決意を胸に
天道茜がダンジョンの闇に消えたあの日から、星導学園は、「原因不明の魔力異常」を理由に、一週間の臨時休校となった。
俺にとっては、誰の顔も見ずに済むその処置は、唯一の救いだった。
学園に行けば、神崎たちの顔を見ることになるし、天道さんがいない事を痛感することになる。
休校期間中、俺は文字通り「抜け殻」になっていた。
暗くした自室のベッドに横たわり、天井の木目をただぼんやりと見つめ続ける日々。
母親が心配して部屋の前に置いてくれた食事も、数口食べただけで吐き気がして喉を通らなかった。
頭の中を支配しているのは、ただ一つ。「俺が弱かったから、彼女は死んだ」という、どうしようもない後悔と無力感だけ。
泥のような数日が過ぎた、ある日の午後。
ふと、寝返りを打った俺の視界の端に、机の上に無造作に置かれた『ある物』が飛び込んできた。
――小さな、アクリル製のキーホルダー。
休日にショッピングモールで買った、お揃いの記念品。
その透明なアクリルの向こう側で、茜が満面の笑みでピースサインをしている。
隣には、引きつった顔で固まっている情けない俺の姿。
『ねえ結城くん。これに入れる写真、せっかくだから……プリントシール、撮らない?』
『また来ようね!』
彼女の弾むような声が、脳裏に鮮明にフラッシュバックした。
その瞬間、冷え切っていた心臓の奥で、小さな、けれど確かな熱が弾けた。
(……俺は、何をしているんだ)
俺は、ベッドから這い出し、机の上のキーホルダーを力強く握りしめた。
彼女は、俺を絶望の底から二度も救ってくれた。
俺の適性ゼロというコンプレックスを肯定し、命を懸けて俺を逃がしてくれた。
それなのに、助けられた俺が、こんな暗い部屋で一人で腐っていていいはずがない。
それから色々あったが、その気持ちを胸に頑張ってきた。
……卒業後、俺は十数年、ギルドの末端事務員として働くことになる。
だが、それもつい先日終わった。
適性なしを理由にリストラされ、ヤケクソでダンジョンに潜り、この【強欲(存在強奪)】の力を手に入れた。
◆
「……と、まあ、これが俺の昔語りだ。適性ゼロのガキが、ただの事務員になった理由だよ」
実家の自室。俺はアルバムを閉じ、深く息を吐き出した。
脳内のトラ子とエク子も、俺の重い過去を聞き終え、静寂を保っていた。
だが、ふとトラ子が、普段の冷静なトーンに微かな『緊張感』を交えて切り出してきた。
『マスター。先ほどの過去のデータと、あの日のダンジョンでの状況を照合しました。……一つ、重大な推論があります』
「推論? なんだよ、急に」
『あの時、天道茜さんを襲った謎の男。彼が所持していたスキルについてです』
トラ子の言葉に、エク子が横から引き継ぐように口を開いた。
『ねえマスター。その男のスキル……もしかして、大罪スキルの一つ、【嫉妬】じゃないでしょうか?』
「……嫉妬スキル?」
初めて聞く単語だった。俺の持つ【強欲】と同じ、大罪の名を冠するスキル。
俺の心臓が、嫌な音を立てて早鐘を打ち始める。
『詳しい話については、今の私たちのアカウント権限ではシステムロックがかかってており、伝えられないのですが……』
エク子が、慎重に言葉を選びながら説明を続ける。
『【嫉妬】というのは、自分が「羨ましい」と強く嫉妬した相手を下すことで、その対象を文字通り手に入れます。
自我を奪い、自分の操り人形のように使役できる悪魔の様なスキルなのです。
マスターの話を聞く限り、黒い泥で侵食して操るっていう現象は、その特性に完全に一致しています』
――ドクンッ。
青天の霹靂だった。
俺の脳裏に、あの日の光景が鮮明に蘇る。
