麗奈への報告
東京駅に到着した俺は、早速麗奈と連絡をとった。
そして真っ直ぐに待ち合わせの場所へと向かう。
指定されたのは、銀座にある会員制の超高級ホテルの最上階ラウンジだった。
ジャージ姿で入り口に立った瞬間、黒服のボーイに全力で止められかけたが、中から出てきた白衣姿の麗奈が「私の客人よ」と一瞥しただけで、ボーイたちは蒼白になって道を空けた。
「……相変わらず、目立つ格好が好きね。っていうか、血と泥の匂いが酷いわよ。
スラム街のドブネズミでも、もう少しマシな匂いをしてるわ」
個室のVIPルームに通されるなり、豪奢な革張りのソファに足を組んで座っていた柊麗奈は、手元のアンティークなティーカップを置きながら、呆れたようにため息をついた。
何故か細身の体に羽織った白衣、そして知性と狂気を孕んだ鋭い瞳。
「悪かったな。こっちも色々と立て込んでて、シャワーを浴びる暇もなかったんだよ」
俺はドカッと向かいのソファに腰を下ろし、肩に担いでいた黄色のドドンキ袋をテーブルの上にドンッと置いた。
「それで? 依頼していた『アレ』はちゃんと取ってきたんでしょうね?」
麗奈は細い目をさらに細め、期待に満ちた視線をドドンキ袋に向けた。
俺が奈落の御所へ向かった元々の目的は、彼女の新しい実験のために必要な素材、『暗黒龍の逆鱗』を調達してくることだった。
「あー……それなんだが」
俺は後頭部を掻きながら、気まずく視線を逸らした。
「……ん? まさか、手に入らなかったの?」
「いや、違うんだ。倒したことは倒したんだよ、暗黒龍。
ただな、なんかダンジョンのシステムと同化する【迷宮接続】ってやつを起こしてて、最後はドロドロに溶けて別のモンになっちまったんだよな」
それに、俺自身、エク子が消滅したショックと怒りで、逆鱗を剥ぎ取ることなど完全に頭から抜け落ちていた。
殴り殺した時点で肉体も何もかも粉微塵になっていたし、そもそも素材が残っていたかすら怪しい。
「迷宮接続ですって……!? ちょっと待ちなさい、それって放置すれば迷宮氾濫を引き起こす最悪のイレギュラーじゃない!
しかも特級ダンジョンなんて……。
あなた、そんな状態の暗黒龍と戦ったっていうの!?」
麗奈は驚愕の視線を向ける。
「まあな。で、ドロドロに溶けたトカゲの残骸から出てきたのが、これだ」
俺はドドンキ袋の口を開け、中から『それ』を取り出し、大理石のテーブルの上にゴトリと置いた。
それは、星空をそのままガラス玉の中に閉じ込めたような、ソフトボール大の漆黒の宝玉だった。
テーブルに置かれた瞬間、部屋の空気が一気に重くなり、照明がチカチカと明滅した。
「……は?」
麗奈の動きが完全に停止した。
彼女は信じられないものを見るように目を瞬かせ、それからゆっくりと俺の顔を見た。
「あのさ、誠。私が頼んだのは『暗黒龍の逆鱗』よ。……これ、どう見ても鱗じゃないわよね?
あんた、本当に馬鹿なの? 素材の形も認識できないのかしら」
麗奈がこめかみを押さえて呆れ果てる。
「うるせえな、俺だって忘れてたわけじゃ……いや、忘れてたけど。
代わりにそれを持ってきたんだから文句ねえだろ。すげえ魔力だぞ、それ」
「はぁ……。まあいいわ、どうせダンジョンから拾ってきたガラクタか何――」
文句を言いながら、麗奈が白衣のポケットから『鑑定用のモノクル』を取り出し、瞳に装着してその漆黒の宝玉を覗き込んだ、その瞬間だった。
「――――ッ!?」
ガシャンッ!!
麗奈の膝の上にあったティーカップが床に落ち、粉々に砕け散った。
彼女はモノクル越しに宝玉を見つめたまま、全身をガタガタと震わせ、顔面を紙のように蒼白にしていた。
普段の冷静沈着で傲慢な態度は見る影もなく、まるで神話の化け物にでも遭遇したかのように、口をパクパクとさせている。
「おい、どうした? 腹でも痛いのか?」
「こ、これ……っ! う、嘘でしょ……!? マナの密度が計測不能?!
