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涙が止まらないや

 梅雨が明けいきなり暑くなると学校が夏休みに入った。家にいても外に出ても、取ってつけたようなセミの鳴き声が耳について離れない。死ぬ前に生き急ぐセミ。暑苦しいったらない。おれは虫どもの騒音から逃れるべく、みっくんを遊びに誘った。

 彼は町役場から徒歩で通える距離の、祖父が建てた家に一人で住んでいた。使っていない部屋が多く、庭も広いので、手入れが大変だという。

「売りに出してるんだけど、買い手がつかなくてね」

 人が出ていくばかりの田舎町の古い家を購入しようとする人はいないだろう。

「解体して更地か駐車場にでもしたら?」

「それも考えてる。ただ、自分の手で壊す気にはなれないんだ」

 田舎の夏のオアシスと言えばショッピングセンターと決まっている。おれは車でみっくんを拾い、冷房をガンガン利かせ、国道を走った。

「一人増えただけで車が重く感じられるよ」

「そろそろダイエットしないとかな」とみっくんは言い、両手で脇腹をつまんだ。

 セミールはおれたち市民の憩いの場だ。おれが子供のころ、ある無人駅の近くに広がる畑を潰してセミールが建てられた。そこを中心に、若者や家族連れが喜びそうな店が増え、「セミール通り」が形成された。新しく便利ですべてが揃う、それが魅力だった。

 今やセミールを含め、通りの建物の多くが古くなったが、建て替えや改装などの新陳代謝は活発だった。古い顧客と新しい顧客を集め衰えを知らなかった。市民は古きも若きもそこに依存し、誕生日やクリスマスなどのイベントを通じ多くの思い出を作り、愛着を深めるばかりだった。

 おれたちは昼前に、セミールと連絡通路で繋がっているシネコンで映画を見た。日米を代表する怪獣が大暴れするやつだ。そういう作品だから観客は子供、とりわけ男の子が多かった。キャラメル味やバーベキュー味のポップコーンの匂いに包まれながら見る映画は楽しかった。

「シリアスなゴジラもいいけど、こういうバカバカしいのも悪くないな」

「むかし夏休みに見たゴジラはみんなこうだったよね」

 おれたちが部屋を出ると、別のスクリーンからも人がぞろぞろと出てきた。客層から察するに女児向けの映画だったようだ。男の子と女の子とその保護者たちは通路で合流し、共に出口を目指した。

「パパ! どうして大人の男の人だけで映画を見るの?」

「しっ! 静かにしなさい」

 父親はおれたちに深々と頭を下げ、女の子を抱きかかえトイレに逃げ込んだ。するとおれたちの周りから人が退いた。観客たちは壁に体を擦り付けるようにして先を急いだ。

「なんだあれ?」

「たぶんゲイと勘違いされたんだと思う」

「ゲイも見たことないのか。いなかっぺめ」

「そういう問題じゃないよ」

 シネコンを出ると日差しが嫌にまぶしかった。おれは目を細めながら、「おっさん同士で仲良くするのがそんなに悪いか」と不平を鳴らした。

「あるいは小児性愛者と思われたのかも」

「ざけんなよくそ」

 みっくんといると昔の癖で口が悪くなる。幼かったおれはまだ、世間も身の程も知らなかった。

 おれたちはなんとなく周りの目を気にしながら、セミールの一階にあるカフェに入った。そこなら子供の目から逃れられるが、休日とあり若いカップルが多く、やはり場違い感がある。おれとみっくんは精一杯おしゃれした大学生の男女の近くに座り、パスタとスイーツとコーヒーのセットを味わう。

