全国ギルド会議に向けて
翌日の昼下がり。冒険者ギルド東京本部の最上階。
ギルドマスターである片桐の執務室の高級ソファに、俺は深く腰を下ろしていた。
「……で、第4廃材置き場をアジトにしていた『怠惰』の幹部たちを、一人でボコボコにしてきたと」
片桐マスターが、酷い頭痛を堪えるようにこめかみを押さえながら確認してきた。
「ええ。向こうから喧嘩を売ってきたので、ただの正当防衛ですよ。まあ、少しばかり昼寝に付き合わされましたけどね」
俺がドドンキのレジ袋をガサガサと弄りながら答えると、マスターは深大なため息をついた。
「なんかもうお前が我々の理解が及ばない規格外なのは知っているが、詳細がよく分からないNULLの幹部を制圧するとはな。
……それで、有益な情報は得られたのか?」
俺はスロースから物理的にも精神的にも絞り出した情報を、マスターに伝えた。
来週、京都で開催される『全国ギルド会議』。そこに、因縁の相手である『嫉妬』が襲撃を仕掛ける予定だということ。
そして奴の目的が、日本トップクラスの冒険者たちの身体を奪い、自分の名声を轟かせることだということも。
マスターの顔に、これまでにないほど険しい皺が刻まれた。
「全国会議……間違いない。俺も来週、その会議に出席するために京都へ向かう予定だった。
日本中のSランク、Aランクギルドのトップが一堂に会する場だ。そこを狙い撃ちにするとは、奴らも本気でこの国の裏社会を乗っ取る気らしい」
「だから、俺も京都に行きます。奴は天道さんを奪い去りました……絶対に逃がしません」
俺の言葉に宿る確かな殺気を感じ取ったのか、マスターは腕を組み、鋭い眼光で俺を見つめ返した。
「……わかった。だが、会議の会場は厳重なセキュリティが敷かれている。
いくらお前でも、関係者以外がフラリと立ち入れるような場所ではないぞ」
「力ずくで突破してもいいですが、それだと後々面倒なことになりそうですからね。マスター、何かいい案はありませんか?」
マスターは少しの間考え込み、やがてニヤリと口角を吊り上げた。
「ならば結城、お前を俺の『専属護衛』として雇おう。
ギルドマスターには、数名の護衛を会場に帯同させる権利がある。
まぁ正直護衛はいらないけどな。
だが俺の直属の護衛という名目なら、会場のど真ん中だろうと堂々と入れるはずだ」
「なるほど。それは好都合ですね」
「出発は三日後だ。準備を整えておけよ。
相手は日本のトップ層が集まる場だ、少しは……その、身だしなみというものを考えてこい」
俺のジャージをチラリと見て、マスターが釘を刺すように言った。
「わかっていますよ。ちゃんと『正装』で行くので安心してください」
俺は短く頭を下げ、執務室を後にした。
◆
三日後。東京駅の新幹線ホーム。
夏の帰省客や出張のサラリーマンでごった返す中、俺は約束通り『正装』でマスターと合流した。
「……結城。俺は確かに、身だしなみを整えろと言ったはずだが」
オーダーメイドの高級スーツをビシッと着こなしたマスターが、顔を引き攣らせて俺を睨み下ろしていた。
「え? なんですかマスター、俺なりに気を使って、一番良いやつをおろしてきたんですよ」
俺が着ていたのは、衣料品コーナーで買ってきた、上下セットで2980円の『黒色に金のラインが入ったジャージ』だった。
いつもの1980円のジャージから1000円もグレードアップした、俺にとっての最高級のフォーマルウェアだった。
(スーツで来ようとしたけど、高いし破れると辛いからなぁ……やっぱりこれが一番だ)
「……お前の常識を疑った俺が馬鹿だった。まあいい、目立たないように俺の後ろを歩け」
マスターは諦めたようにため息をつき、グリーン車の車両へと足を踏み入れた。
新幹線の座席に深く沈み込み、俺はドドンキの袋から取り出した駅弁を開けた。
窓の外を、ものすごいスピードで景色が流れていく。
『マスター、現在時速285kmです。この速度のまま窓を突き破って外に飛び出しても、現在のマスターの【耐久】なら、傷一つなく着地することが可能です!』
『ふははっ! 退屈なら、わらわがこの鉄の箱ごと持ち上げて、京都まで走って運んでやろうか!』
脳内で、トラ子とグリ子が騒がしく話しかけてきた。
スロースから『怠惰』のスキルを強奪し、魂の格が第四階位に上がったことで、彼女たちのシステム制限が大きく解放されていた。
その結果、演算能力が跳ね上がったのはいいのだが、自己主張まで激しくなり、こうして暇さえあれば話しかけてくるようになってしまったのだ。
(……お前ら、頼むから少し静かにしてろ。弁当の味がわからなくなる)
俺は心の中で二人にツッコミを入れながら、冷めた唐揚げを口に放り込んだ。
