恋するオトメ1
薄暗いダンジョンの深層から生還した日向ヒナは、泥と魔獣の血で汚れた防具を脱ぐことすら忘れ、関東ギルド支部の裏路地でスマートフォンを耳に押し当てていた。
コール音が鳴るたびに、心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。
『――はい、日向です』
数回のコールの後、電話の向こうから、聞き慣れた母親の穏やかな声が聞こえた。
「お母さん……っ!」
『あら、ヒナじゃない。どうしたの、こんな時間に。また迷宮に潜ってて、夜更かししてるんじゃないでしょうね?』
日常と何ら変わらない、呑気な母親の声。 その声を聞いた瞬間、ヒナの張り詰めていた糸がプツリと切れ、目から大粒の涙がボロボロと溢れ出した。
「よかった……生きてる……! 九州で、阿蘇ですごいスタンピードが起きたってニュースで見て……私、お父さんとお母さんがどうにかなっちゃったんじゃないかって……っ!」
『ああ、そのことね。心配かけてごめんなさいね、こっちは全然大丈夫よ。
最初は空が真っ暗になって、恐ろしい魔獣の鳴き声が聞こえて生きた心地がしなかったんだけど……』
母親は電話の向こうで、ホッと胸を撫で下ろすような息を吐いた。
『突然、空にものすごい光が走ってね。
それから、あっという間に空が晴れ渡ったのよ。
避難所のテレビで見たんだけど、ジャージを着た男の人が、たった一人で悪魔をやっつけてくれたんだって、本当に神様みたいな人だったわ』
「ジャージ……」
『ええ。どこの誰かは分からないけれど、その人のおかげで、この街も、私たちも無事だったの。
ヒナも冒険者なんだから、いつかあんな立派な人になれるといいわね』
「……うん。うん……っ。お母さんたち無事で、本当によかった……」
ヒナは涙を拭いながら、電話を切った。
家族の無事を確認できた安堵感。
それと同時に、彼女の胸の奥で、確信の炎がボワッと燃え上がった。
(やっぱり、あの人だ……!)
獄炎の地下神殿で、絶体絶命の窮地に陥っていたヒナと仲間たちを救ってくれた、あの規格外の男。
彼が再び、今度はヒナの大切な故郷と家族を救ってくれたのだ。
偶然などではない、これは運命だ。
剣崎師匠から『結城誠』という名前を聞き出した今、もう迷うことは何もない。
「絶対に見つけ出して、お礼を言うんだ……! ご飯をご馳走して、できれば連絡先も交換して……!」
ヒナは両手で真っ赤になった頬をパチンと叩き、気合を入れると、そのままの足で新宿にある『日本探索者ギルド本部』へと向かって全速力で駆け出した。
◆
翌日の朝一番。
ヒナは綺麗に手入れされた防具に身を包み、ギルド本部のエントランスロビーに立っていた。
彼女は真っ直ぐに受付カウンターへと向かい、顔見知りの受付嬢である雨宮に声をかけた。
「雨宮さん、おはようございます! 人探しのお願いがあるんですが!」
「あ、日向さん。おはようございます。Aランクの指名依頼、お疲れ様でした。
……人探し、ですか?」
雨宮は首を傾げながら、タブレットを操作する準備をした。
「はい! 『結城誠』さんという冒険者を探しているんです。
彼にどうしても直接お礼が言いたくて。今、本部にいらっしゃいますか?」
「結城さん、ですか? ええと……少々お待ちくださいね」
雨宮がデータベースに名前を打ち込む。
ヒナはカウンターから身を乗り出すようにして、その結果を待った。
きっと、ギルドの裏で暗躍するSランクか、特級の特別な冒険者に違いない。
そう思っていたヒナだが、雨宮の口から出た言葉は、彼女の予想を大きく裏切るものだった。
「……結城さんは現在、長期の護衛任務に就かれていますね。
今はまだ九州の方で事後処理にあたっているはずですので、本部にはいらっしゃいませんよ」
(えっ、九州に? じゃあ、やっぱりあのジャージの英雄は……っ!)
「それに、結城さんの現在のランクは『Cランク』として登録されています。
日向さんのような高ランク帯の方とは、普段はあまり接点がない部署の方ですね」
「……C、ランク?」
ヒナは目を丸くした。 獄炎のミノタウロスを素手で粉砕し、Sランクの悪魔公爵を消し飛ばすような人が、Cランク?
どう考えてもギルドの査定システムが狂っているとしか思えなかった。
(どうりで……私がSランクやAランクのデータベースをいくら漁っても、該当者が見つからないわけね)
ヒナは納得すると同時に、ギルドの節穴っぷりに少し呆れた。
だが、これで彼が実在するギルド職員(冒険者)であり、いずれこの東京の本部に戻ってくるという確証が得られた。
「雨宮さん、ありがとうございます! 私、彼がここに戻ってくるまで、毎日通いますから!」
「えっ? ま、毎日ですか?」 「はい! 絶対に会ってお礼を言うって、心に決めたので!」
雨宮が引き攣った笑いを浮かべるのをよそに、ヒナはロビーの端にある見晴らしの良いソファへと陣取った。




