圧倒的な存在
41階層へ続く黒曜石の階段を下りきった俺は、目の前に広がる光景に首を傾げた。
「……なんだここ。敵の様子が変じゃないか?」
階層の景色自体は、これまでと同じような朽ち果てた純和風の地下城郭だった。
だが、その瓦礫の上を徘徊している魔物の群れが、どうにもチグハグなのだ。
ボロボロの甲冑を着た骸骨武者たちが並んでいる……その頭上を、西洋のファンタジーに出てくるような灼熱の鱗を持った【獄炎の飛竜】が我が物顔で旋回している。
さらに奥には、金棒を持った巨大な赤鬼が、漆黒の四つ足の地竜を猟犬のように引き連れて歩いていた。
『マスター。空間内のマナの波長に深刻なエラーが発生しています! ダンジョン本来の【和風】の生態系に、強力な【竜の因子】がバグのように混入しています!』
トラ子の報告に、俺は顎をさすった。
『ふん。おそらく最深部にいる【暗黒龍】の魔力が強大すぎるのじゃ。
その溢れ出る竜気が階層の壁を越えて漏れ出し、このダンジョンそのものを無理やり『竜の巣』へと書き換えようとしておるのだろう』
「なるほどな。和風のホラーゲームに、突然ドラゴンが混ざり始めたってわけか。違和感すげえな」
俺の存在に気づいた魔物の群れが、一斉にこちらへ殺到してくる。
上空からはワイバーンの火炎弾、地上からは赤鬼とドレイクの突進という、本来ならあり得ない異種間コンビネーションだ。
「まあ、見た目がどうなろうと……やることは変わらねえよッ!」
俺は床を蹴り、先頭を走っていたドレイクの懐へと潜り込んだ。
そして、獲物を噛み砕こうとしたその分厚い下顎めがけて、渾身の右アッパーを叩き込む。
ドガァァァァァンッ!!!
強固な竜の硬い鱗と頭蓋骨が粉々に砕け散り、巨大なドレイクの巨体が宙を舞って後続の赤鬼たちをボウリングのピンのように薙ぎ倒した。
『対象の討伐を確認。基礎ステータス【10%】を初回永久強奪!』
『マスター、凄いです! 竜種は基礎ステータスが他の魔物の比じゃありません! たった一匹の10%でも、とんでもない上昇量ですよ!』
エク子の言う通り、ドレイクを倒した瞬間に流れ込んできた力は、これまでの魔物とは文字通り『桁違い』だった。
全身の細胞が歓喜に震え、限界を超えた力がさらに底上げされていくのが分かる。
「ハッ、こりゃいい! 素材が、よりどりみどりってわけだ!」
俺はドドンキ袋を肩に担ぎ直し、バグのような生態系が広がる41階層へと駆け出した。
そこから44階層までは、まさに『竜狩り』の狂宴だった。
妖怪とドラゴンが入り乱れるカオスな戦場の中、俺は竜のブレスを紙一重で躱し、その硬い鱗ごと己の拳ひとつで粉砕していく。
物理攻撃を無効化する霊体相手とは違い、強固な実体を持つドラゴンは、俺にとって極上の『サンドバッグ』でしかなかった。
◆
そして、一時間後。
竜の血にまみれた特売ジャージのまま、俺は45階層――中ボスのエリアへと足を踏み入れた。
「……おいおい、スケールが違いすぎるだろ」
そこは、天井が霞んで見えないほど巨大な、地下の『枯山水』の庭園だった。
広大な白砂の波紋の中央に、島のように巨大な岩が配置されている。
そして、その岩の上に『それ』は鎮座していた。
全長二十メートルを超える、四つ足の巨大な西洋竜。
全身を分厚い鋼鉄の鱗で覆い、口の端からはマグマのようにドロドロに溶けた高熱の焔を絶えず垂れ流している。
空間を歪ませるほどの魔力。間違いなく、このダンジョンにおける最強クラスの『門番』だ。
『マスター! 生体反応極大!【獄炎の覇竜】です!』
覇竜はゆっくりと首をもたげ、俺を見下ろして地鳴りのような咆哮を上げた。
『――グォォォォォォォォォンッ!!』
ただの咆哮だけで、枯山水の白砂が嵐のように吹き飛び、俺の頬を鋭く裂いた。
