閑話 日向ヒナの焦燥1
薄暗い地下迷宮の中、硬質な刃が空気を裂く音が連続して響き渡っていた。
「ハァッ!!」
鋭い呼気と共に、銀色の長髪をポニーテールに結んだ少女――Aランク冒険者である日向ヒナが、手にした業物の長剣を一閃する。
剣閃は青白い魔力の軌跡を描き、彼女に襲い掛かってきた巨大な四腕のオーガの胴体を、まるで紙を裁断するように綺麗に両断した。
「ギ、ガァァッ……」
断末魔の呻きと共に、巨大な魔獣が光の粒子となって消滅していく。
ヒナは残心をとった後、剣を鞘に納め、小さく息を吐き出した。
ここは関東近郊に位置するBランクダンジョン『嘆きの迷宮』の深層。
ヒナは現在、ギルドからの「指名依頼」を受け、この迷宮の異常繁殖した魔獣の討伐と、最深部のボス討伐クエストに単独で挑んでいた。
若くしてAランクに到達し、天才剣士と謳われる彼女の太刀筋は、今日も淀みなく冴え渡っている。
周囲にはすでに数十体を超える魔獣の魔石が転がっていた。
だが、戦闘を終えて静寂が戻ると、彼女の脳裏には決まって『あの光景』がフラッシュバックするのだ。
(……また、考えちゃってたな)
ヒナは迷宮の冷たい壁に背を預け、水筒の水を一口飲みながら目を伏せた。
すこし前。彼女が別のダンジョン――『獄炎の地下神殿』で遭遇した、絶対的な死の恐怖。
本来出現するはずのない、規格外の力を持ったイレギュラーボス『獄炎のミノタウロス』。
ヒナの力では到底太刀打ちできず、仲間を逃がすために一人で殿を務め、あわや焼死と圧死の二重苦で命を落とす寸前まで追い詰められた。
すべてを諦め、目を閉じたあの瞬間。
『……あのさぁ、通路の真ん中でデカい斧振り回すの、やめてくれない? 俺、ちょっと急いでるんだけど』
そして見上げるほど巨大なミノタウロスの大斧を、指二本で挟み止め、アッパーで倒してしまったあの人。
ジャージ姿の姿は鮮烈だった。
そして冒険者としての常識も、物理法則すらも完全に無視した、圧倒的で理不尽なまでの『強さ』。
(あの時、私は……名前も聞けずに、お礼すらまともに言えなかった)
ヒナは自分の胸に手を当てた。今でも、あの時の圧倒的な背中を思い出すだけで、心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
あのジャージの人がいなければ、間違いなく自分はあの地下神殿で骨すら残らず灰になっていたと思う。
命の恩人なのだ、だから絶対に、直接お礼を伝えなければならない。
せめて、ご飯くらいはお腹いっぱいご馳走しないと、彼女の生真面目な性格が許さなかった。
しかし、問題があった。
ヒナが知っている情報は、「ものすごく強い」「ジャージを着ている」、「レジ袋を持っている」という、冒険者を探す上ではあまりにもふざけた特徴しかないのだ。
ギルドのデータベースで検索しようにも、「ジャージ」で該当する高ランク冒険者など存在するはずもない。
(どうしよう……。このままじゃ、一生お礼も言えないままかもしれない。そんなの、絶対に嫌だ)
ヒナが焦燥感に駆られながら眉をひそめていた、その時だった。
――ピロロロロッ!!! ピロロロロッ!!!
突如として、ヒナの腰のポーチに入れていた冒険者用スマートフォンの緊急アラートが、迷宮内にけたたましく鳴り響いた。
最高レベルの警告音。
ヒナは反射的にスマホを取り出し、画面に表示されたギルドからの『全冒険者向け・緊急応援依頼』の通知に目を通した。
【緊急事態宣言:極東エリア・九州セクター】
【阿蘇特級ダンジョンにて、大規模な迷宮氾濫が発生】
【確認された敵対個体:悪魔公爵(推定ランク測定不可)。
九州全域の冒険者は直ちに防衛線へ参加せよ。他支部のAランク以上の冒険者に対し、無条件での救援要請を発令する】
「……えっ?」
画面の文字を見た瞬間、ヒナの全身からスッと血の気が引いた。
九州、阿蘇、スタンピード……悪魔。
羅列された絶望的な単語の数々が、ヒナの脳内で警鐘を鳴らす。
「お父さん、お母さん……っ!」
日向ヒナの実家は、まさにその九州・熊本にあった。
スタンピードが発生し、防衛線が突破されれば、実家のある街は魔獣の波に飲み込まれて火の海になる。
悪魔公爵などという化け物が野に放たれれば、避難する時間すら与えられないかもしれない。
(行かなきゃ……! 今すぐ、九州に!)
ヒナはパニックになりかけながら、踵を返して迷宮の出口へ向かおうとした。
だが、数歩進んだところで、彼女の足は見えない壁にぶつかったようにピタリと止まった。
――指名依頼。
ヒナが現在受けているのは、ギルド本部から直接指名された重要クエストだ。
この『嘆きの迷宮』のボスは現在、魔力異常を引き起こしており、もしヒナがここで討伐を放棄して迷宮を出れば、最悪の場合、数時間後にはこの関東近郊でもスタンピードが発生する危険性が示唆されていた。
自分が行かなければ、実家の家族が危ない。 だが、自分がここを放棄すれば、この街の無実の人々が死ぬ。
「くっ……ぁぁぁぁっ!!」
ヒナは血が滲むほど唇を噛み締め、ギリッと長剣の柄を握り直した。
冒険者としての責務。そして、剣士としての矜持。
彼女が出した答えは、ただ一つだった。
「全部、斬り伏せる……! 最短で、最速で、この迷宮を終わらせる!!」
ヒナは踵を返し、迷宮の最深部――ボス部屋へと向かって、全速力で駆け出した。
普段の彼女であれば、魔力消費を抑え、罠を警戒しながら慎重に進む道のりだ。
だが今の彼女は、現れる魔獣をすべて一撃で両断し、トラップごと破壊しながら、文字通りの『最短』で迷宮を踏破していく。
「邪魔よッ!!」
ボス部屋の巨大な扉を蹴り破り、中に鎮座していた巨大な水晶のゴーレムめがけて、ヒナは一切の躊躇なく、自身の持つ最大火力の絶技を放った。
家族を救うため、故郷を守るため。
己の命すら削るような極限の集中力で、彼女はただひたすらに剣を振るい続けた。




