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中年の味わい

 一月二日。今年もおれの実家に親戚が集まった。メンツもやることも変わらなかった。

 酒盛りをしている間、目ざとい叔父はおれに「痩せたようだが、運動でも始めたのかい」と聞いた。

「はい。最近は格闘技をやっています」

「へえ、どんな?」

「MMAです」

「ほう」

 それが何か分からない叔父は首を傾げ、若者たちがひたすら走るテレビ画面を見て自分のペースを取り戻すと、「運動はいいことだ」と渋々認めるように言った。

「仕事はちゃんとやってるんだろうね」

「ええ、まあ」

「じゃあ後は結婚だな。もう四十なんだし、いつまでも遊んでられないよ」

 結婚だって遊びみたいなものじゃないか、とおれは思った。

 表面上、兄と兄嫁は仲良くしているが、この家を建て替える話は進んでいないようだ。きっと兄嫁がなかなか首を縦に振らないのだろう。条件面でどちらがどれほど折れるか、水面下で両家の鍔迫り合いが続いていると思える。

 呑気なのは子供だ。甥は携帯ゲーム機で去年と違ったソフトを遊び、親戚から小遣いをもらうと大喜びした。

「今年はおじさんからも」とおれは言い、五千円を入れた袋を渡した。痛い出費ではあるが、寄付をしたようないい気分になった。

 両親と兄夫婦の間で込み入った話があるだろうから、おれは早めに実家を出た。来年もここで新年会が開かれるのだろうかと思いつつ。

 去年の正月とは違い、今年は仕事があるので安心して休めた。ジムも閉まっているから適当に過ごした。家でテレビをつけっぱなしにしてスマホをいじったり、近所のスーパーをぶらつき半額になっているおせち料理を物色したり。店内のBGMは「春の海」。初詣、餅、凧揚げ、鯛。いかにもお正月らしいシーンが箏や尺八の音色と共に脳内をよぎり、コタツのような温もりと倦怠感で人々を包む。お屠蘇気分というやつだ。

 仕事が始まり、冬休みが終わり、成人式の乱痴気騒ぎが過ぎると、人々の生活がようやく軌道に乗る。長いようで短い一年がまた始まる。

 そんな時、次の休みは建国記念の日かと思うと、ふと無気力になる。日本人が四月から新しいことを始めようとするのは道理だ。多くの人は冬眠中の虫のように春をじっと待つ。暖かくなるより先に動き出すなら、何か異変が生じたということだ。

 一月下旬の土曜日、おれはみっくんから「相談事があるから会いたい」との連絡を受けた。

「どっかで酒でも飲む?」

「酒はまずいんだ。正月太りがまだ解消されてなくて」

「じゃあサウナでも行くか」

 車で家まで迎えに行くと、確かにみっくんはまた太っていた。腹回りは浮き輪みたいに膨らんでいる。その腹のサイズに服を合わせるものだから、腕の部分がゆるゆるで不格好だ。彼が助手席に乗り込むと、おれの愛車は大きく傾き、「ググッ」とくぐもった悲鳴を上げた。

「体重何キロあるの」

「九十はないと思うんだけど」

 行きつけのスーパー銭湯はけっこう混んでいた。休みなので子供連れも多い。近年のサウナブームで学生のグループも見られる。服を脱いでしまえば中年男二人組でも浮くことはない。

「絞れてるねえ」

「運動してるからな」

 みっくんは大浴槽に五分入っただけで大汗をかき、息切れし、半身浴に切り替えた。

「こないだ健康診断があったんだけど、いろいろな数値が引っかかって」

「大丈夫なのか」

「食事を減らし運動を増やさないと近い将来病気になるかもって医者に注意された」

「まずいじゃん」

「ねえ、サウナって痩せるのかな?」

「心拍数が上がるから脂肪も多少は燃えると思うけど」

 みっくんは「よいしょっ」と重い腰を上げた。おれはその掛け声に年寄り臭さを感じた。

 おれたちは低温サウナの一段目に座った。おれには物足りないが、みっくんの体からは面白いように汗が出てくる。腹の浮き輪にそれが溜まり、城の堀のようだ。

「簡単に痩せられる方法はないかな」

「飲み食いしないのが一番ラクさ」

「そんな人生楽しくない」

「まったくだ。じゃあ運動しないと」

「運動は嫌いだ」

「おれだってそうさ」

 そもそもおれとみっくんが仲良くなったのは、どちらも運動音痴だったからだ。飛んでも走っても投げてもぶら下がっても転がってもダメだった。毎年のマラソン大会では熾烈なビリ争いをした。

「それなのにどうして格闘技を続けられるわけ?」

「運動ではなくピアノとかの習い事と思えばいいんじゃないかな。強くなることじゃなくて、新しい技を身につけることを楽しむんだ」

「ふうん」

 みっくんは暑さに耐えられず、サウナを出て水風呂に入り、また戻ってきた。

「それに練習後のビールは格別だぜ。今はそれが一番のモチベーションだ」

「なるほどねえ」

 みっくんは無口になり、サウナに設置されているテレビを見た。芸能人が首都のデパ地下を散策し話題のスイーツを紹介している。

「……ぼくなんかでも始められるかなぁ」

 おれはそれが何かを知りながら、わざと「何を?」と聞いた。

「きみがやっているその格闘技」

 正直、おれは不安だった。ついていけるかではなく、本人にその気があるかがだ。しかし彼の声は深刻だった。

「ああいう美味しいものを食べられないなんて嫌だ。まだそう老けてもいないのに」

 若い女は視聴者に見せつけるようにスイーツを大きく頬張り、咀嚼し飲み込む時間を稼ぐためひとまず「うん!」と唸ってリアクションしてから、誰かが代わりに書いてくれた感想を読み上げた。

