相棒との別れ
――メキメキィィィィィッ!!
それは、世界そのものがへし折れるような音だった。
特級ダンジョン【奈落の御所】の心臓である漆黒の球体。
そこに深々と突き刺さった俺の右拳から、圧倒的な破壊エネルギーが、コアの内部へと濁流のように注ぎ込まれていく。
『……致命的エラー。自己修復、不可。システム・コア、崩壊シーケンスヘ移行……』
無機質な音声が、バグったレコードのようにひび割れ、途切れる。
次の瞬間、黒い球体の表面に無数の亀裂が走り、そこから強烈な光が漏れ出した。
パァァァァァァァァァァンッ!!!!!
爆発音すらも超越した絶対の静寂。
ダンジョンコアは、俺の拳の前で硝子細工のように粉々に砕け散り、無数の黒いポリゴンとなって虚空へと溶けていった。
主を失った50階層の黒曜石の空間が、パラパラと崩壊を始める。上層から降り注いでいた重圧も、禍々しい瘴気も、嘘のように霧散していく。
『対象の……完全消滅を確認。……特級ダンジョン【奈落の御所】、踏破、です……っ』
トラ子の震える声が、脳内に響いた。
歓喜はない。ただ、すべてが終わったという事実だけの報告。
そして、その声と同時に。
――パキィンッ。
俺の身体を包んでいた純白の光が、ガラスが割れるような小さな音を立てて、完全に弾け飛んだ。
エク子が犠牲となり付与されたバフと、【絶対自動修復】の権能の消失。
限界を遥かに超えて酷使された肉体に、遅れて痛みが容赦なく襲いかかってきた。
それは全身の筋肉が断裂するような激痛。
骨が軋み、毛細血管が弾け、口から大量の血が吐き出される。俺は膝から崩れ落ち、崩壊していく黒曜石の床に力なく倒れ伏した。
「ハァッ……、ガッ……、ハァ……ッ」
指一本動かせない。
もしコアの破壊があと一秒でも遅れていれば、俺の肉体はこの過負荷に耐えきれず、完全に自壊していただろう。
文字通り、薄氷を踏むような勝利だった。
だが、俺は激痛に歪む視界の中で、必死に首だけを動かし、周囲を探した。
「エク、子……。おい、エク子……っ」
返事はない。
いつもなら、聞こえる元気な声が聞こえない。
エク子の姿はない。
『……宿主よ。泣き言を言うな』
心象世界から、グリ子の低く、しかしひどく静かな声が響いた。
『あの小娘は、己の全存在を燃やし尽くして貴様を勝利へ導いたのだ。……見苦しい顔を見せるでない』
『グリ子さんの、言う通りです……。マスター、前を……見てください』
トラ子の泣きじゃくる声に促され、俺は霞む目を向けた。
俺の目の前。ダンジョンコアが砕け散った空間の真ん中に、淡い、本当に消え入りそうなほどの『純白の光の粒子』が寄り集まっていた。
光の粒子は、やがて一人の少女の輪郭を形作った。
修道服のような白い衣装に身を包み、少しおどおどとしたタレ目の、愛らしい少女の幻影。
「エク、子……! お前、まだ……!」
俺は這いつくばりながら、血まみれの右手を伸ばした。
だが。
『マスター。……無茶ばかりして、本当に手のかかる人ですね』
微笑むエク子の声は、俺の脳内ではなく、直接この空間から響いていた。
俺の伸ばした指先は、エク子の頬をすり抜け、ただの空気を切った。
それはつまり、彼女がもう俺のシステム(内側)に存在するスキルAIではなく、切り離された残滓に過ぎないという残酷な証明だった。
「嘘だろ……。俺のステータス、全部使ってもいい。強奪の権能だって捨てる。
だから、お前を元に戻す方法は無いのかよっ!」
『ごめんなさいマスター。私のデータは、もう完全にシステムから消去されました。
これはただの……お別れを言うために残された最後の残滓です』
エク子の足元から、サラサラと光の粒子がこぼれ落ちていく。
まるで、砂時計の砂が落ちるように。
彼女の存在が、下から上へとゆっくりと崩壊を始めていた。
『内緒にしていましたが、私は美徳のAIとして生まれました。
