嫉妬の消滅
「どうした、人間! 貴様もその力に耐えきれていないではないか!」
俺の異変に気づいたヴァレフォールが、残った力を振り絞り、阿蘇のマグマを全放出するような巨大な炎の槍を生成した。
「共に滅びよ! イレギュラーめ!!」
俺は、迫り来る極大の炎の槍から目を逸らさず、純白の光を纏った右拳を限界まで後ろに引き絞った。
「テメェみたいなセコい悪魔と、一緒に滅んでやる義理はねえよ!」
痛みで千切れそうになる筋肉を強引に駆動させ、俺は大地を蹴り飛ばした。
「これで……終わりだァァァッ!!」
俺は極大の炎の槍を正面から真っ二つに叩き割り、そのままヴァレフォールの胸の中心――ドス黒く脈打つ『嫉妬の大罪コア』めがけて、純白の右ストレートを叩き込んだ。
――ピキッ。
拳がコアに触れた瞬間。
世界から再び音が消え、強烈な閃光が阿蘇のカルデラを昼間のように照らし出した。
「バ、カ、ナ……我、が……こんな、下等な……」
ヴァレフォールの断末魔は、続く爆発音にかき消された。
俺の規格外の一撃が、悪魔公爵の巨体を、そしてその中心にあった『嫉妬』のシステムコアを、完全に粉砕し、光の粒子へと変えて消し飛ばした。
ズドォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
遅れてやってきた凄まじい衝撃波が、空を覆っていた赤黒い瘴気を完全に吹き飛ばし、阿蘇の空に、美しい夜の星空を取り戻した。
◆
数分後。
空を覆っていた瘴気が晴れ、あれほど阿蘇の地上を埋め尽くしていた魔獣の群れも、統率者である悪魔公爵を失ったことでパニックに陥り、蜘蛛の子を散らすようにダンジョンの奥深くへと逃げ帰っていった。
残されたのは、悪魔公爵の最期によって抉られた巨大なクレーターと、静寂だけだった。
「……ハァ、ハァ……ッ」
クレーターの中心。
俺の身体を包み込んでいた純白の極光がフッと消え去った。
その瞬間。
「グ、ァァァァァァッ!!」
修復機能によって無理やり抑え込まれていた全身の痛覚とダメージが、一気に俺の脳髄に押し寄せた。
俺は立ち続けることすらできず、そのまま地面にドサッと仰向けに倒れ込んだ。
♦︎
「痛ぇ……マジで、痛ぇ……」
全身の骨という骨がバラバラに砕け、筋肉がズタズタに引き裂かれているような感覚。息をするだけで、肺から血の味が込み上げてくる。
俺のステータスは元のに戻ったが、この『代償』によるダメージはステータスの耐久値に関係なく、魂の限界を超えた反動として肉体に深く刻み込まれていた。
指一本動かせない……だが、それでも。
「……約束は、守ったぞ」
俺は阿蘇の冷たい夜風を頬に感じながら、満天の星空を見上げた。
これで、天道茜を縛っていた『嫉妬』の呪いの大本は、この世界から完全に消滅したはずだ。
彼女の心の傷がすぐに癒えることはないだろう。それでも、二度と彼女があの理不尽な泥の底に引きずり込まれることはない。
『マスター! バイタル低下中! 意識を保ってください! 今すぐ広域救難信号を――』
トラ子の焦る声が聞こえる。
だが、今の俺にはそれに返事をする気力すら残っていなかった。
「……悪い、少し、寝るわ」
極度の疲労と痛みに耐えきれず、俺の意識は深い泥のような眠りへと落ちていった。
遠くで、九州ギルドの救助ヘリのローター音が、微かに聞こえた気がした。
♦︎
現実世界から完全に隔絶された、次元の底。 灰色の巨大な石柱が無数に立ち並ぶ、神殿のような暗黒の空間――『NULL』の本拠地において、その想定外の異常事態は、絶対的な静寂の中で観測された。
黒曜石で作られた巨大な玉座に深く腰掛けていた『ボス』の目の前で、宙に浮遊していた巨大なホログラムのような魔力盤が、突如として激しいノイズにまみれた。
