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54 茶会のあと、トレモルは

 治療室にいたアコピの元に、ドリアンから使いがきたのは、スートレラ親子が馬車で帰ろうという頃。

 ドレイファスはメイベルと、治療後にぐったりしたトレモルの側についていた。

少し発熱したトレモルの額に、水で濡らしたタオルをのせてやり、替えてやったりをしていたのだ。


 マーリアルからの相談を受けたドリアンは、すぐモンガル伯爵家へ手紙を認めた。

 嫁いできたマーリアルは知らなかったが、ヌレイグ・モンガル伯爵はドリアンの妹シロノアと同い年の幼馴染で、ドリアンも幼少からよく知っている人物だった。

 先代の功績により領地替えになり、離れたことでドリアンとは行き来が途絶えていただけ。シロノア夫妻とは今も親しく交流していた。その縁があった故に今回茶会に呼ばれたのだが、実はその縁こそがモンガル伯爵夫人がトレモルに辛く当たる理由でもあることを誰も知らない。


 ドリアンはヌレイグ・モンガルに、トレモルを治療のために数日預かること、そして子息の怪我の原因を解消してから迎えに来るよう筆を走らせた。


 受け取ったヌレイグは、すぐ丁寧な感謝の言葉とトレモルを頼むと返事を寄越したが、その字は動揺が見て取れるほど乱れていて。

 ドリアンは、屈託なくよく笑った少年を思い出して胸が痛んだ。




 そのトレモルはというと。

治療室に一番近い客間に泊め置かれることになり、アコピと、ドレイファスが代わる代わる訪れて、少しも休めていない。


 しかし家では母に怯えて息を潜めていたため、皆がやさしく気遣ってくれることがとても居心地よく、心穏やかに過ごしていた。

 二日目には家に帰るのが怖いと思うようになってしまう。離れてみて、他の家族に触れてみてわかったのだ。

 これが普通の家族だとしたら、自分の母は普通じゃない。

 家ではつねられたり叩かれたりするようなことも、ここでは口で注意されるくらいで、誰もこどもに暴力を振るわない。

 一体自分はあれほど暴力を受けねばならない何をしたのだろう?自分の何が悪かったのだろう?幼い頭で考えようとしたが、答えはわからないまま。


 ひとりになると、トレモルは悲しくて泣いた。

 親が恋しくてではない。ここにいたいのに、いつか家に帰らねばならないことが悲しくて泣いていた。




 モンガル伯爵家では、ヌレイグが妻ミンサに真実を話すよう説いていた。

 しらばっくれても公爵家からの申し入れと、治療師の診断書があり、誤魔化しはきかないのだが、口を開こうとしない。

 しかたなくミンサの実家から父ヨルツ男爵が、そしてヌレイグの母の先代モンガル伯爵夫人メリが招集され、ミンサを謹慎させた上で、使用人たちへの面談を行った。


 結果。

 ミンサのトレモルへの暴力や暴言は真実だった。何人もの使用人から実際起きていた様々を聞いた。


 トレモルは、ヌレイグが登城や領地視察で不在のときは怯えて部屋に籠もっていたようだ。

 するとミンサは、食堂に出てこないならいらないのだと、食事すら与えないことがしばしばあったと。食堂に来たら来たで、やれ行儀が悪い、咀嚼音を立てたなど言いがかりをつけて折檻していたと。


「なぜ、私に言ってくれなかったのだ?」


 ヌレイグがそう責めると、使用人たちは口々に、言えば次は自分が狙われたと言って目を逸らした。トレモルを庇ってミンサから暴力を受け、ヌレイグの知らないうちに辞めさせられていた者がいたことも初めて知った。


 ヌレイグの管理不行き届きと言えばそれまでだが。


 ミンサの父、ヨルツ男爵は娘の愚行を恥入り、床に頭を擦りつけて謝罪したが、メリは可愛い孫に対する嫁の言動に激怒して、赦さない赦さない赦さないと、壊れたように絶叫した。




 裕福だが爵位が低いヨルツ男爵は、格上のモンガル伯爵家に娘を嫁入りさせるため、先代伯爵に常識を超えた持参金を持たせて縁組を成立させた。

 モンガル伯爵家では領地の災害があり、その持参金が必要だったのだが、その頃ヌレイグとフォンブランデイル公爵家の令嬢シロノアは身分違いの恋仲だという、シロノアの婚約を妬んだ悪意ある噂があった。


 当人たちは、まったくそんな気はない。

本当にただの幼馴染で仲が良かっただけ。

シロノアと婚約者は想いあっていて、噂が流れたとき、シロノアとヌレイグはこどもの頃のように二人きりで会うことは既になかった。


 二人を知る者たちが噂を否定しているうち、噂は誤りと新しい噂に上書きされたわけだが。


 しかし誤った噂を鵜呑みにしたミンサは、ヌレイグはシロノアを愛しながら金のためにいやいや自分を娶ったと思い込んでいた。


 ヌレイグは、ロマンチストではない。

誰に対してもざっくばらんと言えばまだ聞こえはよいが大雑把で、シロノアはだかららくちんな付き合いでよいくらいに思っていたのだが、ミンサは愛のない自分だからぞんざいに扱っていると思い込んでいたのだ。


