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ジークハルト達がリューリングに戻ってきてからの一週間もあっという間に過ぎていった。
現地を訪れ、麓まで行き実際に採掘をしている所を視察をし、現場の意見を元に、商会との擦り合わせも順調に進んでいった。ヴァルトハイム家がすべきこと、ベルナー商会がすべきことを切り分けそれぞれの優先順位も付けも、ジークハルトの想像以上に順調だったのは、ひとえにベルナー会長の人脈と、クララの知識のお陰であった。特にクララのエメラルドに関する知識量は非常に豊富で、ジークハルトは何度も舌を巻いた。
リューリングに戻ってきてからは、プラール山採掘の概要と、ヴァルトハイム家がすべきことを父である現公爵に報告し、専門の部署を作る所まで決まったのだった。新たにヴァルトハイム家に何人か雇入れる許可も貰った。
「リューリングに次ぐ第二の街を己の手で作ってみよ」
フリードリヒ・フォン・ヴァルトハイムは、公爵家の執務室の椅子に腰掛け、机を挟んで目の前に立つ自身の息子に向かってそう告げた。その言葉は、公爵位を継いでからも、人生を掛けて成すべき事業の一つだと、ジークハルトは覚悟を決めさせた。領民たちが豊かに日々幸せに生活できるように、ヴァルトハイム領をこの手で更に発展させていこう、と。今はホルツ村と呼ばれているあの土地が、いつかホルツの街となるように。王国から見ても、最北端に位置するこの村が、鉱石をきっかけに一大都市へとなるように。
デニスにもホルツ村に関する一部権限を与え、彼の裁量に任せる部分を多く持たせることとした。さすがのジークハルトも一人だけでは抱えきれないと判断してのことだった。
「ジーク様、本日は修道院での打ち合わせとなっておりますが…」
「あぁ、問題ない。これを片付けたら支度をしよう」
署名を終えた書類を机の上でとんとんと整える。それを引き出しにしまった。あれからもう二週間が経過していることに驚きを隠せない。振り返ってみても、忙しない二週間だった。
「アーデル嬢は元気になられましたかね」
「無理が続いていなければいいが…」
デニスはその言葉をそっくりそのまま発した本人に返したい、と思いながらぐっと飲み込んだ。最近のジークハルトはどこからどう見ても根を詰めて働きすぎだ。少し自分を頼ってくれるようになり嬉しいものの、それでもジークハルトの両肩には重いものが乗っかっている。
「どうでしょうねえ。もう何だかんだ一ヶ月後ですからね。少し頑張りすぎちゃってるかもしれませんね」
「七月の最終土曜か…」
デニスは知らなかったのだろうが、貴族学院の最大の行事が、この日に行われる卒業パーティーだ。ジークハルト自身も三年前に経験している。首席で卒業する者はファーストダンスをするという有難迷惑な特典があり、婚約者のいないジークハルトは、相手探しに苦慮したものだった。
特に今年は王族がいるわけだから、かなり盛大に行われるのだろう。アーデルハイトも王族の婚約者として出席し、その準備も様々あっただろう。それが破談で全てが潰えてしまった。同日を提案され動揺を露わにするのも頷ける。
「少しでもいい日になるといいのだが…」
二週間振りに会うジークハルトは、涼しげな表情の裏に疲れが見え隠れしていた。忙しい中時間を割いてもらって申し訳ない、手短に終わらせよう、そう応接室に入ってほんのわずかな時間で、アーデルハイトはその思考に辿り着く。
「ジークハルト様、先日は温かい心遣いありがとうございました」
「いえ。その後はもう大丈夫ですか」
「はい。このようにすっかりと良くなりました」
温かい心遣い、と言うことで運んでくれたことも花束をくれたことも、どちらのことも含むだろう、とアーデルハイトはその言葉を選択した。
ジークハルトはそれに少し微笑み返して、良かった、と胸の奥底から出てくるような声色で言う。
ジークハルトが自分のことを本気で心配してくれていたんだ、とその声色で気付きその温かさにじんわりすると同時に、申し訳なさも込み上げてくる。
自分の過ちのせいでこの修道院にいるのに、ここに関わる全ての人たちは温かい。そんな温かさを享受する資格は自分にはあるのだろうか、自罰的に考えてしまう瞬間がある。アーデルハイトはジークハルトの心底の真心を素直に受け取れなかった。受け取る資格は自分にはないと思った。
