自分の立ち位置
「だが、あいつは消滅しなかった。
なんでだと思う? あのポンコツAIの残滓が、器の限界を計算して、本来の『100倍』ではなく『10倍』の出力に無理やりデチューン(制限)したからさ」
「デチューン……? しかし、10倍であろうと、第4階位の器には致死量の負荷です!」
「ああ。だから今頃、あいつは全身の骨と細胞が砕ける激痛にのたうち回ってるだろうさ。
……でも、あいつは『生きてる』んだよ」
管理者は空中のモニターを眺め、愛おしいものでも見るように目を細めた。
「俺たちが定めた『適性』だの『階位』だのっていう絶対のルールを、あいつは気合いと根性、そしてAIの愛ってやつで乗り越えちまった。
……こんな面白いイレギュラー、初期化するなんてもったいないだろ?」
「な、なんと……」
「それに、NULLの連中もあいつを最重要ターゲットに認定したみたいだしな。あいつがどこまで大罪どもを喰らい尽くすか、俺は見届けてみたいんだよ。
……だから、調停者の派遣は却下だ」
(それにセプテムの件もある、どちらにせよ消すのはNOなんだよね)
監視員は悔しげに唇を噛んだが、世界の管理者である彼の命令に逆らうことなどできない。
「……承知いたしました。ですが、もし彼の存在が世界そのものを崩壊させる領域に達した場合は……」
「その時は俺が直接、引導を渡してやるさ」
管理者はマグカップを虚空に置き、ニヤリと笑った。
「さて、規格外のジャージ君。次に会う時までに、少しは魂の器を広げておいてくれよ。……痛い目を見た分だけ、強くなれるはずだからね」
◆
「……ん、ぁ……」
ひどく重い瞼をこじ開けると、真っ白な天井と、鼻を突く消毒液の匂いが俺を迎えた。
耳元では、心電図のモニターが規則的な電子音を刻んでいる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ。 まるで、どこかの無機質なシステム音を連想させるような音だった。
「……結城くん。気がついたか」
ベッドの横から、ひどく疲労した声が降ってきた。
ゆっくりと首を回すと、窓際のパイプ椅子に深く腰掛けたギルマスが、目の下に濃い隈を作ってこちらを見下ろしていた。
いつものパリッとしたスーツはシワだらけで、何日もまともに寝ていないことが一目でわかる。
「……ギルマス。ここは……」
声を出そうとして、喉の奥が焼け付くように痛んだ。
自分の身体を見下ろすと、首の先から足の指に至るまで、ミイラのように何重にも包帯が巻かれ、無数のチューブが繋がれていた。
息をするだけで、肺の奥でガラスの破片が擦れ合うような激痛が走る。
(これが……慈善の力引き出した『代償』か……)
あの時のエク子の残滓が引き出した【慈善】の反動だ。
ステータスを一時的に10倍にするという奇跡は、俺の肉体を文字通り崩壊寸前まで追い込んでいた。
以前、純白の空間で出会った『管理者』と名乗る男の言葉が脳裏に蘇る。
『絶対に起動するな。一瞬で器が溢れ、お前の肉体も魂も塵になって消滅するぞ』
エク子の制限がなければ、俺は間違いなく消し飛んでいた。
「京都本部の特別隔離病棟だ。阿蘇のスタンピードが沈静化した後、クレーターのど真ん中で全身血だらけになって倒れている君を、九州の救護班が回収した」
ギルマスはため息をつき、俺の包帯まみれの腕を複雑な表情で見つめた。
「君は、丸三日間、生死の境を彷徨っていたんだ。最高位の回復魔法を何度かけても、細胞そのものが自壊を繰り返していて……一時は本当に駄目かと思ったぞ。
……一体、阿蘇で何があったんだ?」
「……ちょっと、やりすぎました。……悪魔の野郎が、予想以上にしぶとくて」
俺は痛みを堪えながら、自嘲気味に笑った。 エク子の残滓のことは、誰にも話すつもりはなかった。
あいつが最後の力を振り絞って俺の心臓の奥に遺してくれた温もり。それを、ギルドの分析対象になんてさせたくなかった。
「……悪魔?いや、後で詳しくは聞こう。
だが、君のおかげで九州は救われた。
ボスが消滅したことで魔獣たちはダンジョンへ逃げ帰ったよ。
……ギルド連盟も国家も、君をこれ以上『ただの護衛』として隠し通すことは不可能だと判断している」
「……別に、英雄になりたいわけじゃありません。俺はただ……」
そこまで言って、俺はハッとして周囲を見回した。
「……天道、茜さんは? 彼女はどうなったんですか!」
俺が身を起こそうとして激痛に顔を歪めると、ギルマスは慌てて俺の肩を押さえつけた。
「動くな! 無理をすればまた傷が開くぞ!」
「彼女は……天道さんは、あの後……ッ」
「……落ち着け。彼女なら、君の三つ隣の病室で今も静かに眠っている。
身体の傷は回復したが……精神的なショックが大きすぎてな。今は医療チームが付きっきりでケアに当たっている」
ギルマスの言葉に、俺は全身の力を抜いてベッドに沈み込んだ。
「……そうですか」
「君が目を覚ましたと知れば、彼女もきっと……」 「……いや。俺は、会いに行きません」
俺の拒絶に、マスターが驚いたように目を見張る。
「いいんです。今の俺が会いに行っても、彼女の心を抉るだけだ。
……あの泥の元凶をぶっ壊しても、彼女の魂の傷が消えるわけじゃない。俺の【強欲】は、何でもできるわけじゃないって……今回、痛いほど思い知らされましたから」
俺は、包帯に巻かれた自らの右掌をじっと見つめた。
俺の力は物理的な理不尽をぶっ壊すことはできても、人の心を救うような器用な真似はできない。
今の俺は、まだ彼女を本当の意味で救う強さを持っていない。
「……マスター。退院したら、またドドンキのジャージ、新しいの買わないとですね。今度は五着くらいまとめ買いしておきますよ」
「……フッ。こんな時までジャージのことか。君らしいな」
ギルマスが、呆れたように、しかしどこか安堵したように小さく笑った。
俺は窓の外の青空を見上げた。
九州での死闘は終わった。だが、俺の直感が告げている。
俺が【慈善】の権能を引き出してしまった以上、世界を裏側から弄ぶ『大罪』たちも、そして俺を見下ろしているであろう白衣の『管理者』も、もう俺から目を離すことはないだろう。
(やってやるよ。悪魔だろうが、神様だろうが……俺の平穏を邪魔する理不尽は、全部この手で握り潰してやる)
激痛に軋む身体の奥底で、俺の【強欲】の炎が、次なる闘争を求めて静かに、しかし熱く燃え上がり始めていた。




