帰還とハンバーグ1
新幹線の窓から流れる景色が、徐々に見慣れた関東の街並みへと変わっていく。
俺はキャップを被り、新幹線の端の席でひっそりと息を潜めていた。
全身に巻かれた包帯のせいで少し動きづらいが、骨のヒビも内臓のダメージもすでにほぼ完治している。
俺の身体に残っているのは、魂の限界を超えて権能を引き出したことによる、重い鉛のような疲労感だけだった。
(……やっと、帰れるな)
東京駅に降り立ち、そこから在来線とバスを乗り継いで、ようやく我が家の前にたどり着いた。
西日が差し込む夕暮れ時。
どこかの家から、夕飯の準備だろうか、醤油の焦げるいい匂いが漂ってくる。
俺はアパートの階段を上がり、古びたドアの前に立った。
大きく息を吸い込み、できるだけ明るい声を作ってドアノブを回す。
「ただいまー」
ガチャリとドアを開けると、玄関の奥からバタバタと慌ただしい足音が聞こえてきた。
「誠!?」
エプロン姿の母さんが、血相を変えて飛んできた。
俺の顔を見るなり、その目からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「ああ、母さん。ただいま。……ちょっと長引いちゃって――」
「バカッ! この親不孝者!」
俺の言葉を遮るように、母さんが俺の胸にドンッと抱きついてきた。
勢いよくぶつかった反動で包帯の下の傷が少しだけ痛んだが、俺はそれを悟られないように、優しく母さんの背中をポンポンと叩いた。
「よかった……本当に、よかった……! ギルドの人がすごく深刻な声で電話してくるから、お母さんもう生きた心地がしなくて……」
「ごめんごめん。ギルドの連中、事務仕事ばっかで大袈裟なんだよ。ほら、見ての通りピンピンしてるだろ」
俺がヘラヘラと笑ってみせると、玄関の奥の廊下から、もう一人、ゆっくりとした足音が近づいてきた。
「……お帰りなさい、お兄ちゃん」
美桜だった。
長かった入院生活を終え、少しずつ顔色も良くなってきた彼女だが、今日はどこか不機嫌そうに唇を尖らせている。
俺の顔をまともに見ようとせず、そっぽを向いたまま腕を組んでいた。
「おう、美桜。ただいま。お土産に京都の八ツ橋買ってきたぞ」
俺が無理に明るく声をかけてドドンキの袋をガサゴソと漁るが、美桜の態度は冷たいままだった。
「……ふーん。八ツ橋ね。そんな物で誤魔化せると思ってるの?」
「い、いや、誤魔化すってなんだよ」
「テレビ見たもん。九州の阿蘇ですごい爆発があったんでしょ? ギルドの人も、お兄ちゃんの細胞が壊死してるとか言ってたって、お母さんから聞いたわよ」
美桜はジロリと俺を睨みつけた。
俺は冷や汗をかきながら、必死に言い訳を並べ立てた。
「いや、だからそれは事務員の大袈裟な勘違いだって! 九州には行ってたけど、俺はただの護衛だし、ずっと安全なシェルターの中にいたんだ。爆発なんて遠くで見てただけだよ」
「……本当に?」
「ほ、本当だ。ギルドの連絡ミスだよ、ミス。
魔力酔いでちょっとぶっ倒れたのを、大袈裟に報告しただけなんだって」
俺がしどろもどろになりながら必死に取り繕うと、美桜はしばらく俺の目をじっと見つめ――やがて、小さく「ぷっ」と吹き出した。
「ふふっ。お兄ちゃん、やっぱり嘘つく時、目が右上に泳ぐね」
「えっ!?」
「嘘なんてお見通しなんだから。……でも、無事に帰ってきたから、今回は大目に見てあげる」
美桜の言葉に、俺はホッと胸を撫で下ろした。
(完全にバレてるじゃねえか……)
内心、俺の嘘など全く通用していなかったことに冷や汗をかきつつも、美桜が少しイタズラっぽく笑ってくれたことで、ようやく張り詰めていた空気が緩んだ気がした。
本当は、美桜も母さんも、俺が無事に帰ってきたことが嬉しくてたまらないのだ。
美桜がそっけない態度をとったのも、無茶ばかりする俺を心配するあまりの、彼女なりの小さな「意地悪(お仕置き)」だったのだろう。
俺は苦笑いしながら、美桜の頭をポンと撫でた。
「悪かったよ、心配かけて。次からはもうちょっとマシな嘘を考えるよ」
「もう! そういうことじゃないでしょ!」
美桜が顔を真っ赤にして抗議する。
♦︎
「……お兄ちゃん、ご飯まだだよね?」
「ああ。新幹線の中で駅弁食べようか迷ったけど、お前のハンバーグ食べるために腹空かせてきたんだ」
「ふふん、任せて。今から作るから、そこで大人しく待っててよね」
美桜は嬉しそうにエプロンを締め直すと、足早に台所へと向かっていった。
母さんも涙を拭いながら、「私も手伝うわ」とその後を追う。
俺はリビングのソファにドカッと腰を下ろし、ふうっと長く息を吐き出した。
テレビの電源を点けると、夕方のニュース番組が流れていた。
『――阿蘇での大スタンピードから数日。九州一帯の魔素濃度は急速に安定し、復興作業が急ピッチで進められています。
依然として、悪魔公爵を単騎で撃破したとされる「謎のジャージ姿の冒険者」の正体は掴めておらず……』
俺は無言でリモコンを手に取り、ポチッとチャンネルを変えた。
俺の活躍を報じるニュースなど、今の俺にはただのノイズでしかない。
チャンネルを変えた先では、夕方の再放送枠だろうか、時代劇が放送されていた。
画面の中では、町娘に扮した忍者のくノ一が、悪代官の屋敷に潜入しているシーンだった。
(……ほう)
俺は少しだけテレビの画面に見入ってしまった。
その女優の動きが、妙に目を引いたのだ。
闇に紛れて屋敷の壁を登る身のこなし、見張りの死角を突いて背後を取る足運び、そして音もなく刃を突きつける一連の所作。
ワイヤーアクションやCGを使っているのだろうが、それを差し引いても、彼女の身体の使い方は異常なほど滑らかで、一切の『無駄』がなかった。
「……この女優、随分と演技が上手いな。体幹がブレてない」
俺が感心して呟くと、台所からハンバーグのタネを捏ねていた美桜がひょっこりと顔を出した。
「ああ、それ! 最近すごく話題になってる女優さんだよ。『白地 紅花』さんっていうの」
「へえ、白地紅花ね」
「SNSとかでもね、『あのアクションはCGじゃないんじゃないか』とか、『本当はどこかのギルドに所属してる本物の忍者なんじゃないか』って噂されてるくらいなんだよ!」
美桜は目を輝かせて説明してくれる。
「本物の忍者ねえ。まあ、冒険者の中にはそういう隠密系のスキルを持ってる奴もいるだろうけどな」
「お兄ちゃんみたいに、力任せに戦うより、ああいうスタイリッシュな方がカッコいいよねー」
「うるせえ。俺だってやろうと思えばあれくらい……無理か」
俺は自分のステータスを思い返して苦笑した。
確かに俺は速いが、それは純粋なステータスによる「力技」の速さだ。
あんな風に、空気の抵抗や気配を消し去るような高度な技術は持ち合わせていない。
白地紅花、か。俺は少しだけその名前を頭の片隅に留め、テレビを眺め続けた。