だが、この騒がしさも悪くはない。
完璧に最適化されたあの偽物の箱庭では、こんな風に小言を言ったり、くだらない冗談を言い合ったりすることはできなかった。
あとは、エンヴィーをぶちのめして格を上げるだけだった。
◆
約二時間後、新幹線は京都駅に到着した。
改札を抜けると、東京とはまた違う、古都特有の蒸し暑い空気が肌にまとわりついてくる。
駅の周辺には、明らかに一般人とは違う、屈強なオーラを放つ者たちの姿が散見された。
「着きましたね。会場のホテルはここからすぐですか?」
マスターの先導で、俺たちは国内最高級と名高いホテルのエントランスへと向かった。
そこには、全国から集まったSランクやAランクのギルドマスター、そして彼らが引き連れてきたエリート冒険者たちが続々と集結していた。
皆、一目で特注品とわかるミスリル製の防具や、国宝級の魔道具を身につけ、自らの力を誇示するように肩で風を切って歩いている。
そんな中、筋骨隆々のマスターの背後を、黒に金ラインのジャージを着た俺が、ドドンキのレジ袋をぶら下げて歩いているのだ。
当然のように、周囲から嘲笑と侮蔑の視線が集中した。
「おい、見ろよアレ……片桐の旦那の護衛か?」
「なんだあの貧乏くさいジャージ男は。冒険者の風上にも置けないな」
「東京本部のマスターともあろうお方が、あんな底辺の荷物持ちを連れてくるとは。人材不足も極まっていると見える」
聞こえよがしな嫌味が、あちこちから飛んでくる。
エリート意識の塊のような連中からすれば、俺の姿は神聖な会議の場を汚すゴミのように見えているらしい。
『……マスター。対象者たちから、敵意と侮蔑の感情波長を多数検知。排除しますか?』
『ふん、己の矮小な器もわきまえぬ雑魚どもが。宿主よ、わらわの強欲で奴らのその見栄っ張りな防具ごと、身ぐるみを剥がしてやろうぞ』
(やめろ。俺たちはあくまで護衛だ、面倒事を起こすな)
俺は頭の中で息巻く二人をなだめながら、全く意に介さずあくびを一つ噛み殺した。
こんな連中にどう思われようが、俺の知ったことではない。
ここで吠えているエリート連中が束になってかかってきても、デコピン一発で全滅させられるだけの力があるのだから、余裕しかなかった。
俺の目的はただ一つ。この会場に現れるであろう、エンヴィーを倒すことだけだった。
♦︎
一方その頃、ホテルの会場からほど近い、京都の某所。
薄暗い高級ホテルのスイートルーム。
そこに、ひどく場違いな男が立っていた。
黒い燕尾服に身を包み、傍らのテーブルには奇妙な仮面とステッキを置いている。彼こそが、『嫉妬』のエンヴィーだった。
「いいなァ……集まっているなァ、日本中の優秀な冒険者どもが。自らの才能と努力を過信し、ふんぞり返っている愚か者たちが」
エンヴィーは、窓から見下ろす会議場の方角へと赤ワインのグラスを掲げ、歪な笑みを浮かべた。
「アァ、素晴らしいからこそ……妬ましい。
お前らのその名声も、地位も、そして鍛え上げた力も……すべてはこの僕の『コレクション』にするための貢ぎ物にすぎない。
才能に胡坐をかいている奴らは、一人残らず引きずり下ろしてやる。
……なぁ、そう思うだろ? 茜」
エンヴィーが背後を振り返ると、そこには一人の女性が虚空を見つめて立っていた。
かつて、その類まれなる剣の才能を周囲から期待されていた冒険者候補――天道茜だった。
だが、その瞳に、かつての快活で優しい光は一切なかった。
光を完全に失った淀んだ双眸。
意思を微塵も感じさせない、まるで糸の切れた操り人形のような立ち姿。
そして何より異様なのは、彼女の白い肌や衣服のあちこちに、呪いのようにべったりとへばりついている『黒い泥』だった。
幾年もの間、彼女は自らの意志を完全に奪われ、嫉妬の権能によって使役されるだけの絶対の『操り人形』と化していた。
その長すぎる年月のせいで、彼女の清廉だった魂は、エンヴィーの放つ嫉妬の泥に骨の髄まで染め上げられてしまっていたのだ。
「……はい。すべては、エンヴィー様の仰る通りに」
感情の抜け落ちた、冷たい機械のような声で茜が答えた。
「おお、ブラボー! 素晴らしい返事だ、僕の可愛いお人形さん。
あの時を思い出すなァ……。
あの日僕よりも称賛を浴びていた君の才能を、この泥で叩き潰した時の快感……アァ、本当に最高だったなァ!」
男の瞳の奥で、ドス黒い狂気と嫉妬の炎が燃え上がる。
「今度は、あそこに集まる連中に対して……極上の『嫉妬』を味わいたいのサァ!」
己の野望を打ち砕く男がジャージ姿で自分を狩るためにすぐそこまで迫っていることなど、彼はまだ知る由もなかった。




