強欲の代償
どれほどの時間が経ったのだろうか。
黒曜の森を覆っていた、息が詰まるような瘴気は、キバの消失と共にゆっくりと薄れていった。
「……終わった……終わったぞォォッ!!」
「俺たちは生き残ったんだ! ダンジョンブレイクは阻止された!!」
はるか後方の防衛線から、生き残った冒険者たちの歓喜の叫びが木霊してくる。
主を失い、霧散していく無数の眷属たち。
彼らは互いの無事を喜び合い、涙を流し、あるいは力尽きてその場に座り込んでいた。
やがて、彼らは傷ついた仲間を背負い、各々のペースで地上へと、光の差す出口へと向かって引き上げていく。
だが、その熱狂と安堵の輪から完全に切り離された闇の中で俺は、ただ一人、冷たい黒曜石の地面に膝をついたまま、動くことができなかった。
腕の中には、もう何もない。
光の粒子となって消え去った凛とキバの痕跡は、俺のジャージを赤黒く染め上げた、生々しい血の感触だけだった。
(……俺が、殺した)
その事実だけが、呪いのように脳内をグルグルと回り続けている。
俺の拳が、あの小さな胸を貫いた。
『守りたかった』という身勝手な願いが暴走し、結果として、俺は守るべき存在をこの手で破壊したのだ。
『これ……たべもの……?』
『美味しいぃぃぃっ!! ファミレス、すごい! 人間、すごい!!』
『おじさんは……わたしの、ほんとうのお父さんみたいだったよ』
わずか数日間の、短すぎる記憶。
コンビニの唐揚げを頬張って目を輝かせていた顔。
コーラの炭酸に驚いて泣きそうになっていた顔。買ってやったワンピースを着て、嬉しそうにクルクルと回っていた姿。
あの無邪気な笑顔を、俺のこの両手が、永遠に奪い去った。
「ああ……あああ……」
喉の奥から、乾いた空気が漏れる。
涙はとっくに枯れ果てていた。
ただ、胸の奥にポッカリと空いた巨大な喪失感が、俺の心を内側から削り取っていく。
『マスター……』
静寂の中、トラ子の沈痛な声が響いた。
いつもなら冷静に状況を分析する彼女の声にも、今は明らかな動揺と悲痛な響きが混じっていた。
『……マスター、自分を責めないで。マスターは、凛ちゃんを守ろうとしただけです……。
あんな風にスキルが暴走するなんて、誰にもわからなかったんだから……っ』
エク子も、いつもの明るい口調を完全に失い、泣きじゃくるような声で慰めてくれる。
だが、二人の優しい言葉も、今の俺の心には届かなかった。
どれだけ言い訳を並べても、俺が殺したという事実は変わらないのだ。
……それでも。
ここで永遠にうずくまっているわけにはいかない。
俺は、鉛のように重い身体に鞭打ち、血まみれの地面からゆっくりと立ち上がった。
「……エク子、トラ子」
俺は、ひび割れた声で虚空に向かって呟いた。
「『強欲』って……なんだ」
『え……?』
「俺が意識を失う前、頭の中に変な声が響いたんだ。……俺のスキルは【存在強奪】のはずだろ?
