迷宮氾濫6 起死回生の一手
シルの死を目の当たりにし、狂化を果たしたロビ。
その豹変ぶりは、黒曜の森の空気を一瞬で真空へと変えるほどに凄まじいものだった。
「ア、アァァァァァァァァァッ!!」
ロビの咆哮と共に、彼女の全身から噴き出した赤黒い瘴気が、鋭利な「風の刃」へと姿を変える。
それは魔術による風属性の魔法。
しかしただの風ではない。
彼女の殺意と絶望を糧にした、空間そのものを切り刻む断層の嵐だ。
ズバズバズバァッ!!
「ぐっ、うああっ!?」
全方位から迫りくる数千の風刃をすべて回避することは不可能だった。
紺色ジャージが瞬く間にボロ雑巾のように引き裂かれ、俺の全身に数えきれないほどの細かな、そして深い切り傷が刻まれる。
『マスター! 回避に専念してください! 今の彼女の推定ステータス、狂化補正により一時的にマスターを完全に上回っています!』
『マスター、やばいよ! 物理だけじゃなくて魔法まで使ってくるなんて反則ですよ!』
トラ子とエク子の悲鳴が響く。
俺は奪ったばかりのスキル【縮地】を使い、瞬時にロビの間合いを離れようとした。
だが。
「逃がさない……逃がさないわッ!!」
ロビが大地を蹴る。
その踏み込みによる衝撃波だけで、周囲に転がっていた冒険者の遺体が粉々に砕け散った。
速い。
【縮地】による瞬間移動に肉薄する速度で、ロビが俺の目前に現れる。
ドォォォォンッ!!
「ぶっ……!?」
彼女の鋭い回し蹴りが、俺の【竜鱗装甲】を強引に貫き、腹部に直撃した。
俺の身体は砲弾のように後方へ吹き飛び、何本もの巨大な黒曜石の柱を粉砕しながら突き進む。
一拍遅れて、傷口から【超速再生】による蒸気が噴き出すが、再生速度を上回る勢いで新たな傷が増えていく。
(クソッ……! 隙がねえ……! 全く隙が見つからねえ!)
ロビの攻撃は、狂っているようでいて、その実、一分の無駄もない。
魔法による遠距離からの斬撃と、超高速の肉弾戦の波状攻撃。
少しでも気を抜けば、首が飛ぶ。
そんな極限状態の中、たどり着いた答えは一つ。
(もういい、考えるのはやめだ)
隙がないなら、無理やり作ればいい。
綺麗な戦い方が通用しないなら、一番泥臭い、一番無様な戦い方で押し通すだけだ。
「トラ子、エク子! 防御のサポート任せたぞ!!」
『マスター!? 攻勢に出るつもりですか? 被弾率が90%を超えます!』
(背に腹はかえられねえ……! 食らってでも、懐に潜り込む!!)
俺は、無数の風刃が渦巻く死地の中、回避することを完全にやめた。
ただ真っ直ぐに、ロビという「嵐の中心」を目指して、泥臭い突進を開始する。
「消えなさいッ!!」
ロビが両手を振り下ろし、特大の風の断層魔法を放つ。
俺の右肩から左脇腹にかけて、肉と骨を断つほどの衝撃が走る。
激痛が脳を焼くが、俺の足は止まらない。
ビチャッ、と俺の流した血が地面を叩く。
だが、その一歩分、俺はロビへと近づいた。
顔面を風が裂く。
左腕の肉が削げ落ち、白い骨が露出する。
【超速再生】が狂ったように細胞を修復するが、追いつかない。
それでも、俺の眼は、目の前の「敵」だけを射抜いていた。
十メートル。
五メートル。
三メートル。
「な……ッ!? 正気なの、貴方!?」
狂乱していたロビの瞳に、初めて「恐怖」の色が混じった。
致命傷を何十発と食らいながら、返り血で赤黒く染まったジャージ姿の男が、一度も瞬きをせずに自分へと突き進んでくる。
その異様さは、魔人である彼女から見ても「バケモノ」そのものだった。
一メートル。
射程内だ。
「逃がさねえぞ……ッ!!」
俺は、血の混じった咆哮と共に、渾身の一歩を踏み込んだ。
ドォォォォォォォォンッ!!
