最悪の再会
ギリィィィッ……!!
静まり返った大宴会場に、分厚い鋼が軋むような異音が響き渡った。
『嫉妬』のエンヴィーによって操り人形と化していたAランク冒険者の大剣。
漆黒の炎を纏い、凄まじい神速と重量で振り下ろされたその必殺の一撃は完全に停止していた。
「あ、ガ……ッ!? オォォォッ!!」
巨体の冒険者が、獣のような咆哮を上げて腕を丸太のように膨張させる。
だが、無駄だった。俺の指先はミリ単位すら押し込まれない。
「な、なんだあの男は……!?」
「素手で……いや、指二本で、あの神速の斬撃を止めたというのか!?」
泥に沈みかけていた各地方のギルドマスターたちが、信じられないものを見るように目をひん剥いている。
「ふ、ふざけるな……! なんで僕の『嫉妬の泥』が効かない!? お前がどれだけ防御スキルを張ろうと、泥に触れればすべての魔力を吸い取られるはずだぞ!」
エンヴィーが、仮面の奥で血走った目を剥き出しにして叫んだ。
彼の言う通り、周囲の冒険者たちは泥に触れただけで魔力を奪われ、無力化されている。
だが、俺にはそんな理屈は通用しなかった。
「魔力を吸い取る? ……なら、最初から『魔力なんて一切使ってねえ』俺には無意味だな」
「は……? 魔力を使ってない……?」
エンヴィーが間抜けな声を漏らす。
俺の適性はゼロだ。
魔法も使えなければ、魔力で身体を強化する技術も持っていない。
この大剣を止めているのは、ただ純粋な『素の腕力』だけだった。
「他人の力をかすめ取ることしかできねえテメェの泥じゃ、俺のステータスは1ミリも減らせねえよ」
左手でAランク冒険者の顔面にへばりついている『黒い泥』を直接ガシッと鷲掴みにした。
「な、にを……ッ!?」
「【存在強奪:概念剥離】」
パキィィィンッ……!!
俺が左手に力を込めた瞬間、冒険者を縛り付けていた実体のないはずの『泥』と『炎』の呪いが、強引に物理的な物質へと変換され、固定化された。
そして次の瞬間、俺の握力によってガラス細工のようにあっけなく握り潰され、粉々に粉砕されて空中に散ったのだ。
呪縛の概念そのものを破壊され、解放されたAランク冒険者は、白目を剥いて糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
極度の疲労で気絶しているが命に別状はなさそうだ。
「な……に……? 僕の呪いが……砕け、た……?」
自らの絶対的な権能が、ただの物理攻撃で握り潰された。
その理解不能な光景を前に、エンヴィーはステッキを取り落としそうになりながら、一歩、二歩と後退った。
俺は気絶した冒険者を跨ぎ、泥の海となっている会場の床を、ザクッ、ザクッと無造作に歩き始めた。
「ヒィッ……! く、来るな! 近づくなァァッ!!」
エンヴィーがパニックに陥り、両手を振り回した。
周囲の泥沼が大きく波打ち、そこから鋭利な黒い槍が無数に形成される。
それが、俺めがけて全方位から雨あられと降り注いだ。
一本一本がSランクの魔物を容易く串刺しにするほどの威力と速度を持った、必殺の豪雨。
ガガガガガガガガガガッ!!!
無数の泥の槍が俺の全身に直撃し、鼓膜を破らんばかりの衝撃音がホールに響き渡る。
周囲のギルドマスターたちが「ああっ!」と絶望の声を上げた。
だが、土煙が晴れた後。
そこには、ジャージに傷一つ、汚れ一つつけず、全く同じペースで歩き続けている俺の姿があった。
魔力を吸えないエンヴィーの攻撃など、俺からすればただの泥遊びに過ぎない。
俺の肉体を貫通することなど、天地がひっくり返ってもあり得なかった。
「あ、あ……?」
エンヴィーの喉から、間の抜けたカエルが潰れたような音が漏れた。
「痛くも痒くもねえな。……もうテメェの芸は品切れか?」
「バ、バケモノ……! 誰だ、お前は一体誰なんだ!!」
「通りすがりの、ただの護衛だよ」
ダンッ! と床を踏み抜き、俺はエンヴィーの目の前へと一瞬で肉薄した。
驚愕に目を見開く男の顔面めがけて、俺は威力を極限まで殺した右の平手打ち(ビンタ)を、一切の容赦なく振り抜いた。
――バチィィィィィンッ!!!!
