悪魔との開戦
――ズガァァァァァァッ!!!
黄金色のオーラを纏った俺の右拳が、悪魔公爵ヴァレフォールの魔力障壁をガラスのように叩き割り、その顔面を正確に捉えた。
空気を圧縮したような凄まじい破裂音と共に、上空に停滞していた赤黒い瘴気の雲が、衝撃波だけで綺麗に吹き飛ぶ。
「ガ、ブッ……ァァァァッ!?」
四つの瞳を見開き、理解不能な驚愕を浮かべたまま、ヴァレフォールの巨体が弾き飛ばされる。
音速を遥かに超える速度で斜め下へと墜落した悪魔公爵は、阿蘇の険しい山肌に激突し、巨大な土煙を上げてようやく停止した。
「……チッ。手応えが軽すぎるな」
俺は空中で軽く身を翻し、ふわりと地上へ着地しながら舌打ちをした。
直撃だったはずだが、拳に伝わった感触は、硬い岩を殴ったというより、分厚いゴムまりを殴り飛ばしたような不快なものだった。
『ズ、ズォォォォォォ……ッ』
土煙が晴れたクレーターの中心。
そこには、首が不自然な方向に曲がったヴァレフォールが立っていた。
だが、その傷口からドス黒い『嫉妬の泥』がシュルシュルと溢れ出し、一瞬にして骨格と肉体を元の形へと修復していく。
「キ、サマァァァ……ッ!! よくも、よくもこの公爵たる我に、泥を塗ったなァァァッ!!」
再生を終えたヴァレフォールが、屈辱と怒りに四つの瞳を血走らせて絶叫した。
彼自身の魔力と嫉妬の権能が混ざり合い、周囲の空間がビリビリとひび割れるほどのプレッシャーを放っている。
「泥を塗ったのはテメェ自身だろ。……アイツの残りカスを使ってると思うと、余計に腹が立ってくるぜ」
「ほざけ! 貴様ごとき下等生物が、我が真髄に触れられると思うな! 蹂躙しろ、我が眷属どもよ! この羽虫を一片も残さず消し去れェッ!!」
ヴァレフォールが狂乱の声を上げながら腕を振り下ろす。
その瞬間、地上で防衛線を突破しようとしていた数万の魔獣の群れが、そしてダンジョンのゲートから新たに湧き出してきた無数の下位悪魔たちが、一斉に標的を俺へと変更した。
『ギシャァァァァァッ!!』
『グルルォォォォォォッ!!』
空を覆い尽くすほどの、有翼のガーゴイルや巨大なコウモリの魔獣。
地上からは、ビルほどの大きさがあるミノタウロスや、炎を纏ったサラマンダーが、地響きを立てて殺到してくる。
それはまさに、黒い津波。
上下左右、全方位逃げ場のない数万の群れが、ポツンと立つジャージの男を飲み込もうと牙を剥いた。
「ゆ、結城ぃぃぃッ!! 逃げろ!! お前一人でどうにかなる数じゃない!!」
遥か後方、崩壊しかけた防衛線から、防衛隊長の悲鳴が聞こえた。
常識で考えれば、彼の言う通りだ。
ダンジョンから溢れ出した魔獣の群れは、一流の冒険者の極大魔法すら寄せ付けない。
そんなものが数万もいれば、ただの暴力の飽和攻撃だ。
だが。
「……ちょうどいい」
俺は、迫り来る黒い津波を前に、深く息を吐き出した。
心の中に渦巻く、天道さんを傷つけられたドス黒い苛立ち。
それを発散するためのサンドバッグとしては、これ以上ないほどのお膳立てだ。
「一人残らず、憂い晴らしに付き合ってもらうぜ」
俺は空を覆い尽くす飛行魔獣の群れに向けて、無造作に右拳を引き絞った。
「――飛んでけ」
そして、虚空に向かってただのストレートを放つ。
――ドゴォォォォォォォォォォォンッ!!!!!!
