楽園の残り香の中で
忙しさも落ち着きを見せるときは、たまにある。
相変わらず血気だった人間もいるが、ヒメの努力はそれなりに報われる方向に向かっていた。
落ち着いて、空いた時間はどうなるかというと……。
ヒメのやることはいつも似ている。
「これも、やっぱり暗い話んだから……トキトちゃんは、もう……」
少し微笑んで本を閉じる。
そこは、トキトの自室。
もちろんトキトはいない。
幼いトキトの力が抜けた少女も、庭でお気に入りの小川を眺めながら、ヴェルグルたちに囲まれている。
その間に、ヒメが見ている壁の本棚の本。
それは、躍起になって練習していたトキトの学習ノートであった。
この世界の言葉を懸命に学習して単語を覚えながら…。
この手段が効率いい、と、自分の世界の物語や昔話らしいものを、頭から引き出してこの世界の言葉に書き出す。
表現に困ったら、または、単語が怪しいときは教師にいくつでもそれを聞き。
そらで書き終えられたら、おおよそ語学をマスターできるというわけだ。
いくつもの物語がそこには並べられ…。
人魚姫
赤い靴
マッチ売りの少女
フランダースの犬
幸福な王子
少年と狼
ごんぎつね
うろ覚えの歯抜けな忠臣蔵
雉も鳴かずば
書きかけのままの、リア王
どれも、トキトの書いた話は、手放しな幸福感がない。
自分で、悲劇や暗い話が大嫌いと言ってたのに、ずいぶんとかみ合わない事もあったものだ。
もしかしたら「こんな話が現実だったら嫌だろう」と言いたいがために、わざとそんなものだけを書いていったのだろうか。
想像を巡らせれば、すぐそばに、まだ彼女の足音が。
いや、声が聞こえてくるようで。
忘れることも、明るい気分になれなくても、できなくても。
この部屋の本を、また開きに来る。
彼女のふれたものの残り香を追うように。
「さ、おわり!」
そしてまた、仕事もあり、明るく振る舞う義務もあり。
ヒメは全く変化がないように日常を送っていく。
「カナちゃん、お夜食手伝おうか?」
「ヒメさま、大丈夫ですよ?今日もおいしいもの作りますからね!」
少しぎこちないながらも、カナはよく笑うようになった気がする。
悲しい過去を話さず前向きにするべき、という誰かの言葉のたまものだろうか。
「…時間が無駄に空くと、何かしないとって、やっぱ思っちゃうよね…ヒメさま、なんか暇つぶしない?」
ウブも、たまに口実を見つけてヒメに話しかけてくるようになった。
片手には何かの本が一冊。
過去に作られた分担スケジュールの、文字を教える学習時間がそのままなので、今は空いてしまった時間だからだろうか。
それらが意味をなさなくなっても、なんとなく自分から勉強なり読書をしている。
ナインも、必要な分はまだ足りないでしょうと、ソーダ水の元を積極的に取りに行っていたりする。
みんな言わなくても、だれかの影響がまだ強いのを自覚しているに違いない。
それでも変わっていくこれからを、受け入れている。
きっと、いいことだ。
「じゃあ、私はこれを返してくるね……すぐ帰るよ」
「……それは……」
図書館から借りていたという本。
文字の勉強、その他歴史などで、誰かさんが図書館からむしり取った各種の本たち。
少し落書きがあったり、これも思い出深いものだが。
ヒメが自分で持っていくことに意味がある。
ほかの誰も、気遣ってできないことだろうから。
「いいのかしら、あの司書の特例扱いだし、そのまま置いてても別に…」
「いいのよ、みんなのためだと思う」
「……ヒメさま…」
無理にすべてを切り捨てて変わる必要もない。
そう思い、周囲も時間をおけるよう気をつかってくれていたとヒメも思う。
しかし、それに甘えることもない。
それがこの行動だったのは明らかだ。
うれしくも、寂しくも。
入り混じったが前に進む意欲を感じることに、カナは特にほっとする。
「ごちそう、作りますね」
「なんか買い出ししてくるものが増えたなら、ま、行ってあげてもいいわ」
「いいよいいよ、それも、ついでで私が行ってくる」
落ち着いて気持ちだった。
そして、到着した図書館では。
「…ありゃ、あの外様司書のやつ、本当に今日いないんだ?」
「マホさんはもともと常勤ではないので、見かけたらお渡しするようにいたします」
一般の職員さん。
上のほうでは隠しようがないものの、世間一般では彼女はここの職員以外の存在ではない。
いまのところ。
そもそも、ヒメの顔を見て特に反応がないくらい暗部に疎い一般の人だ。
特にこちらからアクションすることなく、さっと借り物を返し、去る。
帰りには、ならばと申し訳なさそうに頼まれた鶏肉を買って帰る用事もある。
こうして、自分の目的をがしながら…。
新しい何かに向かっていくのかもしれない、みんなが。
ふと、そんなことも思ったりして。
気分良く帰宅をする。
と。
「ヒメさま!!!!!」
とたんに聞こえる、金切り声のような大声。
誰かと思い、とりあえず家の中に入るが。
「なんだユウリじゃない」
ヒメの中で、周囲で最も危険で敵視度を上げざるをえなかった女性。
なんといっても、べたべたトキトに触れて絡んでいたようで、感情だけであっても内心穏やかになれない。
服装からしても、今もだ。
これについても、実のところ、あのトキトがいないのだから戻していいのだが、そのままなのは気持ちの問題なのだろうか。
「出たな早期復権派の手先めぇ…かえれかえれぇ!」
