怠惰からのコンタクト
「ふぅ……もう夜中だぞ、勘弁してくれよ」
静寂を取り戻した深夜の住宅街。
俺がアパートに戻ろうと踵を返した、その時だった。
――ピリリリリリ、ピリリリリリ。
静まり返った空間に、ひどく場違いな、電子的な着信音が鳴り響いた。
「ん?」
俺は足を止め、周囲を見回す。
音の主は、今しがた俺が気絶させたばかりの、リーダー格の男の懐からだった。
コートのポケットの隙間から、スマートフォンの画面が青白く明滅しているのが見えた。
「……偶然じゃねえな、これは」
俺は少し眉をひそめながらも、男の懐に手を突っ込み、スマートフォンを引っ張り出す。
画面に表示されているのは【非通知】の文字だった。
親指で画面をスワイプし、通話ボタンを押して耳元へと近づける。
「……誰だ?」
低く、警戒を孕んだ声で問いかける。
すると、受話器の向こうから、ひどく気怠げで、今にも眠ってしまいそうな若い男の声が聞こえてきた。
『あー……もしもしぃ? 聞こえてる? うん、そっかそっか。
……いやぁ、やっぱり全滅かぁ。
ウチの可愛いペットたち、結構自信あったんだけどなぁ。
しかも街を壊さないように手加減する余裕まであるなんて、君、本当に無茶苦茶だねぇ……』
男は大きく欠伸をするような気配を見せ、言葉を続けた。
『初めまして、かな。僕の名前はスロース。
まぁ、裏の組織では『怠惰』なんて大層なコードネームで呼ばれてるんだけどさぁ。
……君が、あの噂のジャージの『強欲』くんでしょ?』
「スロース……。直接電話をかけてくるとはな。柊玄弥の時は逃げ足が早かったようだが、俺に何か用か?」
『用っていうかさぁ、ちょっと提案があるんだよねぇ。
君さ、そんなボロジャージ着て、コソコソ隠れて生きてるの、馬鹿馬鹿しくない? だったらさ、僕たちの仲間にならないかい?』
スロースの声は、交渉をしているとは思えないほど軽薄で、覇気がなかった。
『ウチのボス、君みたいな『欠片』を持ってる人を、すっごく探してるんだよねぇ。
仲間になってくれれば、お金も、地位も、何でもあげるよ?
君が何もしなくても、僕の手駒たちが全部身の回りの世話をしてくれるしさ。
毎日寝て暮らせるよ? 悪くない提案だと思うんだけどなぁ……』
「断る、却下だ」
俺は即座に、冷酷なトーンで言い放った。
『えー……即答? 冷たいなぁ。
せっかく面倒くさいのを我慢して、僕が直接電話してあげたのにさぁ……』
「そんなおままごと組織に興味はねえんだよ。
……それよりもスロース、お前に一つ、聞きたいことがある」
俺の手が、スマートフォンを壊さんばかりにギリッと力を帯びた。
目の奥に、ドス黒い怒りの炎が灯る。
「お前らNULLの仲間に『嫉妬』のスキルを持った、男がいるだろ」
『嫉妬?あぁ、エンヴィーね。
うん、いるよ。あのいつも他人の手柄ばっかり気にしてる、すっごく面倒くさい男ね……それが何?』
「そいつには、俺の個人的な【因縁】がある」
俺は静かな声で告げた。
天道茜の才能に嫉妬を向け、卑劣な手段で彼女を奪い、彼女の人生をめちゃくちゃにした張本人。
「奴は、俺の恩人を奪っていった。……絶対に、許さねえ」
受話器の向こうで、スロースは少しの間、沈黙した。
そして、ふぅ、と深い、心底面倒くさそうなため息をついた。
『へぇ……。エンヴィーの野郎、そんなところで恨みを買ってたんだ。
まぁ、あの男ならやりそうだよねぇ。……でもさ、それって僕には全然関係ない話なんだよねぇ』
スロースの声から、先ほどまでの眠気が少しだけ消え、冷徹な響きが混ざり始めた。
『君が仲間になってくれないのは、すっごく残念。
ボスに報告するのも面倒だし、これ以上僕の手駒を減らされるのも困るんだよね。
……だったら、やっぱりここで消えてもらうしかないかなぁ。
はぁ、戦うのってエネルギー使うから本当に嫌いなんだけど』
「やれるもんなら、やってみろよ。
お前がその重い腰を上げる前に、俺がてめえのアジトに乗り込んで、お前ごとNULLを全員殴り倒してやるよ」
『んふふ……言うねぇ、強欲くん。
……あ、でもね、今日のところはこれで終わり。僕、もう眠気の限界だからさぁ。
今日のデータをもとに、次はもっと君好みの『手駒』を用意してあげるから、楽しみにしててよ』
スロースはフフ、と薄気味悪い笑い声を漏らす。
『あ、もし途中で気が変わったら、いつでも言ってね?
君が NULL に来るなら、僕、いつでも歓迎するからさ。……それじゃ、おやすみぃ』
プツン、と。
一方的に通話が切られ、スマートフォンの画面が真っ暗に戻った。
「……チッ。相変わらず逃げ足だけは速い野郎だ」
俺はスマートフォンを気絶した男の上に放り出すと、夜空を見上げた。
NULLが本格的に動き出したのかもしれない。
『怠惰』のスロース、そして、かつての因縁である『嫉妬』のエンヴィー。
奴ら全員が、大罪のスキルを宿している可能性がある。
『マスター。管理者の言っていた通りですね。奴らを倒してその力を吸収すれば、マスターの【魂の格】は確実に上がります』
『ふん、都合が良いではないか。向こうからわざわざ、格上げの生贄になりにやってくるとはな。宿主よ、一匹残らず喰らい尽くしてやろうぞ』
トラ子とグリ子の声に、俺は静かに頷いた。
「ああ。茜の仇討ちも、エク子を取り戻すための格上げも、全部まとめてNULLの野郎どもを拳で解決してやる」
俺は踵を返し、今度こそ自分のアパートへと歩き出した。
忍び寄る組織の影。
だが、今の俺の心にあるのは、恐怖ではなく、全てを薙ぎ倒すための圧倒的な闘志だけだった。