俺の拳が空気を叩き潰した瞬間、大気が極限まで圧縮され、目に見えるほどの巨大な『真空の砲弾』となって爆発的に撃ち出された。
巻き起こした、ただの風圧。
だがそれは、もはや天災そのものだった。
『ギ、ギャァァァァァッ!?』
空を覆っていた数千匹の飛行魔獣たちは、その理不尽な突風の壁に激突した瞬間、木の葉のように為す術なく吹き飛ばされ、遥か彼方の山の向こうへと次々に姿を消していった。
「な……に……っ!?」
下から見上げていたヴァレフォールが、あり得ない光景に息を呑む。
俺はそのまま、地鳴りを立てて突進してくる体長十メートルのミノタウロスの群れへ向けて、ゆっくりと歩き出した。
『ブモォォォォッ!!』
先頭の一体が、俺を丸ごと押し潰そうと巨大な戦斧を振り下ろしてくる。
俺はそれを避けることなく、スッと右手の『二本指』を伸ばして、その巨大な刃をパシッと挟み止めた。
『……ブ、モ?』
「ほらよ」
俺が指先を軽く捻ると、ミノタウロスは巨大な斧ごと綺麗に一本背負いを決められ、背中から大地に激突した。
その凄まじい振動が直下型地震となって周囲に伝播し、後続の魔獣たちが次々とバランスを崩してドミノ倒しのように折り重なっていく。
『ギギィィィッッ!!』
群れの隙間から、下位悪魔数十匹が一斉に呪文を詠唱し、極大の黒炎を束ねて放ってきた。
家屋を容易く灰にする直撃コースの魔法。
だが、俺は飛んでくる炎の塊めがけて、野球の素振りのように右腕を軽く横に薙ぎ払った。
俺の腕が空気を切り裂く風圧だけで、極大の魔法はあっけなく霧散し、光の粒子となって消え去ってしまう。
圧倒的な物理密度は、魔法という概念すらもただの風力で強引にかき消すことができるのだ。
「……ハァ。少しはスッキリするかと思ったが、どいつもこいつも手応えがねえな」
俺は無傷のままジャージの襟を正し、ため息をついた。
ほんの数分。俺が群れの中で少し『暴れた』だけで、数万いたはずの魔獣の軍勢は、大半が吹き飛ばされるか、気絶して折り重なるかして、完全に無力化されていた。
「あ、あ、ああ……」
「なんだよ、あれ……一人で、スタンピードを……?」
遠く離れた防衛線で、結界を破られ死を覚悟していた冒険者たちが、へたり込んだまま呆然と光景を見つめている。
周囲には、もはや俺に近づこうとする魔獣はいなかった。
知性のないはずの獣たちでさえ、本能で「これ以上近づけば消される」と理解し、俺を中心に巨大な空白地帯ができあがっている。
ガタガタと震えながら、後ろへ後ろへと後退っていく悪魔たち。
俺はゆっくりと顔を上げ、山の斜面でその光景を信じられないものを見るように見下ろしている悪魔公爵を真っ直ぐに指差した。
「おい、テメェの自慢の軍隊はこれでおしまいか? 足りねえな。全然足りねえよ」
「き、貴様……貴様ァァァッ!!」
俺の挑発に、ヴァレフォールが全身の泥を激しく泡立たせながら絶叫した。
「人間風情が、我が軍勢をまるでゴミのように……! 許さん! 許さんぞ! その狂った腕力、我が『嫉妬』の泥で根こそぎ吸い尽くして絶望させてやる!!」
ヴァレフォールの背後に、先ほど防衛線の結界を溶かしたのと同じ、いや、それ以上に巨大な赤黒い魔法陣が幾重にも展開されていく。
群れをけしかけるだけでは無駄だと悟り、ついに大罪の権能を乗せた大魔術で俺を直接すり潰す気に切り替えたらしい。
「いいぜ。テメェのその理不尽な泥、真正面から全部ぶっ壊してやるから、かかってこい」
俺はニヤリと好戦的に笑った。
悪魔公爵との、本当の憂い晴らしは、ここからが本番だった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
続きが気になる方はブックマークを。
面白いと思った方は是非評価(★)をお願いします。




