで見せたような『圧倒的な妹のマウント笑顔』で、葵としずくを振り返る。
有無を言わさぬその圧力に、二人は「ビクッ」と小さく肩をすくませた。
「は、はいっ! 私たちは全然、南口からでも大丈夫ですので!」
「ええ、少しお散歩するのも気持ちいいですから……!」
「ほら、お兄ちゃん! 決まり! こっちこっち!」
美桜は俺の腕を力強く引っ張り、本来進むはずだったルートから180度方向を転換し、反対側の南口へと向かってズンズンと歩き出してしまった。