俺は口元を歪め、両拳を構え、全身の血を沸騰させたその時だった。
ピタッ、と。
世界から、あらゆる『音』が消え去った。
「……え?」
俺は構えを解き、周囲を見回した。
風の音も、砂の舞う音も、俺自身の呼吸音すらも聞こえない。完全な無音。
そして、空間の重力が突如として数十倍に跳ね上がったかのような、息の詰まる『圧』が庭園全体を押し潰した。
『ギ、ギッ……!? グ、ガァァ……ッ!』
目の前にいた覇竜が。
先程まで王者の風格を漂わせていたドラゴンな突如として地面に這いつくばり、全身の鱗をガチガチと震わせながら、まるで怯える子犬のように悲鳴を上げていたのだ。
「なんだ……? 何が起きてる?」
『マ、マスター……空間の、マナ濃度が……計測不能……』
トラ子の声が、異常なノイズ混じりで脳内に響く。
直後。
巨大な岩の真下――枯山水の白砂が、まるで水面のように波打ち、黒く染まり始めた。
それは影だった。
光を一切反射しない、絶対的な『虚無』の黒。
その影の中から、ゆっくりと、ズズズ……と、規格外の質量を持った『何か』が浮上してきた。
光を吸い込む漆黒の鱗。
見上げるほどの山のような巨体。広大な地下庭園すらも狭く感じさせるほどの、圧倒的なスケール。
そして、空に浮かぶ二つの赤い月のような、冷酷無比な眼球。
Sランクの覇竜が、その巨大な『顎』の横で、まるで小さなトカゲのように見えた。
『…………』
そいつは、一切の鳴き声を発することもなく、ただゆっくりと口を開いた。
恐怖で微動だにできないを【獄炎の覇竜】を、一切の抵抗も許さず、まるで道端の木の実でもついばむかのように、パクリと丸呑みにしたのだ。
ゴキャァッ、メチャァッ……。
無音の空間に、【獄炎の覇竜】の分厚い鋼鉄の鱗と骨が、噛み砕かれる凄惨な咀嚼音だけが響き渡る。
「……おいおい、嘘だろ。【獄炎の覇竜】を、前菜扱いにしやがった……」
俺が呆然と呟くと、トラ子がかつてないパニック状態の震える声で告げた。
『マ、マスター……。現在眼前にいるのは、暗黒龍の【頭部のみ】です……! その身体は、46階層から50階層の床を全てブチ抜いて、ダンジョンの下層全体にトグロを巻いています……!』
「頭部だけで……このサイズだって言うのか」
それは本来あり得ない事だった。
暗黒龍自体は確かにデカいが、精々【獄炎の覇竜】レベル。
しかしこのダンジョンに存在する暗黒龍は、ダンジョンすら食い破り這い出ようとしていたのである。
『エラー! 対象の危険度、測定不能! これはSランクの枠に収まりません!
崩壊級(SSクラス)の絶対的イレギュラーです! マスター、今すぐ退避を――!!』
【獄炎の覇竜】など児戯に等しい。
次元が違う。
生物としての格が、この世界に存在していいレベルを遥かに逸脱している。
一息吐き出されれば、俺の存在ごと消し飛ぶであろう圧倒的な『死』のプレッシャー。
トラ子やエク子が完全にパニックに陥り、退避を喚き散らす中。
俺は、ドドンキ袋を静かに地面に置き、ゆっくりとジャージの袖を捲り上げた。
『おい、宿主。……お前、まさか』
グリ子すらも呆れたような声を出す。
二つの巨大な赤い月が、ゆっくりと俺をギロリと見下ろした。
文字通り、神が虫ケラを見るような、絶対強者の視線。
だが、俺の口元は、恐怖ではなく歓喜で歪んでいた。
「……なぁトラ子。あんなバカでかい規格外をワンパンしたら……俺のステータス、一体どれだけ跳ね上がるんだろうな?」
ダンジョンの法則すら喰らい尽くす、国家崩壊級のイレギュラー。
絶対的な絶望を前にして、狂ったように笑うジャージ姿の男。
こうして、『ドドンキのワンパン男』vs『規格外の暗黒龍』の狂宴が、今まさに幕を開けようとしていた。




