嫉妬の簒奪者 その4
「いいなぁ。その若さで、それだけの魔力と剣術。
本当に素晴らしい。……素晴らしいからこそ、妬ましい。羨ましい。
どうして僕には、そんな才能がないんだろうなぁ……?」
男の口調が、突如として怨念のようにドロドロとしたものへと変わる。
「あぁ……『嫉妬』しちゃうなぁ。君のその輝き、僕のコレクションに加えたくてたまらないよ」
男がパチン、と指を鳴らす。
すると、足元に控えていた魔物の一体が、咆哮を上げて茜へと襲いかかってきた。
四つの腕を持つ、巨大な猿のような魔物。この模擬ダンジョンには絶対に存在しない、Bランク下位相当の凶悪なモンスターだ。
「結城くん、下がってて!!」
茜が迎撃に出る。
白銀の剣と炎が、四つ腕の猿と激突する。
凄まじい衝撃波。
茜は歯を食い縛り、魔物の猛攻をギリギリのところで凌ぎながら、カウンターでその四つの腕を次々と切り飛ばしていく。
「ハァァァァッ!!」
最後は、渾身の炎を纏った一撃が、猿の首を刎ね飛ばした。
「はぁっ、はぁっ……どう!? これ以上邪魔をするなら、あなたも容赦しないから!」
息を切らしながら剣を突きつける茜に、男は「おお、ブラボー!」と大袈裟に拍手を送った。
「素晴らしい! その年でBランクの魔物を単独で屠るか! ますます憧れちゃうなぁ。
ますます……妬ましいなぁ!! じゃあ、これなんてどうだい?」
男が再び指を鳴らす。
今度は、男の影の中から『一人の人間』がズルリと這い出してきた。
フルプレートアーマーを着た、大柄な冒険者の男。だが、その瞳に生気はなく、まるで精巧に作られた人形のように無表情だった。
「わか、り、まし、た」
機械のような声で呟き、その冒険者の男は、巨大な戦斧を構えて茜へと突進してきた。
「えっ……人間!? ちょっと、待って!」
茜の動きが、一瞬だけピタリと止まった。
彼女は天才だが、根は心優しい女子学生だ。
魔物を殺すことはできても、『人間』を切り捨てる覚悟など、まだ持ち合わせていなかったのだ。
その致命的な躊躇いを、戦斧が容赦なく襲う。
「きゃああっ!?」
茜は咄嗟に剣で防御したが、大柄な男の圧倒的なパワーに弾き飛ばされ、壁に激突してしまった。
白銀の剣が、カランと音を立てて手からこぼれ落ちる。
「天道さんッ!!」
俺が叫んで駆け寄ろうとしたが、謎の男がフフッと笑いながらステッキを振った。
見えない力に弾かれ、俺は床に無様に転がされた。
「さて、勝負ありだ。
……人間相手に手心を加える甘さ。実に青臭くて、それでいて最高に『堕とし甲斐』がある」
男が、倒れ伏した茜の元へとゆっくりと歩み寄る。
「これで君は堕ちた。さあ、今日から君の才能は、僕のモノだ」
男が、仮面を外した素顔(それはのっぺらぼうのように奇妙に歪んでいた)を晒し、茜に向かって手をかざした。
――スキル発動。
「あ、が……ッ!?」
茜の悲鳴がダンジョンに響き渡った。
男の手から放たれた『黒い泥』のようなものが、茜の身体にべったりと張り付き、彼女の白い肌を、制服を、そして精神を、ジワジワと侵食し始めたのだ。
「あぁぁぁぁっ! 痛いっ、あたまが、熱い……っ!!」
床を掻きむしり、苦痛に喘ぐ茜。
その黒い泥は、彼女そのものを書き換え、男の操り人形へと変える呪いの簒奪だった。
「やめろ……ッ! やめろぉっ!!」
俺は、足の激痛を無視して立ち上がり、男に殴りかかろうとした。
だが、男の操る冒険者の人形に軽く蹴り飛ばされ、あっけなく地面に這いつくばる。
無力だ。あまりにも、弱すぎる。
「結城、くん……!」
黒い泥に半身を侵食されながら、茜が血を吐くような声で叫んだ。
「逃げて……っ! 早く……ここから、逃げて!!」
「嫌だ! 天道さんを置いてなんか行けるわけないだろ!!」
「私のことは……いいから!! お願い、逃げてぇっ!!」
茜の赤い瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
俺は、自分の不甲斐なさに血の涙を流しながら、ギリッと唇を噛み破った。
(俺に力があれば。俺が、こいつをぶっ飛ばせるくらい強ければ……!)