「…ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした。来月の企画はきちんと務めますので…」
「いえ…」
その言葉にぴくりとジークハルトの眉が動いた。が、それ以上言及することもなかった。
「では、来月のことをもう少し詰めていきましょう」
ジークハルトはさっと場を切り替える。アーデルハイトは自身が用意した覚書をぎゅっと握った。
アーデルハイトは、ほっと一息ついた。院長にもジークハルトにも自身の企画が承認されたのだ。この二週間、頭の片隅にずっとこの事があったから、少し解放されたような気分になった。
院長がジークハルトに少し用があるということで、アーデルハイトは先に席を立った。足取り軽く、子どもたちの待つ遊戯室へと向かう。中庭を通り孤児院へと歩みを進める。六月の終わり、日の強さも日毎に増していっている。夏が近付いて来ているのを肌で感じる。
遊戯室に着き扉を開くと、各々が、朝にアーデルハイトが与えた課題をこなしていた。文章を書いているルーカス、計算問題に取り組むレオとリーゼ、本の文を書き写すエルザとグレーテ。
扉を開けた音に気付いたのだろう、ぱっとリーゼが顔を上げる。
「あれ、先生、何かいいことがあった?」
アーデルハイトの顔を見たリーゼがそう問いかける。感情を隠すのが得意だと思っていたが、リーゼに見抜かれてアーデルハイトは目をぱちくりとさせた。
「…あら、分かる?騎士の皆様が来てくれる日に、皆で遊戯が出来ることが正式に決まったわ」
その言葉にグレーテが手を止めて、ぱあっと顔を輝かせた。
「やったあ!楽しみ!」
「なので皆にも手伝ってほしいことが今後出てくると思うわ。その時にはよろしくね」
レオ以外がもちろん、と口を揃えて言う。レオも何も言わないけれど、否定的ではないようだった。
「では、お昼にしましょうか。その後で、出来たところまで見させてちょうだい」
はーい、と全員で修道院へと移動する。外へと続く孤児院の扉を開けた瞬間、熱を孕んだ風がアーデルハイトたちの頬を撫でた。
「あっつ」
レオが陽の光の眩しさに目を細める。アーデルハイトも思わず眉を顰めた。黒目黒髪だった日本人時代は、太陽の光を目が開けられないほどだ、と思ったことはあまりなかったが、青い目になってからは、眩しさを痛感することが増えた。外国の人達がよくサングラスをしていた理由に納得がいった。どうやら、お洒落のためだけではなかったようだ。
先程通ってきた道を今度は反対に進む。中庭に植えられたイレーネの花は、まだ香り高く咲き誇っている。
「あっ!」
丁度渡り廊下に差し掛かった所で、グレーテが一際大きい声を出し、指をさした。その先を見やると、用事が済んだのだろう、丁度修道院の扉を開いて出てきたジークハルト達だった。
「グレーテ、人を指さしては駄目よ、失礼に当たるわ」
そうグレーテの腕を右手で下ろし窘めながら、アーデルハイトは慌てて子供たちを一列に整列させた。渡り廊下を通って帰るため、丁度彼らが自分たちの前を通るからだ。アーデルハイトは頭を下げたが、それに倣ったのはルーカスとリーゼ、エルザだけだった。
「あの時の王子様だ!」
右隣にいるグレーテがアーデルハイトの心配した通りに、明るい声色でジークハルトに向かって声を発する。アーデルハイトは激しく後悔した。こんなに早く打ち合わせが終わるのであれば、昼食を先にせず、課題の確認をしてから、昼食へと向かったのに、と。
「グレーテ、頭を下げなさい」
右手で彼女の背中に触れれば、グレーテもよく分かっていないながらも、頭を下げた気配がした。
「構いませんよ、顔を上げてください」
そう頭上から声が降ってきて、アーデルハイトは頭を上げた。子どもたちは周りをきょろきょろと確認し、お互いに様子を伺いながらいつもの姿勢に戻った。
「申し訳ございません。後で強く言って聞かせますので、どうかご…」
ジークハルトの顔を真っ直ぐ見上げれば、その後ろで一生懸命笑いを堪えているデニスが目に入り、アーデルハイトは思わず言葉を止めてしまった。
その様子にジークハルトは訝しげな表情で後ろを振り返る。
「…デニス」
呆れた声色だった。
「も、申し訳…ござい、ません」
デニスは笑いをなんとか堪えながら謝罪をしようとして、更にどんどん壺に入っているようだった。アーデルハイトは、自分が言葉を止めてしまわなければ、ジークハルトから非難の目を向けられることがなかったのに、と申し訳なく思った。