「ガ、ブハァッ!?」
空気を裂く破裂音と共に、エンヴィーの身体は独楽のように横回転しながら吹き飛んだ。
凄まじい勢いで円卓を派手に粉砕し、そのままホールの奥の壁へと激突する。
壁面に巨大なクレーター状のヒビが走り、豪華な装飾画がバラバラと崩れ落ちた。
「ア、ァ……ガァァァッ! 痛い! 痛いィィィッ!! 僕の、美しい顔がァァッ!!」
瓦礫の中から這い出してきたエンヴィーは、顔を押さえて絶叫した。
俺のビンタによって、顔の半分を覆っていた奇妙な仮面が粉々に砕け散っていたのだ。
露わになったその素顔は、目鼻立ちが異常に歪み、まるで粘土細工を失敗したかのようにのっぺりとした、不気味極まりないものだった。
他者の才能や美しさを妬み、奪い続けた末にたどり着いた、彼自身の醜悪な魂の形そのもの。
「ひどい……ひどい! よくも僕の顔を! 絶対に許さない……! 殺してやる、お前だけは絶対に殺してやるゥゥッ!!」
完全に理性を失い、狂乱したエンヴィーが、自らの顔を掻きむしりながらドス黒いオーラを爆発させた。
会場を覆っていた泥の海が、まるで嵐の夜の海面のように、かつてないほどの激しい波立ちを見せる。
『マスター。対象の魔力波長が急速に膨張しています。泥を媒介にした空間転移のゲートが開きます!』
『ふははっ、来るぞ宿主! おそらく奴の切り札……一番手のかかった『おもちゃ』のお出ましじゃな!』
脳内の警告と同時に、エンヴィーの足元に巨大な黒い渦が出現した。
「やれ……殺せ! 僕のコレクションの最高傑作!! 茜ェェェッ!!」
エンヴィーが血を吐くような声で叫んだ。
その瞬間、泥の渦の底から、一人の女性がゆっくりと浮き上がってきた。
会場の空気が、一瞬にして凍りついた。
周囲で倒れていたエリート冒険者たちや、各地方のマスターたちが、その姿を見て息を呑む。
「あ、あれは……!?」
かつて、冒険者候補としてその才能を称賛され、輝かしい未来を約束されていた少女。
だが、目の前に現れた彼女の姿は、あまりにも痛々しく、おぞましいものへと変わり果てていた。
美しい髪は泥に汚れ、本来なら快活に笑っていたはずの瞳からは、光も、意思も、感情も、すべてが完全に抜け落ちている。
彼女の白い肌には、先ほどのAランク冒険者とは比べ物にならないほど濃密な、呪いの黒い脈が全身を這い回っていた。
来る日も来る日も、エンヴィーの泥の底で意思を奪われ、文字通り『操り人形』として使役され続けてきたのだ。
「……天道、さん」
俺の口から、無意識のうちにその名前が漏れた。
誰からも見捨てられていた俺をただ一人見捨てず、その守ってくれた、太陽のように眩しかった人。
「アハハハハ! そうだ、やれ茜! お前は僕の命令を聞くことしかできない、哀れで可愛い人形だ! そのジャージのゴミ虫を、一瞬で八つ裂きにしてしまえ!!」
エンヴィーの狂った命令が下る。
茜さんが、感情のない虚ろな瞳を俺に向けた。
そして、その手に握られた白銀の剣に、これまでのどんな攻撃よりも巨大で、ドス黒い『漆黒の炎』が限界まで圧縮されていく。
かつての彼女の純粋な剣術の才能が、悪意の炎によって最悪の形で研ぎ澄まされた、絶対の必殺剣。
「……はい。エンヴィー様の、仰る通りに」
冷たい機械のような声が響いた瞬間。
ドンッ!! と、茜さんの足元の床がクレーター状に陥没した。
彼女の姿が、文字通り視界から『消えた』。
空間すらも切り裂き、大気を悲鳴のように甲高く鳴らす、大罪のバフを乗せた超音速の突進。
俺の心臓の奥底で、かつてないほどの激しい怒りと、絶対に彼女を取り戻すという感情の炎が、爆発的な勢いで燃え上がった。




