すれ違いと、悪魔の覚醒
お待たせしました。
修正しましたのでよろしくお願いします。
それに伴い前話も修正していますので、よろしければご覧ください。
――「来ないでッ!!」
崩壊した大宴会場の瓦礫の中で、天道茜が上げた悲鳴は、俺の耳の奥にこびりついて離れなかった。
彼女は嫉妬の大罪スキルに支配され、身体の自由を奪われていた。
彼女は自らの意思とは無関係に、エンヴィーの命令のままに数多の冒険者を切り捨て、その命を奪ってきた。
自らの白銀の剣が、見知らぬ誰かの血肉を裂く感触や顔に浴びた温かい血、命乞いをする人々の絶望に満ちた瞳。
それらの光景を、彼女は最も近い「特等席」で、意識を保ったまま見せられ続けてきたのだ。
『私は今まで、たくさんの人を殺めたの……! それがあの男の指示だったとしても、私の剣が、私の手が、罪のない人たちの命を奪った事実だけは消えない!』
彼女は、血の流れていない自らの手を狂ったように擦り、嗚咽を漏らしていた。
『私はもう、人殺しのバケモノなの……! 誠くんに合わせる顔なんて、どこにもないッ……!!』
それが彼女が俺に向けた拒絶の理由だった。
俺のことを嫌いになったわけじゃない、俺が彼女を傷つけたわけでもない。
優しすぎた彼女の魂が、自らの犯した大罪の重さに耐えきれず、自らを罰するために最も会いたかったはずの俺を遠ざけたのだ。
「……結城。救護班が天道さんをヘリに乗せた。
これから直属の治癒術師と精神科医が同乗して、ギルド本部の特別病棟へ搬送する。
彼女の身の安全は俺が保証しよう」
肩を落とし、拳から血が滲むほど強く握りしめたまま立ち尽くす俺の背中に、ギルマスが静かに声をかけた。
だが俺は振り向くこともできず、ただ瓦礫の山を見つめたまま短く「……はい」としか答えられなかった。
「納得がいかないという顔だな」
「……ええ。俺のスキルは、理不尽をぶっ壊すためにあるはずなのに。いざって時に、一番助けたかった人の『心』を救い出すことができなかった」
俺のスキルは神の権能たる大罪スキルすらも物理的に握り潰すことができる、規格外の力だ。
だが、その力でエンヴィーを物理的に粉砕し、呪縛の概念を剥離したところで、彼女の心に刻まれた凄惨なトラウマまでを「なかったこと」にはできなかった。
俺の拳は、彼女の魂の痛みを殴り飛ばすことはできない。
「気にするなとは言わん。だが、お前が呪縛を解かなければ、彼女は今も血に塗れた暗闇の中にいたんだ。
……それに、まだ終わっていないだろう?」
ギルマスの鋭い言葉に、俺はハッと息を呑んだ。
そうだ。終わっていない。
俺が渾身の一撃で粉砕したエンヴィーは、精巧な泥人形のダミーで本体はすでに遠くへ逃げ去っている。
「……アイツがまた、天道さんを狙ってくるかもしれない」
「その通りだ。それに、NULLの別働隊がこの会場の様子を窺っている可能性も高い。
我々ギルドマスターの大部分は、あの泥に魔力を吸い尽くされて疲弊しきっている。
……すまないが結城、お前にはまだ、この場に残って我々の『盾』になってもらわねばならん」
ギルマスの言葉は、冷酷なまでの正論だった。
感情のままに茜さんを追いかけて病院へ向かえば、手薄になったこの会場をNULLの残党に強襲され、日本のトップ冒険者たちが今度こそ全滅するかもしれない。
俺が手に入れたこの力は俺自身をこの場所に縛り付ける最も重い鎖となっていた。
「……分かっています。マスターたちの護衛は、俺が最後までやり遂げます」
俺は深く息を吐き出し、胸の中で燃え盛る黒い殺意と苛立ちを無理やり押し殺した。
エンヴィー。
他者の命を弄び、彼女の心をあそこまで壊したあの下劣な三流手品師だけは、絶対にこの手で地獄の底まで引きずり落とす。
強欲の炎が、決して消えることのない怨念となって心臓の奥底でチリチリと燃え続けた。
♦︎
九州、阿蘇山。
その地下深く、常人であれば数秒で肺が焼け焦げるほどの灼熱と硫黄の臭気が充満するSランクダンジョン『巨獣の奈落』。