「そんなことを言っている場合ではないんです!!」
抱きつこうとするのを、顔を押さえつけて必死に抵抗する。
「私に恩を売ったって、むしろ不利になるんだから、帰って今の王様の様子だけ見てきなさいって言ってるのにもうっ!」
「そんな無駄な時間やってる場合じゃ、本当にないんです!」
「いや本当に、本当に」
「……会いに行ったのに居なかったやつまでいる」
マホだ。
ユウリのうしろに、こちらはあまり慌てた様子がない。
仮とはいえ、表の仕事を完全にほっといて、こいつは何をしているのか。
「ぶっちゃけ、国際問題化しつつあるので、助けが欲しいという話なのですが」
「嘘がうまそうなアナタが言うのが、すっごいうさんくさ~い!」
「違うんです!大変なんです!!」
「いやだからそっちは落ち着いて、というか抱き着くのは何なの!」
抵抗がすこしずれて、完全に抱き着く姿勢になる。
「ち、ちょ…さすがに……」
その時。
小声で、さらりとユウリが一言。
「場合によっては千人単位で死体ができます、ご許可がないと」
「はあ!?」
さすがに、行動を気にしている自分すら忘れる一言であった。
【登場人物紹介】
トキト
異世界からとある儀式によってこの世界に呼ばれた少女
彼女が無事成人した時、王が正式にこの国に戻り独自の再建がはじまる条約が交わされていたらしい
そうさせたくない勢力が彼女を内々に追放し国外に持ち出そうとしたところからこの話ははじまった
ミカルナを眠りから覚まし、その力によってこの世界から放逐または追放の処分を受け、実質消滅した
前世は「近藤 まる」、さらにその前は「ナノ」という名であった
ヒメ
国王の実子ながら、王家のとある儀式に失敗したためか幼くして国外追放
その後唐突に連れ戻された末に継承権放棄の書面にサインさせられ国政から永久追放
見守っていた後継者は策謀でさらわれ、その捜索で奴隷に身を落とす直前まで来ていた王女
という何気に重い過去を持つ女性
当人はそれをさほど気にしていないので割と明るい
トキトと何気なくかわした「約束」がヒメにもトキトにも大きな転機を生む
刷り込みのようにトキトが懐くのは、トキトの肉体の記憶にはヒメに育てられた記憶が大半のためらしい
トキトに手を出したり傷つけるものは何人たりとも許さない構え。
ナイン
貴族令嬢誘拐の一連の事件以降トキト、そしてヒメに同行するようになる女性
ヒメより見た目は少し年上
ヒメのサポートをよく行っていて「ですので」が専らの口癖
警戒心が強く、よく他人を怪しんでいるが、怪しいのは常にお前だ
カナ・シーナ
貴族令嬢誘拐の一連の事件以降トキト、そしてヒメに同行するようになる女性
安易な鬱設定!の宝庫
常に控えめで、下手に出る性格
妹がいて、名前はタノ
ウブ・キツカ
貴族令嬢誘拐の一連の事件以降トキト、そしてヒメに同行するようになる女性
正義感が強いが粗暴で、さらにそれを表にはあまり出さないのが持ち味
いわゆるツンデレ
傭兵家業の血筋を自称していて、武器の扱いにたけている
レイ・イバヤク・クアヤ
誘拐事件の実質首謀者一族とされクアヤ侯の元から拉致された一人娘
上流階級のプライドと作法、顔の広さでは誰にも負けない自信を持っているらしい
数々の恨みとばかりに人災天災を問わず襲い掛かる苦難の果てに彼女の明日はあるのか
マホ
国営大図書館の司書
趣味は防犯トラップである疑似空間の静かな環境で本を読むこと
かつての戦争の戦後処理の際に用意された調整員という過去を持ち、今も国の内部の情報を漁りまくっているのだとか
ユウリ
貴族令嬢誘拐の一連の事件で最初にトキトに魔力を吸われたのが彼女である
侯爵家の末娘で、特殊な主義や政治手腕を稀に匂わせる
基本的にレイとの仲は悪い
イレイセ
呪霊樹の森、ひいてはミカルナの脅威を監視する目的を持っていたエルフの一族のひとり
総じて強い戦闘力を持つと言われているが、たいてい戦闘経験はなく臆病で人間関係作りが下手っぽい
ミウノコタツ
海中に王国を作り特殊な文明を築いている知性体種族
触手のようなものが頭から生えている以外はすこし身長が違うくらいで人間と見間違う容姿をしている
ただ、乾燥に弱く、水中でしか発声ができず、性別は存在しないという身体特徴を持つ
トキトが川に流す工業排水によって人間と遠巻きのスタンスを転換することとなる
地上には団長プラナルフ
続いてデハイナ、トゥーマ、ノテスデとクハスデの姉妹?を主に使節として派遣している
ヴェルグル
謎の多い小人の種族
繁殖期になるとおおよそどんな動物とでも繁殖できるが女性のヴェルグルしか子供は生まれないという
その一代だけ強く親の能力の影響を受ける特性と生物としての特殊さからお互い人と距離を置くことが多いようだ
トキトたちのそばには十二人の集団が一緒に生活している
全員が同じ集落から人間にさらわれ、トキトとヒメに助けられたことで、それなりの恩を感じているようだ
食べ物の誘惑(とくに呪霊樹の実)にはとにかく弱い
リーダーの名前はシタニ
ミカルナ
この世界が生まれた時には既に存在していたという伝説の巨大な龍
呪霊樹の森の力で、力が回復しないよう処置をされたうえで眠らされていた
この世界で生きること、動くことに問題がありすぎるらしく、いつしか自らの消滅を願っていた
クエレナ
次期国王最有力の女性で現在二歳数か月
仮の保護者の下、すくすくと成長中