なのに、あのアナウンスは……『大罪スキル・強欲』って言った。……俺のスキルは、そんなおぞましいものだったのか?」
俺の問いかけに、脳内のAIたちは一瞬、息を呑むような沈黙を見せた。
やがて、トラ子が重い口を開いた。
『……マスター。お答えしたいのは山々ですが、私たち『システムサポートAI』の権限では、そのスキルの真なる起源や、存在目的についての詳細な情報にアクセスすることができません。
……強力なプロテクトがかかっているのです』
「プロテクト……?」
『はい。ただ、一つだけわかるのは……マスターの持つ【存在強奪】は、本来あるべき巨大な力の一部が欠落した、言わば『不完全な表層』に過ぎないということです』
エク子が、辛そうに言葉を継ぐ。
『今回、マスターの強すぎる「力が欲しい」っていう願いにシステムが呼応して、一時的にその奥底にあった【強欲】が顔を出した様です。
……でも、不完全な状態での強制起動だったから、暴走してしまいました』
「……そうか」
俺は、自嘲気味に笑った。
俺は、暗い希望にすがるように、血だらけの右手を握りしめた。
「なあ。俺の【存在強奪】は、対象のリポップを3時間封じるスキルだったよな? つまり、俺が殺した魔物は、3時間経てばダンジョンの法則で復活する……」
俺の言葉が、震えていた。
「凛もキバも……ダンジョンの魔物だ。
俺が殺しても……3時間待てば、また、どこかで生き返るんだよな……? そうだろ、エク子?」
もしそうなら、俺は一生かけてでもダンジョンを彷徨い、必ず凛を見つけ出す。
そして、今度こそ絶対に傷つけないように、離れないように守り抜く。
だが。
俺のその悲痛な願いを、エク子は無慈悲に打ち砕いた。
『……マスター。ごめんなさい……』
「え……」
『【存在強奪】なら、マスターの言う通りだったかもしれない。
……でも、暴走した【強欲】の効果は、違うの』
エク子の声が、震えていた。
『【強欲】は……文字通り、すべてを奪い尽くす力。
相手のステータスも、スキルも……そして、『存在そのもの』すらも完全に奪い取り、己のモノにしてしまう……』
それは、どういうことか。
『【強欲】に魂ごと喰い尽くされた存在は……ダンジョンのシステムからも完全に切り離されて、永遠に消滅します。
……二度と、復活することはありません』
――ガシャン。
俺の中で、かろうじて保っていた何かが、完全に崩れ去る音がした。
「……二度と、復活しない……?」
それは永遠の死。
凛がこの世界から、過去からも未来からも完全に消え去ったという宣告だった。
もう二度と、あの笑顔を見ることはできない。あの小さな手を引いて歩くことはできない。
「ああ……ああ……ッ」
俺は、再び地面に崩れ落ちそうになるのを、必死に踏みとどまった。
これ以上の絶望はないと思っていた。だが、現実はどこまでも冷酷だった。
『……さらに、マスターに報告しなければならない悪い知らせがあります』
トラ子が、業務的な、感情を押し殺したような声で告げた。
『不完全な状態での大罪スキルの行使、およびその暴走により、マスターの魂と肉体に深刻な『ペナルティ』が発生しています』
「……ペナルティ?」
『はい。マスターがこれまでに獲得してきた、【存在強奪】と【アイテムボックス】以外のすべてのスキルが、強制的に『消失』しました。
さらに、マスターの基礎ステータスが、本来の【10分の1】にまで大幅ダウンしています』
俺は、虚ろな目のまま、自らのステータス画面を空中に呼び出した。
【名前:結城誠】
【年齢:35歳】
【職業:冒険者(Cランク)】
【固有スキル:存在強奪、アイテムボックス(ドドンキの袋)】
【筋力:450】(※ペナルティ中)
【耐久:400】(※ペナルティ中)
【敏捷:365】(※ペナルティ中)
【知力:2】(※ペナルティ中)
超速再生も、竜鱗装甲も、縮地も、狂化も、すべて消え失せていた。
ステータスは、ただの「ちょっと腕っぷしの強い一般冒険者」レベルにまで落ち込んでいる。
そして、何よりも俺の目を引いたのは、知力だった。
(……知力、2……)
もともと低かった知力が、ついに虫けらのような数値にまで落ち込んでいた。
だが、今の俺には、それにツッコミを入れる気力すら湧かなかった。
『このペナルティは、最低でも『2週間』は継続すると推測されます。
その間、マスターは極めて脆弱な状態となります』
「……どうでもいいよ」
俺は、力なく呟いた。
力がなんだ。スキルがなんだ。
結局、俺は大事なものを守れなかった。そんな力など、最初から無ければよかったのだ。
俺は、黒曜石の地面に転がっていた黄色いドドンキの袋を力なく拾い上げた。
凛のために買った大量の食料。
それを肩に担ぎ俺は重い、重い足取りで、光の差す地上へと向かって歩き出した。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
こんな状況で紹介するのもアレですが、別作品のご紹介です。
よろしければご覧ください。
Sランク宮廷魔術師、理不尽な理由でクビになったので田舎でスローライフ(農家)始めました
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