赤黒い溶岩が川のように流れる広大な空間の最深部に、巨大な魔獣たちの骨を無数に積み上げて作られた禍々しい玉座が鎮座していた。
そこに深く腰を下ろしているのは、漆黒の山羊の角と、コウモリのような巨大な双翼を持つ上位魔族――悪魔公爵ヴァレフォールだった。
彼はダンジョンというシステムの中で生み出された存在でありながら、極めて高い知性と、人間に対する底知れぬ悪意を持ち合わせている。
配下には数万を超える強力な魔獣と下位悪魔を従え、地上へ進攻するための力を長きにわたり蓄え続けていた。
「……何の用だ、下等な肉塊め」
ヴァレフォールは、玉座の下に立つ異形の巨体――『暴食』を見下ろし、傲慢な声で言い放った。
「我は人間どもの血肉を求めている。貴様のような知性の欠片もない化け物と馴れ合うつもりはない」
「……おや。随分と、お腹が空いているようですねぇ」
暴食は、ヴァレフォールの放つ公爵級のすさまじい殺気を浴びても、一切怯える様子を見せなかった。
抑揚のない落ち着いた声で静かに応じると、丁寧な所作で懐からドス黒い光を放つ結晶を取り出した。
その巨大な口元には涎が浮かんでいるが、瞳の奥には冷徹な知性が隠されている。
「こちら……ボスからの、特別なお届け物です」
暴食がその結晶――『嫉妬の大罪コア』を玉座へ向けて軽く放り投げた。
放物線を描いて飛んできたそれを、ヴァレフォールは片手で容易く掴み取る。
「ほう……? ただの魔石ではないな。ひどく淀んで、ドロドロとした情念のようなものを感じる。……これが、我への貢ぎ物だと?」
「ええ。それを召し上がれば……さらに極上の味わい(チカラ)を得られるでしょう。
もっとも、強烈な嫉妬というスパイスに、あなたの理性が耐えられればの話ですが」
「愚鈍な肉塊が、我を侮るな。いかなる呪いであろうと、公爵たる我が精神を侵せるものか」
ヴァレフォールは鼻で嗤い、手にした嫉妬のコアを無造作に自身の口へと放り込み、鋭い牙でガリッ、と噛み砕いた。
その瞬間だった。
「――ッ!!? ガ、ァァッ!?」
ヴァレフォールの巨体が、玉座の上で大きく痙攣した。
彼の全身から、噴火山のようにドス黒い瘴気が噴き上がり、背中の漆黒の翼がドロドロに溶け落ちていく。
他者の持つすべてを妬み、奪い、食い尽くす。その大罪の権能が、悪魔の魂を強制的に書き換え、自我を飲み込もうと荒れ狂う。
「グ、ォォォォ……ッ! 小賢しい、人間の矮小な呪いごときが、この公爵たる我の魂を……ッ!」
だが、彼はエンヴィーのような脆弱な器ではなかった。
人間に対する純粋な悪意と、上位魔族としての絶対的な矜持。
ヴァレフォールは自らの内側で暴れ回る『嫉妬』の呪縛を、己の強靭な精神力と圧倒的な魔力で力ずくでねじ伏せ、逆に自らの力として統合し始めたのだ。
「……フ、フフフ……ハハハハハハッ!!」
やがて、瘴気の渦の中心から、理性を保ったままの低く邪悪な笑い声が響き渡った。
黒い泥が晴れた玉座の上に立っていたのは、知性を失った怪物などではない。
漆黒の翼はより鋭利で禍々しく変貌し、その端正な顔立ちには、人間を冷酷に見下す『公爵』としての理性を完璧に保ったまま、底知れぬ嫉妬のオーラを纏う悪魔の姿があった。
「素晴らしい。……他者の光を妬み、すべてを泥へと引きずり下ろす理不尽なまでの情念。この究極の悪意こそ、我ら悪魔の王に相応しい」
ヴァレフォールは己の掌に集束する漆黒の炎を見つめ、陶酔したように目を細めた。
「……おや。悪魔の自我は、大罪の呪いすらも凌駕するのですね。これは、極上のフルコースが期待できそうです」
暴食はその様子を満足げに見届けると、抑揚のない声で静かに呟き、そのまま空間の闇へとズブズブと姿を消した。
「目覚めよ、我が眷属たち! 地上の愚かな人間どもから、その平穏を、命を、未来を……すべて奪い尽くしてやろうぞ!」
ヴァレフォールが優雅に腕を振り上げると、奈落の底で眠っていた数万の巨獣たちが、一斉に目を覚まして狂乱の叫びを上げた。
今、九州の地下で、世界を終わらせる巨大な『迷宮氾濫』が、地上へ向けてその顎を開こうとしていた。




