迷宮氾濫7 存在強奪の真名
ロビから強奪したばかりのスキル【狂化】。
それは、理性を代償にステータスを一時的に爆発させる禁断の力の様だ。
俺はためらうことなくそのスキルを発動し、キバとの間合いを一息でゼロへと潰した。
(先手必勝!! ここで決めるッ!)
すべてを乗せた右拳が、キバの顔面へと真っ直ぐに突き刺さる。
当たった――はずだった。
だが。
俺の拳から、骨肉を砕くはずの『手応え』が、フッと消え失せた。
「……え?」
次の瞬間、視界が弾けた。
何をされたかすらわからなかった。
防御されたのか、避けられたのか、カウンターを合わせられたのか。
俺の眼をもってしても、その『神速』の軌道を捉えることは一切できなかった。
気づけば、俺の体は地面をバウンドしながら、遥か後方へと無様に転がっていた。
「が、はァッ……!?」
肺から空気が根こそぎ吐き出される。
立て。立てと脳が命令しても、両足が鉛のように重く、ピクリとも応えてくれない。
全身の骨という骨が悲鳴を上げ、内臓がぐちゃぐちゃに掻き回されたような激痛が遅れて襲いかかってくる。
――圧倒的に強い。
この世界に来て、初めて、心の底からそう思った。
「……それで終わりか?」
粉塵の向こうから、キバの静かな声が響いた。
その声には、怒りも、高揚も、息の乱れすらも一切なかった。
「拍子抜けだな」
カツ、カツ、と。
硬い靴音が、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
距離を取らないといけない。 逃げなければ死ぬ。頭ではわかっているのに、指先一つ動かすことができない。
「脆いな、ニンゲン。
……こちらはまだ――半分も出していないぞ?」
その言葉に、俺の心臓が、恐怖で大きく跳ねた。
(嘘だろ……。これで、まだ、半分以下……?)
喉がカラカラに乾く。
地面を掴もうとする拳すら、情けなく震えていた。
強すぎる。
ステータス差によるゴリ押しが全く通用しない。
武の極地。純粋な次元の違い。
圧倒的な強さに、俺はただ地面に這いつくばって蹂躙されるしかなかった。
満身創痍。
このままでは確実に殺される。
一方、ドドンキの袋の後ろからその凄惨な光景を見つめていた凛は、激しい頭痛に襲われていた。
♦︎
「うぅっ……あたま、いたい……」
凛は両手で頭を押さえた。
目の前で、自分をお世話してくれた『おじさん』が、あの白髪の大男に一方的に痛めつけられている。
だが、その大男――キバを見るたびに、凛の脳内に『知らない記憶』がフラッシュバックするのだ。
薄暗い玉座。
膝をつく白髪の男たち。
『キバ』という名前。
わたしは、あの人とずっと一緒にいた……?
わたしは、何かとても大事なことを忘れている?
混乱する記憶の渦。
だが、一つだけ確かなことがあった。
このままでは、おじさんが殺されてしまう。
そして、もしおじさんが負ければ、優しい雨宮さんや、一緒にファミレスでご飯を食べてくれたしずくや葵、街の皆が殺されてしまう。
「だめ……。おじさんを、いじめちゃだめっ!」
凛が悲痛な声を上げた。
その声は、血反吐を吐きながら地面を這う俺の耳にも届いていた。
♦︎
薄れゆく意識の中、俺は強く、強く願った。
(俺に力があれば……。この理不尽な状況をひっくり返す力が、凛を守る力が、あれば……!)
その瞬間。
世界から、一切の「音」が消え去った。
時間が完全に停止したかのような、絶対的な静寂の中声が聞こえた。
『――宿主よ』
トラ子でも、エク子でもない。
もっと深く、もっとおぞましい、俺の魂の奥底から響く『声』。
俺に宿るスキルの意志そのものが、直接俺の脳へと問いかけてきた。
『何を望む。……力が、欲しいか?』
悪魔の囁き。理性を手放せという誘惑。
だが、今の俺に選択肢などなかった。
(……ああ。力をくれ。あいつを殺す、絶対的な力を!!)
『――承認ぃ』
俺の脳内に、無機質で、しかしどこか嘲笑うかのようなアナウンスが鳴り響いた。
『――条件を満たしました。固有スキル【存在強奪】の真の力が解放されます』
『――スキルの真名を開示します』
『――大罪スキル【強欲】、起動』
ドクンッ!!!!
「……ッ!?」
俺の身体から、漆黒のオーラが天を突くように爆発的に噴き上がった。
キバが驚愕に目を見開き、咄嗟に後方へ飛び退く。
だが、遅い。
「ア……ガァァァァァァァァッ!!」
俺の口から漏れたのは、言葉ではない。
獣のような、いや、全てを喰らい尽くそうとする亡者のような咆哮だった。
スキルの制御は、完全に俺の手を離れ、暴走状態へと突入していた。
『――【強欲】の効果により、対象のステータスを【毎秒1%】強奪します』
彼の身体から、目に見えるほどの光の粒子が強制的に剥がれ落ち、俺の身体へと濁流のように吸い込まれていく。
「な、なんだこれは……! 貴様、私に何をしたッ!?」
キバの顔が、初めて恐怖に歪んだ。
【キバのステータスを強奪:筋力+120、耐久+100……】
【キバのステータスを強奪:筋力+118、敏捷+95……】
毎秒、毎秒、システムログが狂ったように視界を埋め尽くす。
俺の筋肉が異常に膨張し、骨が軋みを上げて再構築される。
知力以外のすべてのステータスが、無限に跳ね上がっていく。
対して、キバの身体は急激に色褪せ、その圧倒的だったプレッシャーがみるみるうちに萎んでいく。
「おのれ、下等生物があああッ!!」
キバが魔力を振り絞り、渾身の拳を俺の顔面に叩き込む。
――ガンッ!!
鈍い音。だが、俺の首は1ミリたりとも動かなかった。
最初は全く歯が立たなかったキバの攻撃が、ステータスの奪取かくにより、ただのそよ風に成り下がっていた。
「……」
俺は、白目を剥いた無表情のまま、キバの腕を掴み、その関節を逆方向へとへし折った。
「グアァァァァッ!!」
悲鳴を上げるキバの腹部に、遥かに許容を超えた膝蹴りがめり込む。
血を吐くキバ、逃げようとする。
だが、どれだけ距離を取ろうとも、【強欲】によるステータス吸収は止まらない。
キバは、少しずつ、だが確実に『弱者』へと貶められていった。
その光景を。
圧倒的な力でキバを蹂躙する『バケモノ』と化した結城誠の姿を。
凛は、割れるような頭痛の中で見つめていた。




