奇跡までのカウントダウン
無機質な黒曜石の床が果てしなく続く空間のど真ん中で、漆黒の球体のダンジョンコアが、ゆっくりと空中に浮遊していた。
『防衛フェーズヲ【迎撃】カラ【隔離(遅延)】ヘト移行シマス。……対象ノ機能停止マデ、待機』
機械的なシステム音声と共に、コアの周囲の空間が陽炎のように歪み始めた。
怒りも恐怖もない。
ただ、システムとしての「最適解」を選択しただけ。
あと180秒で自滅すると分かっているのなら、ただその時間が過ぎるのを待てばいい。
そういうことだ。
それが、この特級ダンジョンの意志だった。
「待つだと……? ナメやがって。その前にブチ壊す!!」
ドンッ!!
俺は床を蹴り飛ばし、黒い球体めがけて光の弾丸となって突進した。
距離にしてわずか数十メートル。
今の俺ならコンマゼロ秒で到達し、粉砕できる間合いだ。
しかし。
「……なっ!?」
最高速で突進し、渾身の右ストレートを放った俺の拳は、黒い球体に届かず、ただの虚空を切り裂いただけだった。
おかしい。
俺の速度が遅いわけではないし、標的が移動したわけでもない。
俺とダンジョンコアの間の『距離』が、一歩踏み込むごとに、ゴムのように際限なく引き伸ばされているのだ。
『マスター、止まってください! 空間の座標が書き換えられています!』
トラ子の制止で足を止めた俺は、愕然と前を見た。
目の前にあるはずの黒い球体が、まるで望遠鏡を逆から覗き込んだように、遥か彼方へと遠ざかっているように見えた。
『空間断絶シールド【無限遠の回廊】。……コアの周囲の空間そのものが、何重にも圧縮され、折りたたまれています。
つまり、マスターがどれだけ速く動こうと、到達する直前で距離が無限に分割され、永遠に届きません!』
「ふざけやがって……! 物理が通じない相手の次は、物理法則そのものを書き換えての遅延行為かよ!」
圧倒的な力があっても、対象に触れられなければ意味がない。
俺が舌打ちをしたその時。
『――あはははっ! 狼狽えるな宿主!』
心象世界から、グリ子の獰猛な笑い声が響き渡った。
『空間が折りたたまれているならば、その折りたたまれた『空間そのもの』を喰い破ればよいだけのこと!
物理で届かぬのなら、わらわの【存在強奪】の出番であろうが!』
「グリ子! だが、概念剥離の出力を上げれば代償は――」
『ドアホウめ! 貴様は今、小娘の命を代償にした絶対修復の加護を受けておるのだぞ!
ペナルティなど気にする必要はない!
わらわの権能の出力を【1000%】まで引き上げ、周囲の空間ごと奴の盾を強奪して喰らい尽くしてやるわ!!』
その言葉に、俺はハッとした。
そうだ、今は先のことを考えて痛みを恐れるフェーズじゃない。
持てるすべてを、この一瞬に叩き込むんだ。
『マスター、私にも手伝わせてください!』
トラ子が、かつてないほど力強い、感情の乗った声で言った。
『圧縮された空間の断層、その『継ぎ目(座標)』を私の演算力で割り出します。
グリ子ちゃんの強奪と、マスターの拳を叩き込む【最適解のルート】を、コンマ1秒単位でナビゲートします!』
トラ子が道を示し、グリ子が空間を喰らい、俺がその道を拳で切り拓く。
そして、この身に宿るエク子の純白の光が、自壊する肉体を繋ぎ止める。
三位一体。いや、四位一体の、文字通りの総力戦だ。
「……ああ、頼むぜお前ら!」
俺は両腕に、かつてないほど濃厚な【存在強奪】のどす黒いオーラを纏わせた。
純白の極光と混ざり合い、俺の身体は白と黒の禍々しくも神々しい闘気に包まれる。
『カウントダウン開始。限界まで残り150秒。……空間断層の第一層、座標入力! マスター、右斜め上方へ30度、踏み込んでください!』
「シィィィィッ!!」
トラ子の指示通りに虚空を踏み砕き、俺は右腕を振り抜いた。
グリ子の強奪の力が、空間の『継ぎ目』に食らいつき、分厚いガラスを叩き割るような轟音と共に、無限遠の回廊の第一層が物理的に粉砕される。
『第二層突破! 残り120秒! 次は真下へ!』
俺は止まらない。
空間が歪み、重力が上下左右に乱高下する狂った虚無の海の中を、トラ子のナビゲートを信じて一直線に突き進む。
ダンジョンコアもただ待っているわけではなかった。
空間の断層から無数の『虚無の刃』を発生させ、俺を切り刻もうとしてくる。
だが、俺は回避すらしない。
肉が裂け、骨が断たれても、エク子の加護で自動修復され次の瞬間には元通りに治していく。
防御を完全に捨てた、純粋な破壊の前進。
『残り90秒! 空間断層、第五層を突破!』
『よし! 奴の盾も残り薄いぞ宿主! 一気に喰らい尽くせ!』
俺の拳が空間を殴り砕くたび、遠くに見えていた黒い球体が、確かな実感を伴って近づいてくる。
しかし、身体を包む純白の光も、限界を告げるようにバチバチと激しい明滅を繰り返していた。
俺の肉体の内側から、修復を上回る過負荷の激痛がミシミシと悲鳴を上げ始めている。
骨が軋み、筋肉が焼き切れるような熱。
力を振るう代償が、容赦なく俺の神経を削り取っていく。
「グァァァァッ……! まだだ、まだ止まらねえッ!」
血反吐を吐きながらも、俺は拳を振るい続けた。
『……異常出力。空間断絶シールドノ臨界突破ヲ確認。対象個体ノ隔離、不可能。……再計算』
黒い球体から、初めて『焦燥』に似たノイズが漏れた。
絶対の遅延行為を、力技と演算のゴリ押しで破られようとしているシステムのエラー音。
『残り30秒! マスター、次が最後の空間断層です! 正面へ、ありったけの力を!』
「オォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!」
残り10秒。
俺は全身の筋肉、血管、骨の髄、そして魂のすべてを右腕に集中させた。
残り5秒。
視界が真っ白に染まり、自分の心臓の音だけが異常に大きく聞こえる。
残り3秒。
――ガシャァァァァァァァァァァンッ!!!!!
俺の拳が、最後の空間の壁を完全に叩き割った。
絶対の防壁を失い、完全に無防備となったダンジョンコア――漆黒の球体が、俺の目の前わずか数十センチの距離に無様に露呈する。
『……エラー。エラー。致命的物理干渉ヲ、検知』
無機質なコアの音声が、最後はどこか間抜けに響いた。
「これで……」
純白の光が、最後の瞬きを放った。
「終わりだァァァァァァァァァァッ!!!!」
エク子の遺した命の時間を使い切り、俺の右拳が、特級ダンジョンの心臓に、深々と突き刺さった。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
続きが気になる方は是非ブックマークを。
面白いと思った方は評価をお願い致します。
作者のプロテインは皆様の応援です()