誰かのために尽くすことだけが、存在意義のプログラム。……でもね、マスター』
エク子は、消えゆく両手を胸の前で組み、ふわりと、心からの笑顔を浮かべた。
『マスターと一緒に過ごした時間は……ただのプログラムなんかじゃなかった。
馬鹿みたいに敵に突っ込んでいくマスターを見てハラハラして、トラ子ちゃんたちと喧嘩して、たまに褒められて嬉しくて……。
私、本当に……【人間】みたいに、楽しかったんですよ?』
「エク子……っ」
俺の目から、再びとめどなく涙が溢れ出した。
血と泥にまみれた俺の顔を、エク子の半透明な手が優しく撫でるような仕草をした。
触覚はない。だが、とても温かい気がした。
『……泣かないでください。マスターは、絶対に折れない強くてかっこいい人なんですから。
……それに、これは終わりじゃありません。マスターの戦いは、これから本番なんですよ』
エク子の身体は、すでに胸のあたりまで光の砂となって消え去っていた。
『装備枠の制約も、知力の制約も。
世界のシステムがマスターを恐れているからこその呪いです。
でも、マスターなら……こんな理不尽な世界、ワンパンでぶっ壊せますよね?』
エク子は笑顔で微笑む。
「……ああ。ああ、壊してやる。全部、俺が殴り飛ばしてやる……!」
『ふふ、頼もしいです。……トラ子ちゃん、グリ子さん。あとは、よろしくお願いしますね』
『……ッ! 馬鹿野郎、貴様がいなくて誰が宿主の傷を治すというのじゃ……!』
グリ子の震える声と、トラ子の号泣が響く。
『エク子……っ、ばかぁ……っ!』
『マスター。……短い間でしたけど、私を連れ出してくれて、本当にありがとうございました』
最後に残ったエク子の顔が、光に包まれる。
『どうか、生きて。……私の、大好きな、マスター、、』
ふっ、と。
一陣の風が吹き抜け、エク子の幻影は、美しい砂雪のような光の粒子となって、完全に暗闇の中へと溶けて消えた。
「――――――――」
声にならない慟哭が、俺の喉から漏れた。
何もなくなった虚空を、俺は血に染まった両腕で掻き抱き、冷たい黒曜石の床に額をこすりつけて泣き叫んだ。
特級ダンジョン最深部。
最強のバケモノを討ち果たし、規格外のステータスを手に入れた。
だが、その代償は、俺の背中をずっと支え続けてくれた、たった一人の大切な仲間の命だった。
◆
崩壊の収まった50階層の空間に、地上へと続く巨大な光の魔法陣(転送陣)が出現していた。
俺は、エク子の遺した最後の自動修復によってなんとか歩ける程度にまで回復した身体を引きずり、ゆっくりと立ち上がった。
ダンジョンコアが砕け散った跡地に、一つだけ、ドロップアイテムが転がっていた。
星空をそのまま閉じ込めたような、ソフトボール大の漆黒の宝玉。
『……SS級アーティファクト【奈落の根源】。特級ダンジョンのエネルギーそのものが結晶化したものです』
トラ子が、鼻をすするような声で解析結果を告げた。
「……そうか」
俺はそれを無造作に掴み上げ、黄色のドドンキ袋に放り込んだ。
俺は、地上へと続く光の転送陣を見据えた。
ジャージは破け、全身血まみれで、心の中には取り返しのつかない大穴が空いている。
「行くぞ、トラ子、グリ子」
『……はい、マスター』
『……ふん。いつでも良いぞ、宿主』
俺は一歩、転送陣へと足を踏み出した。
システムに奪われたなら、システムを壊すまでだ。
俺のレベル上げは、まだ終わっていない。
いつか、世界の理そのものを殴り砕き、あのポンコツをもう一度呼び戻せるその日まで。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
次回作にご期待ください。
って感じで終わらせても良かったのですが、まだまだ続きます。
これからも応援の程よろしくお願いします。




