白銀の刃と、届かない呼び声
――キィィィィンッ!!!
大気を切り裂くような甲高い金属音が、大宴会場の空間そのものを揺らした。
超音速の突進から放たれた天道さんの白銀の刃。
嫉妬の権能である漆黒の炎を限界まで圧縮したその必殺剣は、俺の首元を寸断する直前、俺が交差させた両腕に激突して完全に停止していた。
凄まじい衝撃波が円状に広がり、周囲の粉砕された円卓の破片や、倒れていた冒険者たちを木の葉のように吹き飛ばす。
足元の分厚いコンクリートの床が、俺たちを中心にすり鉢状に陥没した。
「……ッ、昔と変わらず、すごい踏み込みしやがる」
俺は両腕に押し付けられた剣刃を睨みつけながら、短く息を吐いた。
かつて天才と謳われた彼女の剣術は、エンヴィーの泥によって変質させられてはいるものの、その根底にある圧倒的な『技の冴え』は健在だった。
力任せだった先ほどのAランク冒険者とは次元が違う。
俺を一瞬欺くほどの、完璧な死角からの斬撃だった。
「……ッ!!」
茜が、感情の抜け落ちた虚ろな瞳のまま、唸り声を上げて剣を押し込んでくる。
漆黒の炎が俺の腕を焼き焦がそうと荒れ狂うが、俺の肉体には、熱さすら伝わってこない。
「アハハハハ! いけ、茜! そのままそいつの腕ごと首を切り落とせェ!!」
遠くで、エンヴィーが狂ったように喚いている。
俺は交差させた腕を力強く弾き返し、天道さんの体勢を崩した。
「はぁぁッ!!」
だが、茜は空中で姿勢を立て直すと、壁を蹴って再び神速の刺突を放ってきた。
上段、下段、左薙ぎ、右袈裟懸け。
黒い炎の軌跡が幾重にも重なり、まるで巨大な檻のように俺を包み込む。
俺はそのすべてを、ただ素手で弾き、逸らし、受け流し続けた。
ガキンッ! ギィンッ! ドドォォンッ!!
ホテルの最上階が、二人の攻防の余波だけで次々と崩壊していく。
天井が崩れ落ち、外の蒸し暑い夜風がホールに吹き込んできた。
茜の剣撃は鋭く、そして重い。
だが、その剣を交えるたびに、俺の掌には彼女の魂が上げている『悲鳴』が伝わってくるようだった。
(無理やり魔力を引き出されているのか?このままだと、天道さんが壊れる……)
俺は、茜が大上段から振り下ろしてきた渾身の一撃を、両手で真剣白刃取りのように挟み込んで受け止めた。
動きが完全に停止し、互いの顔が至近距離で交差する。
「天道さん! 目を覚ましてくれ!! 俺だよ、結城誠だ!!」
俺は、剣を挟み込んだまま、彼女の虚ろな瞳に向かって力の限り叫んだ。
嫉妬の泥に染まりきった彼女の心に、少しでも届くように。
だが、彼女の白い肌を這い回る黒い脈が、不気味に蠢く。
だが、俺は構わずに言葉を紡ぎ続けた。
無力だった俺が彼女と過ごした、あの温かい記憶を。
「図書室で、一緒にダンジョンの本を読んだだろ! ショッピングモールで迷って、一緒にプリントシールを撮ったじゃないか! なあ、思い出してくれ、天道さんッ!!」
俺の必死の呼びかけに。
ピクリ、と。
茜の虚ろだった瞳の奥で、ほんの僅かに『光』が揺らいだ。
「マ、コト……? まこと、くん……?」
機械のようだった声に、微かな震えが混じる。
剣を押し込む彼女の力がフッと弱まり、漆黒の炎が僅かに萎縮した。
彼女の頬を、一筋の透明な涙が伝い落ちる。
「そうだ! 天道さん、俺だ! 今すぐそこから助け出すから――」
俺が彼女の手首を掴み、泥の呪いを直接引き剥がそうとした、その瞬間だった。
「……チッ。不良品め、何を一丁前に自我を取り戻そうとしているんだい?」
瓦礫の向こうで、エンヴィーが忌々しげに舌打ちをし、パチンと指を鳴らした。
「ア、ガァァァァァッ!!??」
突如、茜が鼓膜を裂くような絶叫を上げた。
彼女の全身を覆っていた黒い脈が、まるで有刺鉄線のように太く膨れ上がり、彼女の肉体にギリギリと深く食い込んだのだ。
首筋から顔の半分にまで、ドス黒い泥が無理やり這い上がり、先ほど見せた微かな涙も、自我の揺らぎも、すべてを黒く塗り潰していく。
「あ、やめ……まこと、逃げ、て……アァァァァッ!!」
ほんの一瞬だけ取り戻した彼女の自我は、大罪の呪いという圧倒的な暴力の前に、再び深く、暗い泥の底へと沈められてしまった。
「無駄だ無駄だァ! 僕の『嫉妬』は骨の髄まで染み込んでいる! 過去の思い出だの絆だの、そんなくだらないもので僕の権能が解けるわけないだろうが!!」
エンヴィーの嘲笑が響き渡る。
完全に支配下へと戻った茜の瞳は、先ほどよりもさらに深い虚無へと染まり、その口からは呪詛のような唸り声だけが漏れ出ていた。
彼女は俺の手から強引に剣を引き抜くと、一切の躊躇なく、俺の心臓めがけて極大の漆黒の炎を放ってきた。
ズドォォォォンッ!!
直撃。
俺の身体は後方へと吹き飛ばされ、崩れかけた壁を突き破って、隣の部屋の瓦礫の山にまで叩き込まれた。
「アハハハハハ! 見たか! これが僕の最高傑作だ! そのまま跡形もなく燃やし尽くせ、茜!!」
狂喜乱舞するエンヴィー。
茜は無表情のまま剣を構え直し、トドメを刺すために俺が吹き飛んだ瓦礫の山へとゆっくりと歩み寄っていく。
――ザクッ、ザクッ。
静まり返った空間に、瓦礫を踏みしめる足音が響く。
天道さんの足音ではない。
「……くそ、やっぱり言葉なんかじゃダメか」
もうもうと立ち込める土煙を切り裂いて、俺はゆっくりと立ち上がった。
ジャージの胸元が少し焦げて破れていたが、俺の肉体には、かすり傷一つついていない。
ただ、俺の心臓の奥底で燃え盛る炎は、これ以上ないほどに危険な温度へと達していた。
言葉で呼びかけても、呪いは解けない。
想いを伝えても、この泥は彼女を解放してくれない。
なら、どうするか。
「……なら、力ずくでその呪いごと、テメェをこの世界から引き剥がすしかねえな」
俺は、破れたジャージの襟を乱暴に引きちぎり、ギリッと奥歯を噛み鳴らした。
『マスター。対象の呪縛深度は極めて深層に達しています。通常の引き剥がしでは、対象の魂ごと破壊してしまう危険性があります』
トラ子の警告が脳内に響く。
(分かってる。だから、ミリ単位の調整で『呪いの概念』だけを直接ブチ抜く)
『ふははっ! よいぞ宿主! あの気に食わん泥ごと、わらわの力で根こそぎ強奪してやれ!』
俺は、無感情なままこちらへ向かってくる天道さんを見据え、深く腰を落とした。
もう、手加減をして防戦一方に回る時間は終わりだ。
ここから先は、俺の強欲が、嫉妬のすべてを喰らい尽くす番だった。




