閑話 NULLと怠惰
光の届かない地下深く。
そこは、現代の日本社会とは完全に切り離された、豪奢でありながらどこか死の匂いが漂う円形の広間だった。
長卓の上座で、深くフードを被った巨漢が重々しい息を吐き出す。
闇の秘密結社『NULL』の首領――その素顔を知る者は、この組織の中にも存在しなかった。
「……で、残りの『欠片』の行方はどうなっている?」
ボスの声は、岩盤が擦れ合うような低い響きを持っていた。
彼らが集めようとしているのは、世界に散らばる特異な力。
詳細は伏せられているが、組織の拡大はその『欠片』をかき集めるための手段に過ぎないということを、幹部たちは薄々察していた。
「どこにも見当たらないよぉ。ねえ、もう探すの飽きた。お腹すいたぁ……。人間、食べていい?」
巨大な腹を揺らしながら、よだれを垂らして答えたのは『暴食』のコードネームを持つ男だった。
「美しく無い……。あなたは食べることしかことしか頭に無いのですか?」
不快げに顔を歪め、暴食を睨みつけたのは、仕立ての良いスーツと豪奢な装飾品をこれ見よがしに身につけた細身の男、『嫉妬』だった。
彼は苛立たしげに自身の爪を噛みながら、首領へと向き直る。
「ボス、俺の配下も総動員で探してますよ。でも、どいつもこいつも小賢しく隠れてるみたいですね。俺たちみたいに選ばれた存在なら、コソコソしてねえで堂々としていればいいのねぇ」
「言い訳は求めていない、這いつくばってでも探し出せ。
我らの悲願、至高の『器』を完成させるためには、どうしてもあの因子たちが不可欠なのだ」
ボスの言葉に、広間の空気がピリッと凍りついた。
そんな中、円卓の隅で一人、深いソファに沈み込んで退屈そうに欠伸をしている青年がいた。
乱れた髪に、気怠げな半開きの目。
『怠惰』と呼ばれるその男は、他の幹部たちの口論をBGMに、ただぼんやりと天井を見つめていた。
「おい、スロース。貴様はどうなのだ。組織の末端を一番広く動かしているのはお前だろう」
ボスに話を振られ、スロースは面倒くさそうに首を掻いた。
「んぁ? ……あー、いやぁ、全然ダメですねぇ。ウチの可愛い駒たちも頑張って探してるんですけど、まるで影も形もないっていうかぁ……。
やっぱり、もうしばらく様子見するしかないんじゃないですかねぇ……ふわぁ」
欠伸混じりにそう報告するスロースだったが、その内心は全く別の思考で満たされていた。
(……嘘だけどね。本当は、一つだけ心当たりがあるんだよなぁ)
スロースの脳裏に浮かんでいたのは、少し前の柊家の一件で見つけたジャージ姿の男だった。
確信は無いが、ボスの探している欠片の一つであろう。
(でも、ここでバカ正直に報告する義理はないよねぇ。
暴食に言えば食い散らかして跡形もなくなるだろうし、嫉妬の野郎に教えれば、横取りして自分の手柄だって騒ぐに決まってる)
他の奴らに手柄を奪われるのは癪だった。
かといって、自分自身で出向いてジャージ男と直接やり合うのは、輪をかけて面倒くさかった。
(あーあ、誰かが代わりにアイツを瀕死にして、俺の目の前に転がしてくれないかなぁ……)
「よいか、手立てを選んでいる時間はない。組織をさらに拡大し、裏社会の全てを巻き込んででも探し出せ。必ずだ」
ボスの厳命が下り、短くも重苦しい定例会議は散会となった。
◆
自室の薄暗い部屋に戻ったスロースは、ふかふかのベッドにダイブし、重いため息を吐いた。
「はぁー……めんどくさ。なんで俺がこんな働き蜂みたいなことしなきゃいけないんだか」
文句を垂れながらも、スロースは枕元に置いてあった通信端末を手に取った。
自分が動きたくないのなら、他人に動かせばいい。それが『怠惰』の彼なりの最適解だった。
「もしもし? あー、俺だけど。
ちょっと極東エリアの『例のジャージの男』のところに、ウチの可愛いペット(配下)たちを何匹か送ってみてよ。
あ、殺さなくていいから。適当にちょっかい出して、どれくらい動けるかデータだけ取ってきて」
相手の返事を適当に聞き流し、スロースは通話を切った。
まずは配下をけしかけて、相手の底を測る。運良く相手が消耗しきってくれれば、あとは自分が悠々と回収に行くだけで済むという算段だ。
「んふふ……待っててね、『強欲』くん。俺は寝てるから、君は精々、俺の手駒を相手に踊ると良い」
スロースは悪びれる様子もなく薄笑いを浮かべると、そのまま怠惰な眠りへと落ちていった。
新たな波乱の種が、着実に誠の周囲へと忍び寄っていた。




