怠惰な刺客2
髭……?
なんか迷走してる気が……
重厚なドアをノックし、「結城です」と声をかけると、中から「入れ」という地の底から響くような低い声が返ってくる。
「お邪魔します」
「結城か。……相変わらず、安っぽいジャージ姿だな」
デスクの向こうで、腕組みをして座っていたのは、ギルドマスターの片桐豪だった。
「服に金かける趣味はないんですよ。それより、ちょっと報告しておきたいことがあって来ました」
俺は来客用の高級な革張りソファに腰を下ろして昨夜の出来事を話す。
俺のアパートの周囲を囲んだ十人の刺客のこと、そして『怠惰』のスロースからの接触について、手短に説明した。
話を聞き終えた片桐の顔に、険しい皺が刻まれた。
「……なるほど。柊の一件で裏で糸を引いていた『NULL』の幹部からの、直接の接触か。どうやら奴ら、本格的にお前のその『異常な力』に目をつけ始めたようだな」
「ええ。どうやら、俺の力を組織に引き入れたいらしくて。きっぱり断ったら、挨拶代わりに手下を差し向けてきましたよ。ギルドの方で、NULLに関する新しい情報は何か入ってませんか?」
片桐は太い指で机をトントンと叩きながら、重い口を開いた。
「確たる証拠は掴めていないが、最近、奴らの動きが裏社会で異常なほど活発化していることだけは分かっている。
闇市場の流通経路を強引に吸収したり、ギルドに不満を持つはぐれ冒険者たちを甘い言葉で引き抜いたりとな。
何か、巨大な計画に向けて『手駒』と『資源』をかき集めているような動きだ。
お前をスカウトしようとしたのも、その一環だろう」
「組織の拡大ですか……あのスロースって奴も、手駒がどうのこうのって言ってましたね」
「結城、お前は確かに我々の理解が及ばない強さを持っていると思っている。
だが、奴らは盤面全体をひっくり返そうとする厄介な連中だ。
特に幹部クラスやその側近となれば、どんな初見殺しの異能を持っていても不思議ではない。
……単独行動は、極力避けた方がいいぞ」
片桐の忠告は、ギルドマスターとしての純粋な心配からくるものだった。
俺の力の本当の理由を知らないからこそ、未知の異能集団を警戒しろと言ってくれているのだ。
その厚意はありがたかったが、俺の目的は『大罪スキルを狩って魂の格を上げること』だ。
逃げ隠れするわけにはいかない。
「忠告ありがとうございます、マスター。でも、俺はむしろ奴らが向こうから現れてくれるのを歓迎してるんです、面倒な手間が省けますからね」
「……相変わらず、無茶を言う野郎だ。
だが、何かあればすぐにギルドを頼れ。
お前のような戦力を失うのは、我々にとっても大きな損失だからな」
「肝に銘じておきます。それじゃあ、失礼します」
俺は短く一礼し、執務室を後にした。
♦︎
いくらかの情報を得た俺は、エレベーターで一階のロビーへと戻ってきた。
相変わらずの喧騒。
巨大なクエストボードの前で依頼を取り合う初心者たち。併設された酒場エリアで、真昼間からジョッキを傾けて武勇伝を語るベテラン連中。
俺がそのまま出口の自動ドアに向かって歩き出そうとした、その時だった。
『……マスター。不自然なマナの波長を検知しました。前方、入り口付近のベンチです。周囲の冒険者たちとは明らかに異なる、異質なマナの淀みがあります』
トラ子の警告が、脳内にスッと差し込まれた。
俺は足を止め、特級ダンジョンの踏破で跳ね上がった【知覚】ステータスを働かせ、トラ子が示した座標へと視線を向けた。
入り口付近にある、待ち合わせ用の木製ベンチ。
そこに、一人の男がだらしなく腰掛けていた。ヨレヨレのシャツに、ボサボサの髪。
そして顔の下半分を覆い隠すような、むさ苦しい無精髭。
ギルドの売店で買った安い缶ビールを片手に持ち、もう片方の手で自身の顎髭をジョリ、ジョリと掻いている。
一見すると、依頼にあぶれて昼間から管を巻いている、ただの落ちぶれた冒険者のようにしか見えない。
だが、その男から漏れ出すドス黒い『怠惰』の魔力は、周囲の空気を泥のように重く濁らせていた。
俺がじっと見つめていることに気づいたのか、無精髭の男は残っていた缶ビールを飲み干して空き缶をベンチに転がすと、面倒くさそうに立ち上がった。
「……あーあ。ようやく来た。待つってのも結構ダルいんだよな。もっと早く来いよな」
男は首をポキポキと鳴らしながら、俺の正面へと歩み寄ってきた。
周囲の冒険者たちは、彼から放たれる微かな、しかし確かな異常な殺気に気づき、蜘蛛の子を散らすようにサッと道を空ける。
「誰だ、あんた」
俺が静かな声で問うと、男はジョリ、と髭を掻いて名乗った。
「俺はスタブル。スロース様の側近っていうか、まぁそんな感じの立ち位置の人間ってやつさ。
……いやぁ、わざわざお前の後をつけて街中を探し回るのも面倒だったんでね。
どうせギルドに顔を出すだろうから、適当に冒険者のフリして待ってたんすよ。効率的でしょ?」
その言葉に、俺は呆れて長いため息をついた。
「自分から刺客として出向いておきながら、待ち伏せや尾行すら面倒くさがるのか。
あんたたちは、根っこから腐ってるな」
「腐ってるなんて人聞きの悪い、俺たちはただ、無駄なエネルギーを使いたくないだけなんだよ。
……まぁ、スロース様からの直々の命令なんで、ちょっとだけお前の実力、見せてもらいますよ」
スタブルの目が、先程までの気怠げなものから一瞬にして冷酷な捕食者のそれへと変わった。
次の瞬間。
スタブルの顔の下半分を覆っていた『無精髭』が、突如として尋常ではない速度で急成長し、一本一本が鋭利な黒鋼のワイヤーのように硬質化しながら、蠢く触手となって俺めがけて無数に伸びてきたのだ。
空気を切り裂く不気味な風切り音が、ギルドのロビーに響き渡る。
(…なんだこれは、髭か?)
俺はジャージのポケットから両手を抜き、迫り来る黒鋼の触手群を静かに見据えた。
「ヒィィィッ! な、なんだあいつ!?」
「顔から化け物が……っ! 逃げろ!!」
ギルドのロビーに、周囲の冒険者たちの悲鳴と怒号が響き渡った。




