奈落の御所6 タイムアタック
『マスター! 経過時間五分! 全ステータス2.5%消費しました!』
「うるせえ! 言わなくていい、精神的にキツいから!」
31階層から続く霧の墓地エリア。
俺は血眼になって、宙を漂う死霊たちを片っ端から殴り飛ばしていた。
霊体を強制的に実体化させる【存在強奪:概念剥離】。
この権能を維持している間、俺のステータスは1分につき0.5%ずつ、まるで砂時計の砂が落ちるように確実に削り取られていく。
「オラァッ! さっさと成仏しろォ!」
ドガァァァンッ!
黒いオーラを纏った拳が死霊の顔面を捉え、実体を持った衝撃と共にその身体を粉砕する。
俺は立ち止まることなく、32階層、33階層と、弾丸のような速度で階段を駆け下りていった。
『累計討伐数、百五十を突破! 0.01%の強奪は順調ですが、消費ペースの方が圧倒的に早いです! このままでは赤字になりますよ!』
「分かってる! だから一瞬で終わらせるんだよ!」
これまでの俺は、経験値稼ぎのためにわざと寄り道をして魔物を探す余裕があった。
だが、今は違う。完全にタイムアタックだ。
俺は迷路のような墓地を、トラ子のナビゲートに従って最短ルートで突っ走り、邪魔な敵だけを『走り抜けざまのラリアット』で粉砕するという、極めて乱暴な方法で進んでいった。
『経過時間十分! 消費ステータス5%!』
「クソッ、疾風狼との特訓の成果が溶けていく……!」
焦燥感に急かされながら、俺はついに40階層のボス部屋を蹴り開けた。
そこは、見渡す限りの広大な地底湖だった。
水面は墨のように黒く濁り、その中央に、数千、数万の怨霊が融合して形作られた、身の丈十メートルを超える巨大な泥人形のような怪物がそびえ立っていた。
『マスター! 40階層フロアボス、【怨嗟の集合体・大泥田坊】です! 全身が霊的な泥で構成されているため、物理装甲はほぼ無意味です!』
「ズオォォォォォ……ッ」
大泥田坊が、地響きのような咆哮を上げた。
その巨大な両腕が振り上げられ、黒い泥の津波となって俺へと降り注ぐ。
『マスター、回避――』
「避けてる暇はねえ!!」
俺は黒いオーラを全身に纏ったまま、迫り来る泥の津波に向かって一直線に跳躍した。
概念剥離の力で実体化した泥の塊を、両手で強引に引き裂きながら、巨大なボスの懐へと突進する。
「ズ、ガァッ……!?」
ボスの巨体に張り付き、その中心にあるひと際濃い瘴気の塊――コアらしき部分めがけて拳を振り上げた。
だが大泥田坊もS-ランクのボスだ、ただ的になるだけではない。
グチャァッ!
ボスの身体が液状に崩れ、泥の海へと溶け込むように姿を消したのだ。
俺の拳は空を切り、地底湖の水面を激しく叩き割っただけだった。
『マスター! 敵が湖の全域に同化して拡散しました!』
「チィッ、遅延行為かよ! 一番嫌いなタイプだ!」
湖のあちこちから泥の触手が伸び、俺の足を引っ張り、湖底へと引きずり込もうとする。
俺はその触手を黒いオーラの拳で引きちぎるが、切っても切ってもキリがない。
『経過時間十三分! 消費ステータス6.5%!』
トラ子の無慈悲なカウントダウンが響く。
このまま泥沼の長期戦に持ち込まれれば、俺のステータスは干上がってしまう。
「おいグリ子! あいつ全体をいっぺんに実体化させる方法はないのか!?」
『ふん。概念剥離は貴様の拳が触れた部分にしか作用せん。
あのように広範囲に拡散されては、ちまちま殴るしかあるまいな』
「そんな悠長なこと言ってられるか!」
俺は地底湖の浅瀬に立ち、激しく泡立つ黒い水面を睨みつけた。
触れた部分しか実体化させられないなら。
相手が湖全体に同化しているのなら。
「……なら、湖ごと殴り飛ばせばいいだけだろッ!」
俺は深く息を吸い込み、右腕を大きく後ろへ引いた。
強欲の黒いオーラを、限界まで拳に集中させる。
「出てこい、クソ泥人形ォォォッ!!」
俺はボスの本体ではなく、ボスの溶け込んだ『地底湖の水面そのもの』めがけて、筋力を乗せた渾身の右ストレートを叩き込んだ。
ドゴォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
隕石が衝突したかのような轟音。
俺の拳から放たれた物理的な衝撃波に、黒いオーラ(概念剥離)が乗って湖全体へと伝播した。
直後、地底湖の黒い水が、まるで巨大なゼリーのように一瞬にして『固形化』したのだ。
「ズ、ギェェェェェェッ!?」
液状化して隠れていた大泥田坊の本体が、湖ごと実体化のショックを受けて逃げ場を失い、断末魔の悲鳴と共に空中に弾き飛ばされた。
「よし!捕まえたぜ」
俺は空中に打ち上がった巨大な泥人形の胸部にめがけて、踏み込みからの左アッパーを放った。
メシャァァァァァンッ!!!
実体化したコアが粉々に砕け散り、巨大なボスが干からびた土塊となって崩れ落ちた。
『対象の生命活動、停止を確認。……40階層フロアボス、討伐完了です!』
『マスター、やりました! 概念剥離の権能を解除してください!』
「お、おう!」
俺は慌てて念じ、両腕を包んでいた黒いオーラを引っ込めた。
途端に、全身の筋肉から急激に力が抜けるような、強烈な疲労感と虚脱感が襲いかかってきた。俺は浅瀬に膝をつき、激しく息を乱した。
「ハァ……ッ、ハァ……ッ! 終わった……」
『戦闘終了。経過時間は十五分。全ステータスの7.5%を消費しました』
『ですが、S-ランクボスの初回討伐で【10%】を強奪しています! 道中の雑魚の分も合わせれば、差し引きで約3%のプラスですよ、マスター!』
エク子の報告を聞き、俺は安堵のため息を漏らした。
「よかった……。赤字だけは免れたか。割に合わない冷や汗かかされたぜ」
『ふははは! 湖ごと固めおるとは、相変わらず脳筋な力業よのう! だが、それでこそわらわの宿主じゃ!』
俺はドドンキ袋を開き、空から降ってきたドロップアイテム【大怨霊の魔石】と【呪泥のローブ】を無造作に放り込んだ。
霊体エリアという最悪の相性すらも、命を削るゴリ押しで突破したのだ。
「よし……これで40階層クリアだ!残るはあと10階層」
俺は膝を叩いて立ち上がり、地底湖の奥に出現した、最深部へと続く大階段を見据えた。
瘴気の濃さは、これまでの階層とは比べ物にならないほど禍々しくなっている。
この下に、『暗黒龍』が待っているのだ。
「待ってろよ、トカゲ野郎。ここまで溜め込んだフラストレーション、全部お前にぶつけてやるからな」
俺は破れかけたジャージの襟を正し、決戦の地、41階層以降へと足を踏み出した。