だが、現実は残酷だ。俺がここにいても、犬死にするだけ。
誰かを呼んでこなければ。先生たちを、強い冒険者を。
「絶対に……絶対に助けを呼んでくるから! 待っててくれ!!」
俺は、ボロボロの体を引きずり、涙で視界を滲ませながら、茜に背を向けて出口へと全力で駆け出した。
遠ざかっていく、彼の背中。
その無様な逃走の後ろ姿を見て、茜は不思議と、安堵の息を吐き出していた。
(よかった……。結城くんは、助かるね……)
侵食の苦痛が、彼女の意識を急速に奪っていく。
手足の感覚が消え、視界が黒く染まる。
最後に残ったのは、彼と過ごした、昨日までの温かい記憶だけだった。
一緒に本を読んだ図書室。
一緒に歩いたショッピングモール。
一緒に撮った、プリントシール。
本当は、あのホームで伝えたかった、たった一つの言葉。
(誠くん……私、あなたのことが……)
(ずっと、好きだったよ――)
茜の意識は、そこで完全に黒い泥の底へと沈んだ。
「ハハハハハ! 素晴らしい! 嫉妬のコレクション、最高傑作の完成だ!」
男が歓喜の声を上げる。
「ようこそ、僕の可愛いお人形。
さて、目的も達したし、ここはもう用済みだ。消えるとしようか」
男がマントを翻す。
その瞬間、男の姿も、黒い泥に完全に飲まれた天道茜の姿も、空間ごと溶けるようにして、ダンジョンから完全に消失した。
◆
「先生!! 早く、早く!! 天道さんが、怪しい男に!!」
命からがらダンジョンの入り口に辿り着いた俺は、駆けつけたベテランの教師陣と救助の冒険者たちに、泣き叫びながら状況を説明した。
「結城! よく無事で……よし、総員突入!! 天道を救出するぞ!!」
Aランクを含む精鋭部隊が、俺の教えた座標へと一斉に突入していった。
俺は救護テントで治療を受けながら、震える両手を握りしめ、茜の無事を神に祈り続けていた。
だが。
数十分後、戻ってきた冒険者たちの顔は、一様に困惑に満ちていた。
「どういうことだ……? 内部には、魔物の群れはおろか、ボスの残骸すらなかったぞ」
「結城。お前が言っていた謎の男も、天道茜の姿も……どこにもいなかった。
最初から、“誰もいなかった“かのように綺麗だった」
「……え?」
俺は、目の前が真っ暗になるのを感じた。
「嘘だ……! だって、俺は確かに見たんだ! あいつが、天道さんを黒い泥で……!」
結局俺の必死の訴えは、誰の耳にも届かなかった。
学園側は、神崎の供述と、ダンジョン内部に魔物の死骸が一切残っていなかったことから、この事件を『天道茜の単独の遭難事故』として処理しようと動いた。
「ふざけるな!! 悪いのは俺たちを囮にした神崎だろ!! あいつが怪しい薬を使ったから!!」
俺は何度も職員室に乗り込み、真相を訴えた。
だが。
「結城。君はパニックで幻覚を見たんだ。適性がないことへのコンプレックスが、天道という優秀な生徒の喪失を受け入れられず、神崎君を悪者にしているんだろう」
冷酷な教師の言葉。
それに神崎の親は、大企業の社長であり、学園に多額の寄付をしている有力者だった。
『適性ゼロの底辺生徒の証言』など、権力と金の前では、路傍の石ころほどの価値もなかったのだ。
神崎はお咎めなし。事件の真相は、完全に闇の中へと葬り去られた。
茜の親御さんも泣きながら学園に掛け合ったが、ギルドによる一週間の形式的な捜索の末、彼女の行方は『絶望的(死亡扱い)』として打ち切られた。
◆
彼女は、消えた。
俺の世界に光をくれた太陽は、理不尽な悪意と、醜い大人の都合によって、完全に踏みにじられ、強奪された。
「……う、あ……ああぁぁぁぁぁっ……!!」
茜の葬儀(遺体のない空の棺だった)の帰り道。
俺は、土砂降りの雨の中、一人路地裏に座り込み、声が枯れるまで泣き叫んだ。
何もできなかった。
助けたかったのに。力を求めたのに。
俺の無能さが、弱さが、彼女をあんな目に遭わせたんだ。
ポケットに入っていた、あの日のプリントシール。
半分に切られたその小さな紙切れを握りしめ、俺は一つの『絶望的な決意』を胸に刻み込んだ。
――冒険者なんて、クソくらえだ。
ヒーローなんて、どこにもいない。
正義なんて、力と金の前ではただの綺麗事だ。
なら、俺は……。
俺はギルドの裏側に潜り込んで、事務員になって、こんな腐ったシステムを変えてやる。
茜みたいな悲劇が二度と起きないように、いつか必ず、這い上がってやる。
それが、ただの無能だった『結城誠』が、冒険者の夢を捨て、裏方のギルドの冴えない事務員として生きることを選んだ、冷たくて残酷な理由だった。
しかし現実はそう甘くは無かった。
適性無しの現実、挫折、結果どうする事も出来なかった過去。
そして。
十数年の時を経て、あの時の無力な少年は、理不尽にすべてを奪う【存在強奪】という皮肉な力を手に入れ、再び運命の歯車を回し始めたのである。