九州・阿蘇の地下ダンジョンから地上へと這い出た悪魔公爵ヴァレフォール。
その精神に大罪の権能たる『嫉妬』のシステムコアを寄生させ、九州全土を火の海に変える。 計画は、完璧に推移していたはずだった。
悪魔の強靭な魂は嫉妬の権能と見事に同化し、最悪のバグである【能力嫉妬】という規格外の自己バフすら成立させていたのを、この魔力盤越しに確かに観測していたのだ。
あのままいけば、結城誠というイレギュラーの人間をただの肉塊へと変えて粉砕するはずだった。
だが。 パチンッ、という甲高い音と共に、ボスの魔力盤にリンクしていたはずの『嫉妬のシステムコア』からの波長が、たった一瞬の純白の極光の瞬きと共に、完全に『消失』したのである。
「……何……?」
漆黒のローブを目深に被ったボスの口から、かつてないほど動揺に満ちた低い声が漏れた。
ズズズズズ……ッ。
空間が歪み、神殿の太い石柱の影から異形の巨体――『暴食』がズルズルと這い出てきた。
「……ボス。……とても芳醇だった匂いが、フッと消えてしまいました。あの美味しそうな悪魔は、どうなったのでしょうか?」
暴食は腹部の巨大な口からダラダラと涎を垂らしながら、無機質な瞳で首を傾げて問いかけた。
ボスはしばらくの間、沈黙していた。ローブの奥で昏い光を放つ瞳が、粉々に砕け散った魔力盤の光の残骸を凝視している。
「……破壊された」
「……え?」
「敗北したのではない。ただの物理的な破壊でもない。
悪魔の魂ごと、大罪たる『嫉妬』のシステムコアが……この世界から、完全に消し去られたのだ」
ボスの言葉に暴食の瞳は、わずかな驚愕の色が走った。
「システムコアが、消滅……? そんなこと、あり得るのですか? 我々が頂く大罪の権能は、この世界を管理する絶対的な法則の一部。
いくらあの人間が規格外の腕力を持っていようと、法則の概念そのものを『無』に帰すことなど――」
「ああ、不可能だ。本来であればな。大罪のシステムコアを完全に破壊できるのは、それと対を成す、同等以上の神の権能……すなわち『美徳』の力のみ」
ボスは玉座の手すりをギリッと強く握りしめた。
手すりが、凄まじい握力によってミシミシとひび割れ、細かい破片となって床にこぼれ落ちる。
「……結城誠。あの男は、ただステータスが狂っているだけの『バグ』ではなかった。
我らが偉大なるセプテム様を封印し、旧き秩序を守ろうとしている神々……『美徳』の力を継承した、正規の代行者だったということだ」
それは、NULLという組織の前提を根底から覆す、最悪の事実だった。
これまで彼らは結城誠を「厄介な障害物」程度にしか認識していなかった。
京都でエンヴィーの領域を物理的に破壊した時も、ただ異常なステータスによる強引な力技だと判断していた。
しかし、システムコアの完全消滅は、明確な『神の力』の行使を意味している。
「……フ、フフフ……アハハハハハハッ!!」
突如、ボスが玉座で高らかに笑い始めた。 それは狂気すら孕んだ、歓喜と憎悪の入り混じった笑いだった。
「我々の悲願を打ち砕きに来たというのか! セプテム様復活の生贄として、これほど極上の供物はあるまい!」
ボスはバッと立ち上がり、広大な暗黒の神殿に向けて腕を広げた。
「暴食よ! そして闇に潜む我が幹部たちよ! 計画を変更する。
各地のギルドや国家への浸透は一旦後回しだ。我々の最重要目標、そして最大にして唯一の『排除対象』を更新する!」
ボスの怒号が、神殿の石柱をビリビリと震わせる。
「対象の名は結城誠! 次なる大罪を、全戦力を以てあの男の喉元へ叩き込め! あれは、この世界で生かしておいてはならない『絶対の敵』だ!!」




