怠惰との戦い3
だが、俺は陥没した鉄のクレーターの中心で、膝をつくことすらしていなかった。
「……回避不能、か」
俺は、上からのしかかる莫大な重圧を全身で受け止めながら、ゆっくりと、しかし確実に首を上げて、目の前の二人を睨み据えた。
「確かに重い。普通の奴ならペシャンコだな。……だがな」
ミシ……ミシ……。
俺の全身の筋肉が、異常なほどの熱を持ち、歓喜するように軋みを上げた。
「暗黒龍のブレスに比べりゃあ、こんなモン、肩こりのマッサージにもなりゃしねえんだよ!!」
「……なっ!?」
ローファーの虚ろな目が、極限の驚愕に見開かれた。
俺は重力結界を強引に引き裂くようにして、ゆっくりと右腕を振り上げる。
『ふははははっ! 馬鹿めが! わらわの宿主の筋力を舐めるな! その程度の重さ、羽毛布団と変わらぬわ!』
グリ子の高笑いと共に、俺は握りしめた右拳を、虚空めがけて思い切り振り下ろした。
狙いはローファーの肉体ではない。彼が展開している『重力の結界』そのものだ。
「【存在強奪:概念剥離】……!!」
ドンッ!!!!
俺の拳が虚空を殴りつけた瞬間、空間そのものに亀裂が入ったような凄まじい衝撃音が響き渡った。
概念剥離の力が、ローファーの放つ『怠惰の重力』という事象そのものを、粉砕し根こそぎ剥ぎ取ったのだ。
パリンッ! というガラスの割れるような音と共に、俺を縛り付けていた重圧が嘘のように消え去った。
「ウソだろ……!? 俺の重圧が、力ずくで破られ……ッ!?」
「隙だらけだぜ、毛布野郎」
重力から解放された俺の身体は、圧縮されたバネが弾けるように、爆発的な速度でローファーの懐へと飛び込んでいた。
「しまっ――」
ローファーが防御の魔法を展開するよりも早く、俺の右の掌底が、彼の顎を正確に打ち抜いた。
脳を直接揺らされる強烈な一撃。
ローファーの身体はコマのように錐揉み回転しながら宙を舞い、数十メートル先のスクラップの山に激突して、そのまま白目を剥いて完全に沈黙した。
「ろ、ローファー!? 嘘でしょ、あいつの防御が……!?」
残されたレイジィが、信じられないものを見るように後退りする。
彼女は慌てて抱き枕を掲げ、再びピンク色の催眠波を放とうとした。
「も、もう一回! 【催眠のあく――」
「寝言は寝て言え」
俺の姿は、すでにレイジィの背後へと回り込んでいた。
彼女が振り向く暇すら与えず、俺は手刀をレイジィの首筋――頸動脈へと寸止めで叩き込んだ。
トンッ。
衝撃を極限まで殺した、気絶させるためだけの正確な一撃。
「あ……れ……? アタシ、まだ、ねむ……」
レイジィの言葉は最後まで続かなかった。
彼女は抱き枕を落とし、そのまま糸が切れた操り人形のように、ドサリと鉄くずの上に崩れ落ちた。
「……ふぅ。これで前座は終わりだな」
俺は小さく息を吐き、黄色いジャージの乱れを直した。
時間にして、わずか数分。
スタブルに続き、スロースの自慢の側近二名も、俺の拳の前にあっけなく沈んだ。
格が上がったことで、概念剥離の出力と燃費が劇的に向上しているのが実感できる。
俺は倒れた二人に一瞥もくれず、中央の天蓋付きベッドへと向き直った。
「おい、スロース。お前が自慢してたエリートとやらは、全員仲良くお寝んねしちまったぞ」
俺が声をかけると、ベッドの上で横になっていたスロースが、ゆっくりと上体を起こした。
「……はぁ。本当に、使えない奴らだなぁ」
スロースは、倒れた二人の側近を心配する素振りすら見せなかった。
ただ、自分の安眠を妨害されたことへの苛立ちと、計算が狂ったことへの不快感だけが、そのトロンとした目に色濃く浮かんでいた。
「純粋な力で粉砕して、デバフは君のそのおかしな力で破る。
……なるほどね。スタブルくんの時もそうだったけど、君、本当にデタラメだね」
スロースはベッドから降り、素足で地面の上に立った。
黒いシルクのパジャマの裾が、風もないのに不気味に揺らめいている。
「仕方ない。僕から直接手を下すのは本当に嫌なんだけど……君には、特別に僕の『本気』を見せてあげるよ」
スロースの足元から、インクをぶち撒けたような漆黒の魔力が、波紋のように地面を這って広がっていく。
それは周囲の熱を奪い、光を歪め、空間そのものの色をドス黒く塗り替えていくようだった。
『マスター……! 敵の魔力波長が、先程までとは桁違いのレベルで膨張しています!』
『チッ……! 腐りきった怠惰の泥が、ついに底の底まで顔を出しおったか……!』
トラ子とグリ子の警告が鳴り響く中、俺は拳を握り直し、目の前の男を鋭く睨み据えた。
スロースのトロンとした目が、初めて底知れぬ狂気と、絶対的な停滞の光を宿して俺を捉えた。
「ようこそ、永遠の眠りの底へ。……展開、【大罪領域:怠惰なる者の玉座】」
男の静かな声が響いた直後、俺の視界は、逃げ場のない完全な漆黒の闇へと飲み込まれていった。