虚ろな瞳で戦斧を振り下ろしてきた、大柄な冒険者の男。彼もまた、男の「コレクション」の一つだった。
そして、黒い泥に飲まれていった天道さんの姿。
「待てよ……それって、つまり」
俺は、震える声でその先を口にした。
「天道さんは……死んだんじゃない。
生きたまま、あの男の『操り人形』として、今もどこかで囚われている可能性があるってことか……!?」
『断言はできません。ですが、生存している確率は極めて高いと推測されます』
ずっと死んだと思い込み、自分の無力さを呪い続けてきた。墓標のない彼女に謝り続けるだけの人生だった。
だが、もし。もし彼女が、今もあの嫉妬の男のコレクションとして、暗闇の中で生かされているのだとしたら。
(……助けられるのか?今なら)
俺は、己の両手をじっと見つめた。
あの頃の俺は、適性ゼロのただ震えることしかできない無力な少年だった。
だが、今は違う……俺にはこの力がある。
『存在強奪』と、魔物を素手で殴り殺せる圧倒的なステータスがある。
「トラ子、エク子。あの男の情報を集めるぞ。
ギルドの過去の失踪事件とか、怪しい魔物使役者の噂とか……」
俺がそう指示を出しかけた時、トラ子が指摘する。
『マスター。厳しい現実を突きつけますが、マスターはもうギルド職員ではありません。
ただの冒険者です。
よって内部の機密データベースへのアクセス権限は、今のマスターには一切ありません』
「……ッ、そうだったな」
俺は苦笑いしながら、自分の拳を握りしめた。
冒険者としてどれだけステータスが上がろうと、組織の壁を越えて機密を覗き見ることはできない。
『それに、その【嫉妬】のスキルの持ち主が実在するなら、それはギルドの上層部……それこそ「本部」がひた隠しにしているレベルの機密である可能性が高いです。
一介の冒険者が調べようとすれば、即座に目を付けられるでしょう』
「わかってる。……でも、絶対に諦めない。
今回のダンジョンブレイクの一件で、俺の身体にはスキルの暴走によるペナルティが課せられてる。
このペナルティ期間が明けて、自由に動けるようになったら……本格的に動くぞ」
俺は机の上に置かれたキーホルダーを手に取り、それを強く握りしめた。
だが、その前にやらなければならない『けじめ』がある。
俺の視線は、部屋の隅に置いた黄色いドドンキの袋へと向いた。
「凛の件だ。今回のダンジョンブレイクの事後報告と、凛たちの結末。
これをギルドに報告しに行かなきゃならない」
凛とキバ、そしてシルとロビ。
彼らはもう、この世にはいない。
新宿を救った「英雄」としてではなく、少女を殺してしまった「罪人」としての自覚が、胸を締め付ける。
『マスター。今のステータスなら、報告なんて適当に済ませて逃げることもできますが……』
『ダメだよエク子ちゃん! マスターはちゃんと凛ちゃんに向き合おうとしてるんだから!』
「……ああ。逃げ隠れはもうしないよ、俺は凛の保護者だったんだからな」
俺は立ち上がり、予備の新しいジャージに着替えた。
凛は最後に「お父さんみたいだった」と言ってくれた。
その言葉に嘘をつかないためにも、俺は彼女がいた証を、ギルドに正式に届けなければならない。
「……行こう、新宿へ」
実家の玄関で、美桜と母さんに「少し用事がある」とだけ告げ、俺は家を出た。
夕暮れの街を歩きながら、茜と凛、二人の少女のことを考える。
事務員としては何もできなかった。
でも、冒険者になった今なら、力ずくで扉をこじ開けることができるかもしれない。
新宿駅に着くと、街はまだダンジョンブレイクの余韻で慌ただしかった。
ギルド本部のビルが見えてくる。
「待ってろよ、茜。……そして見ててくれ、凛」
失った過去を取り戻し、奪われた未来を奪い返す。