ま、まさか……『SS級アーティファクト』……いえ、『ダンジョンコア』そのもの……ッ!?」
麗奈は震える両手で宝玉を包み込むように持ち上げ、目をひん剥いて俺を凝視した。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 暗黒龍が出る場所は極めて限られているわ。
しかも、特級ダンジョンクラスの魔力を持つ個体となれば……極東エリアでは【奈落の御所】しかない……」
麗奈の並外れた頭脳が、今朝から世間を騒がせているあの『歴史的ニュース』と、目の前の異常な光景を急速にリンクさせていく。
「まさか……。今日、日本中を騒がせている【奈落の御所の踏破】……。あれ、あなたがやったっていうの……?」
恐る恐る、信じられないものを見るような声で問う麗奈。
俺は、その言葉に小さく息を吐いた。
「……ああ。そうだ」
隠す意味もない。俺は深くソファに沈み込み、テーブルの上のコーヒーに視線を落とした。
脳裏に、再びエク子の最期の笑顔が過ぎる。
「……でも、割に合わねえ戦いだったよ。俺は、勝つために……一番大事なもんを、引き換えにしちまったからな」
俺の顔に浮かんだのは、誇らしげな英雄の表情でも、強者の余裕でもなかった。
ただ、苦虫を噛み潰したような、深い喪失感と後悔に塗れた、ひどく惨めな顔だった。
そのただならぬ雰囲気に、麗奈も何かを察したのだろう。
彼女は一瞬だけ同情するような目を向けた……が、それはほんの数秒のことだった。
「……くっ」
「ん?」
「く、ふふ……っ。あはははははははっ!!」
突如として、麗奈が顔を手で覆い、肩を震わせて高笑いを始めたのだ。
その瞳には、先程までの動揺など微塵もなく、むしろ極限まで昂ぶった『狂気』と『探究心』が爛々と燃え盛っていた。
「あーっ、もう! 素晴らしいわ!
最高よ結城誠! あなたって男は、本当に私の常識をことごとく破壊してくれる!!
迷宮接続を起こした特級ダンジョンを単独で踏破!?
しかもダンジョンコアを素手で引っこ抜いてお持ち帰り!? イカれてる! イカれすぎてるわ!!」
「おい、急にどうした。頭湧いたか」
俺がドン引きして後ずさると、麗奈はテーブルを身軽に飛び越え、凄まじい勢いで俺に迫ってきた。
「ねえ誠! あなたの細胞、今すぐ私に提供しなさい! いえ、提供して!
特級ダンジョンを踏破して生存した人間の生体データなんて、世界中のどこを探してもないのよ!? 脊髄液! 脊髄液を少しだけ抜かせて!
あと脳のシナプスの電流も測りたいわ!!」
「バカ野郎、離れろ! 俺はモルモットじゃねえ!」
「いいじゃない減るもんじゃなし! 麻酔は極太のやつを用意してあげるから!!」
文字通り目を血走らせて俺のジャージを剥ぎ取ろうとする麗奈を、俺は片手で頭を押さえて必死に引き剥がした。
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「……はぁ、はぁ、はぁ……。チッ、ケチね。
せっかく世界初の特級踏破者のデータが取れると思ったのに」
数分の攻防の末、ようやく落ち着きを取り戻した麗奈は、乱れた白衣の裾を直し、咳払いをしてソファに座り直した。
「……まあいいわ。事情はだいたい察したわよ。暗黒龍の逆鱗が手に入らなかったのは残念だけど、この『奈落の根源』を見られただけで十分お釣りが来るわ」
そう言って、麗奈は未練がましくテーブルの上のダンジョンコアを撫でた後、それを俺の方へスッと押し戻した。
「……いいのか? 代わりに持って帰ってきたんだ。研究素材にするならくれてやるぞ」
「馬鹿言わないで。ダンジョンコアなんて、今の私の設備じゃ解析すら不可能よ。
それに、そんな核爆弾みたいな代物を私が持ってたら、世界中の組織から命を狙われるわ」
麗奈はふうと息を吐き、悪戯っぽく微笑んだ。
「これは、あなたが命を削って手に入れた戦利品でしょ。
あなたが持ってなさい。逆鱗の代わりの素材は、私のコネで適当なSランク素材を代用して実験を進めるから心配いらないわ。
それに面白いものも見れたしまどかとの件もチャラにしてあげる」
「……そうか。恩に着る」
俺がコアをドドンキ袋にしまい込むと、麗奈は少しだけ真面目な顔になり、俺の目を見つめた。
「ねえ、結城誠。一つだけ聞かせて」
「なんだ」
「……その大事なもの、取り戻せそうなの?」
彼女なりに、俺の心の空洞を気遣ってくれたのだろう。
俺は少しだけ驚き、そして、ゆっくりと口角を吊り上げた。
「ああ。地獄の底からでも、絶対に引っ張り出してやるさ」
その顔には、もう迷いはなかった。
俺の返答を聞いた麗奈は、満足そうに「そう。なら、期待して待ってるわ」と笑った。
特級ダンジョンの踏破劇は、世間を巻き込む巨大な渦の始まりに過ぎなかった。
俺の魂の【格】を巡る次なる戦いは、もうすでにすぐそこまで迫っているようだ。