「どうしておっさんだけで群れてはいけないんだろう」と、おれが疑問を呈した。

「仕事とかゴルフとかなら別なのにね」

「分かった。男とは働き、稼ぐための生き物ってことになってるんだ。そのために必要な仕事や社交なら男だけでも構わない」

「男同士が損得勘定抜きで付き合うと気味が悪いのかな。お金にならないのに、何が目的か不明だから」

「それでぇ、こないだ話したバイト先の店長のことなんだけどぉ」

「それに、お金じゃなきゃカラダが目的って考えるのかもね」

「いっつも私の胸やお尻を嫌らしい目で見てくるの。ほんとキモくってぇ」

「みっくんのカラダかよ、おえっ」

「きみだって人のこと言えないよ」

「いちいち雑談しようとしてくるしぃ」

「おれたち三月に二人きりで旅行したけど、まずかったかな?」

「他人から見ればね。中年男が二人きりで温泉街を練り歩き、同じ和室に泊まって酒を飲むなんて」

「くっさい息吐いて、仕事終わったら飲みに行かない? だってさ」

「そういや二組の布団がくっつけてあったな」

「やっぱりゲイだと思われたんだよ」

「もう四十なのにまだ独身らしいの。あの顔じゃあ納得だけど」

「ところでみっくんって、女と付き合ったことあるの?」

「ないよ。どうやって付き合うようになるのか、その展開がまったく想像できない」

「婚活で失敗してばかりで女に飢えているのよきっと」

「そうそう! 会えば話ができる関係から、プライベートな時間に二人で会えるようになるまで、どうやって飛躍するんだろう」

「だから婚活アプリみたいなお膳立てが必要なのかも」

「自分のことなのに、アプリや相談所なんかに頼っている時点で終わってるよね」

「……おれたちってけっこうヤバい奴らかもな」

「確実に」

「相手の女に清潔感がないって言われてから、ちゃんとヒゲを剃って身だしなみに気を使うようになったけど、元の顔の作りが不潔なんだからどうにもならないわ」

「っていうかおれたちと比べたら、その店長まともなほうじゃね?」

「そうだね。まだ男でいようとする点や、結婚を諦めていない点なんか」

 おれたちが揃って目を向けると、女は「ヒッ」と声を上げ、怯んだ。対面に座っていた彼氏は女の隣に移り、おれたちの視線から守った。

「どんな店か分からないけど、部下を抱える責任者なんだろう。大したもんだ」

「仕事で忙しいのに婚活なんて、なかなかできないね」

「ちょっとルックスが悪いだけで娘ぐらいの子にここまで言われるのか。なんかおれ聞いてて泣けてきたよ」

「あれほんとだ。涙が止まらないや」

 若いカップルは食器も片付けずカフェを出ていった。

 おれたちは次にどこに行くか迷った。外のセミール通りをぶらつき、気になった店に入るつもりだったが、もうそんな気分ではなくなった。それより訴えたかった。おれたちはエスカレーター付近に設置されたベンチに座り、行き交う人の流れを眺めながら話を続けた。

「店長のことはまだいい。あの姉ちゃんは学生で、何も分かってないんだから。今でもおれの中でトゲのように引っかかっているのは、さっき映画館で女の子を抱いて逃げた親のことだ」

「目さえ合わせようとしなかったね。ぼくらをバイキン扱いして」

「みっくんもけっこう言うじゃないか」

「ぼくだって無感覚で何も考えずに生きているわけじゃない」

 それからみっくんは一方的に愚痴った。

 いつも役場で市民から「結婚はまだか」「独身男は信用できない」「通学路を避けて歩いてくれ」などのハラスメントを受ける。無害でいようと窮屈に生きているが、何もしなくてもさっきみたいにロリコン扱いされる。他者は独身男に一切仮借しない。子を持たない男は粗末にしていいと相場が決まっている。結婚できなくても惨めでも生きて納税しているのに。

 ぼくらの自由は罪なのかな。父さんが亡くなってからよくそう感じる。人は何かに縛られ不自由になっている人しか信じられない。今のぼくは市民から恐れられている。辞めさせろ、人目につかない所に置けって投書もあった。おかしな話さ。ぼくから仕事まで奪ったら何をやらかすか分からないのに。無害な人を追い詰めておいて勝手に被害者ヅラ。ぼくだって好きで自由になったわけじゃないのに。

「もういいよみっくん」

「でも、でも……」

「おれはみっくんを理解し、信頼できる。数が多けりゃ偉いと思ってる社会のほうが間違ってるんだ。おれたちは連中が忌み嫌う自由を行使する権利を手にしたと思えばいい。四十男。人生はまだ半分も残されている。あんまりくよくよしないで楽しいことをしようぜ」

「例えばどんなこと?」

「みっくんはまだ自由の楽しみ方を知らないから苦しいばかりなんだ。これからはおれが教えてやるよ」

 実家で取り戻したものの一つ、それは友情だった。

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