第7話 アハーン
ノアたち三人の本質とも呼べる聖刻は精霊界にあり、新たな肉体は具象界に残された。この二つを完全に切り離すと肉体は制御を失い動かなくなるため、「魂」によって本人の持つ聖刻と肉体を繋ぎ止めておく必要があった。
こうして、この世界の存在は例外なく二重の存在となり、意思を持たず自ら動くことのない岩や水は魂のない物質となった。そして、意思(本能)を持ち自ら動くことのできるモノは、魂を持つ生物となった。
精霊界と具象界、この二つの次元に見た目以外の違いは無く、常に両者は同数でなければならなかった。
例えば、山を削ればその質量が聖刻に変換され精霊界に流れていき、押し出された聖刻が新たな物質として具象界にしみ出してくる。この循環が世界の仕組みである。
世界の創造は順調に進んでいた。聖刻番号3番のマリエは、三人のワースメーカーに、太陽の光がまんべんなく届くよう、この星の運行と自然現象、そして文明に欠かせない火を司るように命じた。
聖刻番号5番のロマーは、五人のワースメーカーに山脈や大地の形成、森の分布、水の流れ、文明の発展に欠かせない鉄の知識、そして暗い夜を照らして導く月の創造と運行を司るように命じた。
新たに八人のワースメーカーが生まれ、この世界にとって「8」という数字が大きな意味を持つようになった。
彼らは仕事の効率化を図る為に管理範囲を細分化し、補佐となる存在をいくつも生み出した。
例えば水の管理は雨を担当する者、川を担当する者、海を担当する者というように分担作業にしたのだ。管理者は用途に合わせたアプリケーションだと考えてもらえば、わかりやすいだろう。
与えられた役割を果たす為に世界各地へと散らばった管理者たちは、後に「神」と呼ばれる存在となった。これが山の神、海の神といった神々の原型である。
それとは別に、多くの信仰を集めた存在(民族のリーダーや巨木など)が神格化され、神へと次元を上げる現象も確認された。
低次元の存在は、高次元の存在を感じることができても見ることはできない。それが神の神秘性をさらに高める要因となっていた。
世界の創造は終わりに近づいている。そのことをノアは悟り、静かに下界を見下ろしていた。それとは裏腹に、体内の白と黒の聖刻は激しくぶつかり合い、今にも体外へ飛び出そうとしているかのように感じられた。
山脈に腰を下ろし、月明かりを浴びて淡く燐光を放つノアの姿に儚さを見て取ったマリエは、胸騒ぎを覚えて彼女の隣に並んだ。
「珍しいわね」
マリエは多くを語らない、互いを理解しているからこその短さだ。
「この世界はね、次の次元に進むために試されてるの。前の次元は消えちゃったから。私が次の聖刻の根源なんだって」
ノアは他人事のようにそっけなく言った。
「それが真・聖刻?」
小さな灯りが点在する大地を慈悲深く見守るマリエは、ノアを抱き寄せた。
「うん……ロマー」
「いるよ、邪魔しちゃいけねーと思ったが、そうもいかないようだな」
二人の様子を静かに見守っていたロマーだったが、焦燥感を覚え、すぐ後ろまできていた。こんな感覚は初めてだ。
ノアに関しては何もわからないが、世界の創造の終わりがノアにとっても終わりなのではないかという不安が募る。
ロマーは自分が思っていた以上に、この少女を気にいっていたのだと知った。聖刻番号1番ということ以外情報が無く、同じワースメーカーでありながら自分たちとは違う存在。
そして、常に「わからない」という「楽しみ」を与えてくれる。マリエは黒の要素が強いと言っていたが。それだけではないように思えた。
「なぁノア、真・聖刻ってのは……」
それは突然おきた。ノアの体が白と黒の粒子となり散らばって、二人の周りをなごり惜しそうに漂うと、集まって混じりけのない白と混じりけのない黒の玉が現れた。
どのワースメーカーでも、白と黒の要素を持っている。その配分によってさまざまな特性や性格が形成されていた。だが、白も黒も同じというのはノアだけだ。そして、内包する聖刻が二つに分かれたのもノアが初めてだった。
「これが新しい聖刻の根源なのか? ノア!」
そう言いながらも、聖刻の根源とは別の存在なのだと直感した。本来、聖刻の根源は白と黒の2つで1つ。だがこれは違う、混ざっていないのだ。
そうか、ノアの目……黒の聖刻と同じ色だ。ロマーが伸ばした手は黒の玉を掴むことができずに空を切った。真・聖刻となったノアは、彼らよりも高次元に上がっていた。それゆえに低次元の存在は触れることさえ許されない。
ノアは渾沌の少女ではなかった。白と黒の聖刻が均等だったがゆえに、その摩擦によって発生する衝撃が強く、結果的に彼女が創り出すモノはいびつに形を歪めていたのだ。
ロマーだけではない、付き合いの長いマリエとて半身を失うほどの喪失感に身を震わせ、力なくうなだれるしかなかった。
「別れた白と黒の聖刻に触れるには、ノアと同じ次元に上がる存在を創るしかない。そうだろ?」
自分がなるのではなく創ると言ったのは、古い世代のワースメーカーであり世界の創造で力を使い続けた彼らでは、これ以上次元を上げるだけの余力がないことを知っていたからだ。
ロマーはマリエの手を取り、決意を伝えるように引き寄せた。もはやマリエの瞳に悲しみは無く、強い決意が宿っていた。
「この世界を試すと言ったな、ならば試そう! そして高次元に上がる存在が現れるのを待つとしよう! その時こそ、白と黒の聖刻を1つにしノアを取り戻す!」
その宣言を聞くと同時に白と黒の聖刻はいずこかへと消え去り、二人の創造主は精霊界で永い眠りについた。そして、この世界の次元を上げるための白と黒のせめぎあいが始まった。
◇ ◇ ◇
第二世代のワースメーカーは自分たちを創った二人の創造主を称え、東西に広がる広大な大地を「二人の神」もしくは「別れた力」を意味する言葉、「アハーン」と名付けた。




