ギルドにて1
夕闇が迫る新宿の街は、数日前のダンジョンブレイクの危機が嘘だったかのように、ネオンの光と人々の喧騒に包まれていた。
あの日、黒曜の森での死闘を終えた直後、俺は一度ギルド本部に顔を出した。
凛を自分の手で殺してしまった絶望と、やるせない怒りで当時の俺は完全に焦燥しきっており、まともな精神状態ではなかった。
そんな俺の異常な様子を見た片桐ギルマスから、「詳しい報告は後日だ。今の君はひどく混乱している。まずは休んでくれ」と、半ば強制的に帰してくれた。
それから数日が経過した今日。
約束通り、俺は事後報告と『けじめ』をつけるため、再びギルド本部を訪れていた。
自動ドアを抜け、ロビーに足を踏み入れた俺の姿を見て、受付の雨宮さんがハッと息を呑んだ。
「ゆ、結城様……! お待ちしておりました!」
彼女の目に安堵の涙が浮かんでいるのを見て、俺は小さく頭を下げた。
そして雨宮さんの案内で最上階へ。重厚な扉をノックすると、「入れ」という低くしゃがれた声が響いた。
◆
執務室の中は、紫煙とコーヒーの匂いが充満していた。
巨大なデスクの向こう側で、ギルドマスターが深く椅子に腰掛けていた。
数日前に比べれば落ち着きを取り戻しているようだが、目の下には濃い隈があり、彼もまた、この数日間不眠不休で事態の収拾に当たっていたことが窺えた。
「……よく生きて帰ってきてくれたな、結城。
あの日はひどく焦燥していたようだが、少しは落ち着けたか?」
片桐が、灰皿に煙草を押し付けながら俺を見据えた。
俺は促されるままに革張りのソファに腰を下ろし、重い口をゆっくりと開いた。
「ええ、おかげさまで。ギルマス……黒曜の森のダンジョンブレイクは、完全に鎮圧されました。
元凶となったボス格も、すべて俺が討伐しました」
「……話には聞いていたが、たったで一人倒したのか」
片桐の目が、驚愕に大きく見開かれる。
Aランク冒険者たちの防衛線すら紙屑のように引き裂いた、災害級の魔物たち。
それを、目の前の男が単独で全滅させたというのだ。ギルドの常識からすれば、到底信じられない話である。
「ええ。……ただ、俺は『英雄』なんかじゃ無いです」
ダンジョンの中層で、凛とキバが再会したこと。
凛の正体が『ユト』と呼ばれる鬼人族の姫であり、キバが彼女を迎えに来た守護者であったこと。
俺の存在が「人間の洗脳」だと誤解され、殺し合いに発展してしまったこと。
上位眷属のシルとロビを倒した後、俺の理性がスキルの暴走によって完全に吹き飛び、キバを一方的に蹂躙したこと。
「そして……最後は」
俺の声が、震えた。
あの時、拳から伝わった肉を断つ感触。
血まみれになって微笑んだ、凛の小さな顔がフラッシュバックする。
「俺の暴走を止めるためだったのかもしれません。
……凛が、自らキバを庇って前に出た。
でも俺は、止まれなかった。
俺の拳は、凛ごと……キバの心臓を、貫いたんです」
執務室に、重く、息が詰まるような沈黙が降りた。
「俺は、保護者面しながら凛を……この手で殺した。
俺がもっと上手く立ち回れていれば、誰も死なせずに済んだかもしれないのに……ッ」
俺は膝の上に置いた拳を、爪が食い込むほど強く握りしめた。
懺悔だった。罰してほしかった。
だが、片桐は怒ることも、軽蔑することもなかった。
彼はゆっくりと立ち上がり、俺の座るソファの対面に腰を下ろすと、深く頭を下げた。
「……結城。前にも言ったが、君がどれほど自分を責めようとも、君が数百万の市民の命を救ったという結果は変わらない。
あのままキバが地上に出ていれば、新宿は火の海になり、それこそ君の妹さんも、我々も、すべてが死に絶えていた」
「…………」
「君は、誰よりも重い十字架を背負ってくれた。ギルドマスターとして……いや、この街に生きる一人の人間として、心から感謝する」
片桐の真っ直ぐな言葉に、俺はただ黙って俯くことしかできなかった。
今の俺には、彼からの感謝を否定し続ける気力すら湧かなかった。
「……凛たちのことは、どうなりますか。彼女は魔物として、ギルドの記録に残るんでしょうか。
それに、他に亡くなった冒険者たちの遺族には……」
俺の問いに、片桐は力強く首を横に振った。
「安心てくれ。今回のダンジョンブレイクの犠牲者や、事件の全容に関する公式な説明は、すべて私が責任を持って行う。
遺族への説明も、上層部への報告も、世間への発表もだ」
片桐は、鋭い眼光を光らせた。
「すまないが、あの少女――凛くんの個人的な繋がりは完全に伏せる。
……君がこれ以上、世間やギルドの上層部から不要な詮索を受けないよう、私が防波堤となろう」
「……ギルマス」
「これが、君の背負った悲しみに対して、ギルドができるせめてもの報いだ」
片桐の配慮に、俺は小さく息を吐き出した。




