異常性の認知
『……ギヒッ。……分かりまシた、ボス。……最高のフルコース、我ガ胃袋ニ、収メテみセマショウ……!』
暴食が巨大な口を三日月の形に歪め、歓喜の涎を撒き散らす。
結城誠という一人の人間は、ついに世界を裏側から支配する巨大な悪意の『敵』と認識されたのだった。
◆
一方、現実世界でもNULLの本拠地でもない、さらに高位の次元。
物理的な形を持たない情報と光だけで構成された絶対領域――無数の半透明のモニターが空中に浮かぶ、純白の空間。
そこでは、世界中のあらゆる事象――魔素の濃度、人口の推移、ダンジョンの発生率、そして個人のステータス変動に至るまでの莫大な情報が、光の滝のように絶え間なく流れ落ちていた。
その空間の一角。白衣のような清潔な制服を纏った数人のシステム監視員たちが、異常を告げるアラート音を前にして色めき立っていた。
『――エラー報告。極東エリア、日本国・九州セクターにて、致命的なロジッククラッシュを観測』
無機質な機械音声が、純白の空間に響き渡る。
監視員は素早く空中で指を滑らせてログを解析し、忌々しげに顔をしかめた。
「極東エリアにて、大罪権能【嫉妬】による異常なパラメーター偽装が発生。
……ここまではNULLの連中の仕業だ。
だがその後――大罪のシステムコア自体が、完全に物理破壊されたというのか」
「報告します。実行者は、識別コード『結城誠』。
さらに、彼の魂の深層から、凍結されていたはずの美徳スキル【慈善】の権能が強制解放された痕跡があります!」
観測手の報告を聞き、監視員の瞳に明確な『敵意』が浮かんだ。
「……結城誠。かつて特級ダンジョンで暗黒龍を討伐した、あの適性ゼロのイレギュラーか。
なぜあの男が、凍結された力を引き出せる!?」
「ログの深層に、かつて処分としたサポートAI、ユニットE-99……『エク子』の残存データを確認しました。
彼女が消滅間際に結城誠の魂に付与した『反逆の鍵』が、今回の【慈善】強制起動のトリガーとなった模様です」
「あのポンコツAIめ……! 完全に消去される前に、人間に肩入れしてシステムの根幹に穴を空けていたとは!」
空中のコンソールを苛立たしげに操作する。 美徳の権能は、システムに過剰な負荷をかける劇薬だ。
それを勝手に引き出し、ステータスの限界を突破するなど、世界の物理エンジンそのものを崩壊させかねない重罪だ。
「結城誠の存在は、現在の我々が構築した『適性とレベルによる秩序』を根本から破壊するものだ。これ以上の放置は許されん」
統括官が冷酷な決断を下し、空中のスクリーンに結城誠の顔写真とステータスデータを表示させた。
「深層に眠る我々の猟犬……『調停者』を地上へ放て。大罪の残党もろとも、あの男を完全に『初期化』するのだ」
監視員たちが一斉にコマンドを入力しようとした、その時だった。
「おーっと、ストップストップ。勝手な真似すんなよ、お堅い役人ども」
突如、背後からひどく軽い、飄々とした声が鼓膜を打った。
監視員は弾かれたように振り返る。
そこに立っていたのは、純白の空間には似つかわしくない、無造作な髪に白い白衣のようなコートを羽織った男だった。
片手には、なぜか湯気を立てるマグカップを持っている。
「か、管理者様……!」
白衣の監視員たちが、一斉に姿勢を正し、深く頭を下げた。
「ご機嫌よう。君たち、仕事熱心なのはいいことだが、俺の『お気に入り』を勝手にフォーマットしようとするのは感心しないなぁ」
「し、しかし管理者様! あの結城誠という個体は、美徳の権能を不正に引き出し、システムの秩序を乱す危険なバグです! 早急に駆除しなければ――」
「バグねぇ」
管理者はマグカップのコーヒーをズズッとすすると、空中に浮かぶ結城誠のステータス画面を指先で弾いた。
「お前ら、ログの表面しか見てないだろ。あいつの魂の格(階位)を見てみろよ」
監視員は目を凝らす。
「魂の階位……まだ、『第4階位』です。本来であれば、神の権能を宿すには最低でも第5階位が必要。
……待ってください。第4階位の器で【慈善】を引き出せば、即座に肉体も魂も耐えきれずに塵となって消滅するはずでは!?」
「そう。俺も前に本人にそう忠告したんだがな。『絶対に起動するな、消滅するぞ』って」
管理者は面白そうに口角を上げた。
「だが、あいつは消滅しなかった。
なんでだと思う? あのポンコツAIの残滓が、器の限界を計算して、本来の『100倍』ではなく『10倍』の出力に無理やりデチューン(制限)したからさ」
「デチューン……? しかし、10倍であろうと、第4階位の器には致死量の負荷です!」
「ああ。だから今頃、あいつは全身の骨と細胞が砕ける激痛にのたうち回ってるだろうさ。
……でも、あいつは『生きてる』んだよ」
管理者は空中のモニターを眺め、愛おしいものでも見るように目を細めた。
「俺たちが定めた『適性』だの『階位』だのっていう絶対のルールを、あいつは気合いと根性、そしてAIの愛ってやつで乗り越えちまった。
……こんな面白いイレギュラー、初期化するなんてもったいないだろ?」
「な、なんと……」
「それに、NULLの連中もあいつを最重要ターゲットに認定したみたいだしな。あいつがどこまで大罪どもを喰らい尽くすか、俺は見届けてみたいんだよ。
……だから、調停者の派遣は却下だ」
(それにセプテムの件もある、どちらにせよ消すのはNOなんだよね)
監視員は悔しげに唇を噛んだが、世界の管理者である彼の命令に逆らうことなどできない。
「……承知いたしました。ですが、もし彼の存在が世界そのものを崩壊させる領域に達した場合は……」
「その時は俺が直接、引導を渡してやるさ」
管理者はマグカップを虚空に置き、ニヤリと笑った。