俺の左拳が、ロビの咄嗟に組んだガードの上から炸裂した。
骨が砕ける音が響く。だが、止まらない。
「もう一発!!」
右。
「もう一発だァァッ!!」
左。
ロビが、そのあまりの衝撃にたじろぎ、後ろへと下がろうとする。
俺は【縮地】を最短距離で発動し、彼女の鼻の先へと詰め寄った。
「逃がさねえって言ってんだろ!!」
俺の拳がロビの腹部に深くめり込む。
肺の中の空気が強制的に吐き出されロビの身体が、くの字に折れる。
彼女がのけぞり、距離を空けようとするその瞬間、俺は彼女の白髪を乱暴に掴み、強引に俺の目前へと引き戻した。
「まだだ!! 終わってねえぞ!!」
ガード? 知るか。
魔法? 撃てるもんなら撃ってみろ。
俺の右拳が、ロビの顔面を真正面から捉えた。
一発、二発、三発。
正確な技術なんてない。
ただ、神話級の筋力をそのまま乗せただけの、泥臭い連打。
だが、それこそが、俺の中の最適解だ。
「下がるな!! これで、決める……ッ!!」
俺は、右腕を肩からちぎれんばかりに引き絞った。
全身のバネ、脚の踏み込み、そしてここまでの激闘で高まったすべての力。
それ「一点に集約した、一点突破の一撃。
「うおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
ズドォォォォンッ!!!!!
俺の拳が、ロビの胸の中央――魔力の核へと突き刺さった。
衝撃波が背中側へと突き抜け、彼女の背後にあった黒曜石の地層が、10メートル以上にわたって粉々に粉砕された。
「…………し、し……る……」
ロビは、最期に空を見上げ、震える声でその名を呼んだ。
そして、その身体は光の粒子となって、俺の目の前から消滅した。
『――対象の討伐を確認』
『――固有スキル【存在強奪】が発動。対象の再出現を3時間封印します』
『――初回討伐ボーナスを獲得しました』
『――対象からスキル【狂化】を強奪しました』
『――HPが全回復し、基礎ステータスが上昇します』
俺の全身を、シルの時を遥かに上回る光の奔流が駆け抜けた。
傷が一瞬で完治し、失われた血液が満たされ、筋肉の密度がさらなる高みへと爆発的に上昇していく。
【筋力:3500】 → 【4000】
【耐久:3000】 → 【3500】
【敏捷:2650】 → 【3150】
【知力:20】 → 【20】
「ふぅ。……勝ったぞ、トラ子。……エク子」
『お疲れ様です、マスター。……無茶をしましたが、完勝です』
『すごいです! マスター、本当にバケモノですね! でもカッコよかったー!』
「ハァハァ……一言余計だ」
俺は肩で息をしながら、静まり返った戦場の中央で立ち上がった。
目の前では、二体の側近を失ったキバが、信じられないものを見るような目でこちらを凝視している。
「何をしている……ロビ……。戻れ。戻ってこいッ!!」
キバが、狂ったように魔力を影へと流し込む。
だが、俺の【存在強奪】ダンジョンの理さえも沈黙させる。影からは、何も現れない。
「…………」
俺は、静かにキバを一瞥した。
返り血で汚れ、ジャージはボロボロだが、負けるやけには行かない。
「……なるほど。よかろう」
キバが、ゆっくりと右腕を水平に構えた。
彼の瞳から焦燥が消え、代わりに底知れない、冷徹なまでの静寂が宿る。
「私の眷属を二体も屠るとは、予想外であった。ニンゲンよ、貴様はもはや、ただのゴミムシではない。……一人の戦士として、私が直々に相手になろう」
キバが、一歩を踏み出した。
その瞬間、ダンジョン全体が悲鳴を上げるような、凄まじい地響きが起こる。
「名を、何という」
「……結城誠。お前を屠る者だ」
「フッ……。面白い。……行くぞ、結城誠!!」
ダンジョンブレイクの元凶であるキバと、命運を懸けた決戦が、ついに幕を開けた。