 トレモルはそのヌレイグに瓜二つだった。


「ヌレイグに邪険にされ、愛されないという気持ちを同じ顔のトレモルにぶつけると、スッキリした」


 そんなことを臆することなく言うミンサをモンガル家に置いておくことはできないと。ヨルツ男爵家が大変な額の慰謝料を払い、連れ帰ったミンサを領地に軟禁してようやく聞き出せたのは


「せいせいした」


 謝罪はなかった。



 ともあれ。

ヌレイグ・モンガル伯爵は、自らもひどく傷つきながら五日ほどで不祥事に決着をつけ、フォンブランデイル公爵家に嫡男を迎えにやって来た。


「久しぶりだ、ヌレイグ。顔色が酷いが大丈夫か?」


 ドリアンが幼馴染に率直に語る。変な同情はしないほうがよいと考えて。


「此度は本当に迷惑をかけた。私の管理が行き届いていなかったために、公爵家にもスートレラ子爵家の子息にも、トレモルにも申し訳ないことをしてしまった」


 そう言って腰を折り、深く頭を下げた。


「うん、私は別に迷惑でもない。幼馴染ではないか。助け合わずにどうする?」


 顔をあげたヌレイグはすでに目を赤く染めている。

 ドリアンが差し伸べた手を握り、その手に額を押し付けてとても小さな声でありがとうと呟いた。


「せっかくだから今日はトレモルと我が家に泊まっていったらどうだ?懐かしい話をしよう。夜はトレモルと一緒に眠ったらいい。

明日帰るのか?領地が大丈夫ならしばらく滞在していくのもいいぞ。ドレイファスがトレモルと仲が良くなったから、帰ると聞いたら泣くかもしれないなぁ」



 ドリアンが語ったとおり、ヌレイグが迎えに来るまでの六日間、秘密の畑にこそ連れては行かないが、勉強も剣術も、朝も昼も夜もなんでもドレイファスとトレモルは一緒に過ごしていた。

 学び遊ぶ、同年齢のこどもとの時間は、ドレイファスを刺激した。トレモルは剣術に夢中になり、一週間ほどである程度の形を取ることが出来るようになったほどだ。

 ドレイファスは広く浅く興味を持つ好奇心旺盛なタイプだが、トレモルは一つのことに集中する。目の色を変えて素振りをするトレモルを見て、ドレイファスも思うところがあったらしい。


 ふたりで剣術の稽古から戻る途中、マドゥーンが迎えに来た。


「ドレイファス様、トレモル様もお客様でございます」


 そう言われてトレモルは家からの迎えだと気がついた。無意識にドレイファスの袖をぎゅっと握る。

 ドレイファスは袖を握るその手を握り返してやると、目を見て「大丈夫、一緒に行こう」と促した。


「かえりたくないよ」


 俯いたトレモルが言ったが、こどものドレイファスにしてやれることは多くないと、ふたりともわかっている。


 執事のマドゥーンが応接の扉をノックして開け、こどもたちを通すと、そこにはドリアンとヌレイグが待っていた。


「おとうさ」


 言い終わらぬうちに父に抱きしめられたトレモルは、火がついたように大きな声を上げて泣き出した。


「トレモル、すまなかった。辛い思いをさせたのに気づいてやれなかった」


 そう言うヌレイグも泣いている。


「トレモル、私とおまえの母は別れ、母はすでにリルツ男爵家へ戻られた。おまえが望まない限り、母に会うことはないだろう」


 それを聞いたトレモルは、一瞬泣き止み、ほっと息を吐いた。母に会えなくなったと言われたのに、安堵の表情を浮かべたのだ。

 それを見たドリアンとヌレイグは、こどもの傷の深さを思い知ることとなった。


「何日かこちらに滞在させてもらうことにしようかと思うんだが、トレモルはどうしたい?」


 今にも帰らねばならないと思っていたトレモルは、泣いた顔のままパァっと笑い、泊まりたい!と父の手につかまった。

 その小さな手を握りしめてまだ泣きながら、じゃあ一緒に泊めてもらおうとこどもと約束を交わしている。


 ドレイファスはいつの間にか父と手を繋いで、トレモルとその父の再会を見つめていた。


 貴族は感情を抑えるのが普通なので、父はちょっと笑うくらいしても、泣くなんて見たことがない。とても驚いたが、トレモルが嬉しそうでよかったと感じていた。

帰ってしまったらさみしいけれど。

でも、トレモルが嬉しいのが一番大切だと。


いつもお読みいただき、ありがとうございます。

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