「…ふっ…、お、おう、じ様…っ」
どうやらグレーテの先程の発言がデニスの笑いの琴線に触れたようだった。
(確かに、所謂"王子様"とは雰囲気は違うわね)
とはいえ自分の主をそんなに笑わなくとも、とは思ったが、ここまで自然体でいられるデニスを見て、改めてジークハルトとの信頼関係を感じた。
「だってアーデル先生を、」
グレーテが自分の発言を否定されたと思ったのだろう、口を尖らせながら言う。アーデルハイトはグレーテの口を塞ごうと右手を動かしたが、自分の名前が出てきたので、思わず手を止めてしまった。それを数秒後に後悔することになる。
「お姫様抱っこしてたんだもん。お姫様抱っこするのは、王子様でしょ?」
アーデルハイトは一気に体温が上がるのを感じた。顔が火照っていることを察したが、それに気付かないフリをする。
「な、何を言ってるの。領主様のご子息よ。ジークハルト様も、申し訳ございません」
アーデルハイトは慌ててグレーテへ訂正し、ジークハルトにはぺこぺこと頭を下げる。どんな表情をしているのか確認するのが怖くてジークハルトの顔を見れない。レオの眉はアーデルハイトの言葉にぴくりと反応したが、慌てふためいているアーデルハイトは全く気付かなかった。
(字が少しずつ読めるようになったからといって、おとぎ話を読ませすぎたわ…)
そのアーデルハイトの焦りようにデニスは更に笑い出す。立ち居振る舞いが完璧だと思っていた人の人間らしい様を見て、デニスは勝手に親近感が湧いていた。
「デニス」
ジークハルトのぴしゃりとした声色に、デニスはすっと笑いを引っ込めた。アーデルハイトは内心、できるなら最初からしてくれ、と思ったが、デニス的にはかなり無理をしてのことだった。
「アーデル嬢、部下が大変失礼いたしました。お詫びいたします」
「いえ、こちらこそ…、申し訳ございません」
ジークハルトは平時と変わらない真面目な表情で頷いた。その変化のなさにアーデルハイトは安堵した。
「ふーん、じゃあ、あんたが今度来る騎士に護られてる主ってわけだ」
ああ、今日はなんてこの子達の問題発言が多いのだろう。先程のグレーテの発言は、まだ幼いから、と笑って見逃せるものではあったが、これは看過できない発言だ。
「ジークハルト様、私の教育不足です。どうかご容赦を」
深々と頭を下げたアーデルハイトの隣に人が来る気配がする。
「私からもどうか…。きつく叱っておきますから」
その声でアーデルハイトは院長だと察する。横に並んで同じように頭を下げた。
「お二人とも、どうか頭を上げてください」
そのジークハルトの声色は柔らかく、穏やかだった。院長と二人、ゆっくりと頭を上げる。聞いた貴族によっては打たれても、なんなら命を失うことになっても、文句は言えない言動であった。
ジークハルトは、以前アーデルハイトから全員が全員、騎士に興味がある訳では無い、と言っていたのを思い出した。そのうちの一人なのだろう。ジークハルトは腰を屈めてじっとレオを見つめた。
「君は、上に立つ者が嫌いなのですか」
「いや別に…。ただ護られてるだけの奴が嫌いなだけ」
レオの乱暴な物言いに、アーデルハイトははらはらしながら二人のやり取りを見つめていた。
「成程」
そう一言言うと、すっと腰を伸ばしてアーデルハイトを見た。
「アーデル…嬢、騎士との模擬戦の最後に、私も参加することは可能でしょうか」
「ジークハルト様が…、直々に?」
「ええ、模擬戦の勝者と戦いましょう」
アーデルハイトは困惑してデニスに視線を送る。それを受け取ったデニスが口を開いた。
「ジークハルト様はお強いですよ。普段から鍛錬されてますから。怪我もされないでしょうし、特にお止めする理由もありません」
「そうですか…。デニス様がそう仰るのであれば、私は構わないのですけれど…」
ありがとうございます、とジークハルトはそう言ってからレオにもう一度向き合った。
「確かに護られるだけの人も多いでしょう。ですが、全員ではないことも同時に知っていてください」
ジークハルトはレオにそう告げて、では、と足早に去っていく。院長もその後に続いていった。
アーデルハイトは安堵の溜息を大きくついた。貴族とはどういった存在なのか子供たちに教える必要がある。ジークハルトでまだ助かった。