「じゃあ、やるか?」

「ああ、やるよ」

 翌週の水曜日。みっくんは本当にジムに姿を現した。おれは靴箱の前でもじもじしている彼に声をかけ、ジムの代表に「知り合いで、見学に来ました」と紹介した。代表は愛想よく応対した。

「ベテランの会員もいっぱいいますよ」

「あの人も四十過ぎて入会して、アマチュアの試合で勝ちました」

「ダイエットにもいいですよ。あそこの奥さん、ちょっと前までぽっちゃりしていたなんて信じられないでしょう」

「体験もできますのでいつでもお気軽にどうぞ」

 今まで自ら運動をしたことのないみっくんは、夏に近所をぶらつくような半袖短パン姿で体験に参加した。マット運動では、首が埋まっているから後転がスムーズにでき、ダンゴムシのようだった。体重があるぶん組むと強かった。寝技になると座礁鯨のように動かず、ただ短い手足をじたばたさせた。他の会員、特に若いやつらは苦笑した。ああはなりたくないなと、彼らの目は口よりも雄弁に語っていた。

 ジムを出て駐車場に向かう途中、おれは彼に「どうだった?」と聞いた。

「この格好じゃいけないよね」と彼は言い、汗だくでヨレヨレのTシャツを引っ張った。

「やるならばちゃんとしたトレーニングウェアを買わないと」

 みっくんは入会金を支払い、二月から会員になった。

 彼は練習に必要な用具を買い揃えていった。ラッシュガード、ファイトショーツ、大会のロゴ入りのグローブやレガース。どれも格闘技ブランドの新品だ。いつも同じ安い服を着て、ジムの汗臭い用具を借りる学生たちとは対照的。

「ぼくは形から入るタイプなんだ」

 すぐに音を上げるかと思ったが、みっくんはおれがいる水曜と金曜には必ず運動に来た。おれたちは来月初めて試合に出る星くんも交え、練習中に話をした。息子ほど歳が離れた子と対等に付き合えるのはいい気分だった。

「◯◯さんは試合に出たことありますか」と、星くんは前の質問を繰り返した。少し緊張しているのかもしれない。

「柔術の試合なら何度か」

「総合は?」

「おれのころにアマチュアで気軽に出られる大会なんてなかったなぁ。出る人はもうプロ目前の人ばかりだった。今はそれだけ総合が普及したということだろうね」

「おじさんたちは練習だけで精一杯だよ」とみっくんが言った。

「そう。スパーで取った取られたしているだけで十分さ」

「おれは強くなりたいんです」と、星くんが思い詰めたように言った。

「現状維持に満足せず先に進もうとするのは立派だよ。ぜひ頑張ってくれ」

「◯◯さんだってまだいけますよ」

「勘弁してくれよ」

 とおれは答えたが、まんざらでもなかった。実際に星くんを始め、若い子たちよりはおれの方が技術は上だ。木村のごとき基礎もガタガタなやつが出場するぐらいなのだから、おれが出れば案外無双できるのかもしれない。

 ある金曜日の夜。みっくんが練習後、そのままおれの家に飲みに来た。おれたちは交代でシャワーを浴びた。

「体重計借りていい?」

「どうぞ」

 汗をたっぷりかいたはずなのに、彼の体重は運動を始める前とほとんど変わらなかった。

「最初は筋肉がつくからなかなか減らないんだよ」と、おれはフォローした。

 おれたちはビールで乾杯し、コンビニで買ったつまみやスナック菓子を食べた。

「格闘技始めて変わったことある?」とおれは聞いた。

「こうして飲み食いしても罪悪感がなくなったことかな」とみっくんは冗談を言ってから、真顔になりこう続けた。

「まだぜんぜん強くなってないんだけど、あの空間にいられるだけでなんか、少しはまともになった気がする。ただ若い子を見ていると気後れするよね。みんな強くなろうとピリピリしてて。ぼくみたいなダイエット目的の人が邪魔してもいいのかって思うよ」

「彼らよりもみっくんのほうが立派さ。この歳、この贅肉、クソみたいな運動神経で格闘技を始めることの凄さは、なかなか理解されないだろうけど」

 おれたちにはそれが理解できた。

「きみだってぼくに負けず劣らず体育が苦手だったんだから、最初は苦労したでしょう」

「そうだったなあ」

 歳を取ると涙もろくなるという。それは加齢に伴う肉体の衰えや脳の機能低下によるものとの説があるが、おれは人生経験を積み他人の身になって考えることができるようになった、つまり想像力が豊かになったためと考える。身の回りの家族や知人までにしか想像が及ばない子供や若者とは異なる。そのせいで苦しみ悲しむことの方が多いが、こうして地元で友を取り戻し、酒を酌み交わし共感しあうこともある。

 長く生きるのはそう悪いことでもない。

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