二人の距離感 その2
「ふぅ……結構歩いたね。結城くん、少し疲れない?」
「そうだな。どこかで休むか」
俺たちは、モール内にあるお洒落なカフェテリアに入った。
メニュー表を開いた茜の目が、ショーケースに並んだ色とりどりのケーキを見てキラキラと輝き出す。
「わぁ……! 結城くん、見て! このイチゴのタルト、すっごく美味しそう!」
「じゃあ、それにしようぜ。俺はコーヒーでいいや」
「えっ、いいの!? ありがとう!」
運ばれてきたイチゴタルトを、茜は幸せそうに頬張った。
「ん〜っ! 美味しい!」と満面の笑みを浮かべる彼女の姿は、ダンジョンで魔物を切り伏せる『白銀の剣姫』とは程遠い、ただの無邪気な少女だった。
そんな新鮮な光景を前に、俺はコーヒーをすするフリをしながら、終始ドギマギと彼女の顔を見つめてしまっていた。
「あ、そうだ結城くん」
ケーキを食べ終えた茜が、ふと提案してきた。
「せっかくだからさ、今日一緒に遊びに来た『記念』に、何か買わない?」
「記念? ああ、いいけど。何にするんだ?」
「雑貨屋さんに行ってみよ!」
カフェを出て、可愛い小物が並ぶ雑貨屋へ。
茜は棚に並んだ様々なアイテムを見て、楽しそうに目移りしていた。
「うーん、お揃いのマグカップ? いや、これはちょっとハードル高いかな……。あ、結城くん! これ見て!」
茜が指差したのは、小さなアクリル製のキーホルダーだった。
中に小さな写真を入れられるようになっている、シンプルなデザインのものだ。
「これ、すごくいいと思わない? ダンジョンのリュックにも付けられるし!」
「ああ、いいな。それにしよう」
俺たちは色違いでそのキーホルダーを買い、店を出た。
すると、茜が俺の袖をギュッと掴んだ。
「ねえ結城くん。これに入れる写真、せっかくだから……プリントシール、撮らない?」
「へえっ!?」
俺は裏返った声を出してしまった。
茜が俺を引っ張って向かった先は、モールの上階にあるゲームセンターだった。
薄暗い店内には、無数のプリントシール機が並び、その周りには、制服姿のカップルや、いかにもリア充な若者たちが群がっている。
場違いだ。完全に場違いすぎる。
俺のような陰キャで無能な人間が足を踏み入れていい領域ではない。
「て、天道さん! やっぱやめようぜ! 俺、こういうの撮られ慣れてないし、その……こういうところ来たことないし!」
「大丈夫大丈夫! 私が教えてあげるから! ほら、早く!」
逃げ出そうとする俺を、茜は強引にプリントシール機のブースの中へと押し込んだ。
カーテンが閉められ、狭い個室に二人きりになる。
機械から流れる陽気なアナウンスと、眩しい照明。
すぐ隣には、茜の肩が触れそうな距離にある。シャンプーの甘い香りが狭い空間に充満し、俺の心臓は今度こそ破裂しそうなくらい早鐘を打っていた。
『3、2、1、ハイチーズ!』
「結城くん、もっと笑って! はい、ピース!」
茜が身を乗り出し、俺の肩にコツンと頭を乗せてくる。
パシャッ、というフラッシュ。
俺は、顔を真っ赤にして、引きつった笑顔でピースサインを作ることしかできなかった。
距離感がわからない。どこを見ていいのかわからない。
ただ、彼女の体温と、鼓膜の奥で鳴り響く自分の心音だけが、やけにリアルに感じられた。
数分後。
プリントされたシールには、満面の笑みでピースをする茜と、カッチカチに緊張した顔の俺が並んで写っていた。
「あはは! 結城くん、顔ひきつりすぎ!」
「うるさいな。だから慣れてないって言っただろ」
茜は楽しそうに笑いながら、シールを半分に切り分け、一枚を俺に手渡してくれた。
「ほら、これ。キーホルダーに入れてね」
「……ああ。サンキュ」
俺は、手のひらに乗った小さなシールを、まるで宝物のようにそっとポケットにしまった。
「また来ようね!」と笑う茜。
俺は、この時間が永遠に続けばいいのにと、本気で思っていた。
◆
楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、すっかり日が落ちた頃。
俺たちは、新宿駅のホームで電車を待っていた。
オレンジ色の街灯に照らされながら、今日一日の出来事や、これからの合同授業の作戦について語り合う。
少しだけ冷たい夜風が吹き抜け、茜の黒髪を揺らした。
「……今日、すごく楽しかったよ。誘ってくれて、ありがとう、結城くん」
「俺の方こそ。……天道さんのサポートができるように、もっと勉強頑張るからさ」
「うん。頼りにしてるね」
茜が、柔らかく微笑んだ。
電光掲示板に、茜の乗る電車の接近を知らせる文字が点滅する。
もうすぐ、今日という特別な一日が終わってしまう。
「あのね、結城くん」
ふと。
茜が、少しだけ俯き、真剣な声音で俺の名前を呼んだ。
「ん? どうした?」
茜は、両手でスカートの裾をギュッと握りしめ、顔を上げた。
その瞳には、昼間の無邪気さとは違う、どこか切羽詰まったような、けれど強い決意のような光が宿っていた。
「私……結城くんのことが――」
カンカンカンカンッ!!
その言葉の続きは。
けたたましく鳴り響いた発車ベルと、ホームに滑り込んできた電車の轟音にかき消されてしまった。
「え? ごめん、電車の音で聞こえなかった! なんて言ったの?」
俺が身を乗り出して聞き返すと、茜はハッとして顔を赤らめ、フルフルと首を横に振った。
「う、ううん! なんでもない! 今日はありがとう、また明日学校でね!」
茜は足早に電車のドアへと向かい、車内に乗り込んだ。
閉まるドアの向こう側から、彼女は小さく手を振り、電車は夜の闇の中へと滑り出していった。
ホームに残された俺は、遠ざかる電車のテールランプを見つめながら、彼女が言いかけた言葉の続きを反芻していた。
(私……結城くんのことが……)
自意識過剰かもしれない。俺の勝手な勘違いかもしれない。
適性ゼロの無能な俺が、彼女のような才能溢れる太陽から、そんな特別な感情を向けられるはずがない。
だが、もしかしたら。
ほんの少しの、淡い期待。
「まもなく、下り電車が参ります――」
アナウンスが流れ、俺の乗る電車もホームに入ってきた。
俺は首を振り、その淡い期待を思考の隅へと追いやりながら、電車に乗り込んだ。
明日になれば、また彼女に会える。
その時に、もう一度聞いてみよう。そう思いながら。
――しかし。
翌日、学園の教室に、天道茜の姿はなかった。
彼女の笑顔が、俺の前から完全に消え去る『最悪の事件』の足音が、もうそこまで近づいていたのだ。




