それは、絶望でした
ルドはボロボロの体で倒れていた。手足は辛うじて、くっついている程度。息は止まりかけ。白銀の鎧は血と土まみれ。
赤髪の男がルドを覗き込む。
「まだ粘っていたのか。さっさと攻撃して勝てば、開放されるのに」
「うる、さ……自分は、絶対に……しな、ぃ」
空気をいくら吸い込んでも苦しい。肺に満ちた血で溺れる。それでも屈服しない。
男が満足そうに頷いた。
「それでこそ、我が選んだ駒だ。と、言いたいところだが、さすがに、しぶとすぎるぞ」
男は濃い赤髪をかいた。薄い琥珀の瞳が、呆れ半分、困り半分で見下ろす。
服は独特で、腕と腰にだけ鎧を付け、あとは盛り上がった筋肉を晒すように薄い布を巻いている。
男は胸の前で腕を組みなから、その場に腰を下ろした。
「ここが貴様の心の中でも、痛みは普通にあるだろう? それとも、そんなに、あの女を攻撃することが嫌か?」
「グッ……」
男の視線の先に、クリスがいた。
深緑の瞳に輝きはなく、表情もない。黒いローブを羽織り、背中に金の髪を流している。
ルドも視線を動かそうとした。しかし、全身を貫く激しい痛みで動かせない。
「ここで死ぬのは、何度目だ? 死ぬのも、かなり苦しいだろ? それを何度も何度も、よくやっていられるな」
男が一人で饒舌に話すが、ルドは聞き流していた。言葉の意味を考えるのも億劫だ。
「ふむ。今は表に出ても、影の中に封じられているから、何も出来ぬしな。少し話をしてやろう。痛みが無駄に長引けば、次はまともに戦う気になるかもしれんし。だが、反応がないのは、つまらぬ」
男がルドに手をかざす。
『回復』
息が楽になる。あらぬ方向を向いていた四肢が、まともな形に戻った。
「なおっ、グッ……」
少しでも動くと痛みが走る。その様子に男が薄く笑う。
「傷は治したが、痛みはそのままだ。だが、会話ぐらいは出来るだろ?」
「悪趣味……な」
ルドは体を起こすことを諦め、力を抜いた。
「そもそも、貴様はただの駒なんだ。それなのに、ここまで手をかけてやっているんだぞ。光栄に思え」
「駒とは、なんだ? なぜ、こんなことをする?」
ルドの侮蔑が混じった視線に、男が肩をすくめる。
「すべては、貴様たち人間のためだ」
「どういうことだ?」
「人間とは浅はかだ。繁栄を極めれば、あとは周囲の生命体を巻き込んで衰退する。だから、そうなる前に我々が繁栄前に戻している」
「なっ!?」
反射的に体を動かし、激痛が走る。ルドは大きく深呼吸をして堪えた。
「まさか、それで師匠の一族は……」
「あぁ、あの時はこちらもいろいろあって、気が付いた時には繁栄し過ぎていたからな。さっさと駒を選んで戦わせたら、平和ボケしていた駒はあっさり負けた」
「繁栄と駒が、どう関係しているんだ?」
「今時代の人間と、前時代の人間の中から、実力がある複数の者を駒として選び、戦わせている。そして、今時代の駒が前時代の駒に負けた時、今時代は繁栄を極めたと判定され、文明を消される」
「今時代の駒?」
「あぁ。ちなみに、今時代の駒の一つは貴様だ。そして、前時代の駒の一つは、あいつだ」
男がクリスに視線を向ける。
「あいつには全知野郎がついている。あのスカしたヤローに、今度こそ吠え面をかかしてやろうと貴様を選んだのに、この有様だ」
「師匠が駒!?」
「そうだ。貴様はいずれ、あの女と戦うことになる。だから、こうして予行練習をしてやっているのにな」
拍子抜けだ、と男が見下ろす。ルドが睨みつける。
「……おまえは、何者なんだ?」
「ん? そういえば名乗っていなかったな。我はボルケーノ。火、鍛冶、戦の神と呼ばれている」
「神……だと!?」
ボルケーノが胸を張る。
「そうだ。我が貴様の全加護をしているのだ。幸甚の至りであろう」
「……そうか。戦の神が全加護をしていたから、治療魔法が使えなかったのか」
「怪我をせねば、治療などいらぬ。傷を負わぬだけの強さを与えているのだからな。ヤツらとの闘いで勝つための駒だ。生半可な加護などせぬ」
「ヤツら?」
ボルケーノが冷めた声で説明する。
「人間の言葉でいう、悪魔だな」
「まさか……師匠には悪魔の加護がついている、のか?」
驚くルドに、ボルケーノの顔が歪む。
「全知であることを鼻にかけた、ラプラスという小賢しい悪魔だ。悔しがる顔を見てやろうとしていたのに。肝心の駒が、この体たらくだからな」
「師匠とは戦わない。二度と剣は向けない」
ルドの脳裏に苦い記憶が甦る。我を忘れ、クリスを剣で突き刺してしまった時の、あの感覚。今でもハッキリと思い出せる。
剣から伝わるクリスの振動。微笑みながら触れてきた手の温もり。
その時の記憶だけは、切り取られたように、鮮明に残っている。
ボルケーノは興味なさそうにクリスを見た。
「だから、あの女は貴様の心の中のモノであって、実物ではないと言っているだろ。一回でも勝てば、戦う必要はない。その痛みからも、解放される」
「実物でなくても、自分の中の師匠であろうとも、二度と剣は向けない。そう決めた」
「頑固だな。ま、時間はいくらでもあるし、他の方法もあるからな」
ボルケーノが立ち上がる。クリスの隣に行くと、輝く金髪を手で梳いた。
「よく見れば、よき顔立ちをしているな。あのラプラスが好みそうな人間だ」
「師匠に触れるな!」
ルドが立ち上がろうとして、全身に痛みが貫く。這うように体を起こすルドに、ボルケーノが口角を上げた。クリスの腰に手を回し、体を密着させる。顎に手を添え、自分の方へ向ける。
そして、顔を近づけながら囁いた。
「さて。今は人形のように動かぬが、犯したら、どういう反応をするだろうな? 服を引き裂き、この白い肌に爪を……」
「やめっ……ろ!」
ルドが痛みを押して立ち上がる。だが、すぐに体が崩れ、膝をついた。
痛みで汗が滝のように流れる。吐き気がこみ上げ、嘔吐するが何も出てこない。動きたいのに、痛みと眩暈が体の自由を奪う。
心の中とは思えない感覚。肩で小刻みに息をすることしかできない。
痛みと苦しさに堪え、ボルケーノを下から睨みつける。
ボルケーノは満足そうに笑った。
「それだ。その顔だ。さあ、今度はちゃんと戦って勝つのだぞ。でなければ……」
ボルケーノがスッとクリスから離れる。クリスが躊躇いなく右手をルドに向けた。
ルドの呼吸が止まる。全身が空気を求め、苦しさが襲ってくる。心臓が早鐘を打ち、暴れる。
苦しさのあまり、ルドが自分の首に手を伸ばす。だが、首に触れる前に目が霞んだ。心臓が静かになり、意識が消えた。
次にルドが目を開けた時は、痛みも苦しさもなかった。何事もなかったように、円形闘技場の真ん中に立っている。
前方には黒いローブを頭から被り、全身を隠しているクリスがいた。一方のルドは、輝く白銀の鎧をまとい、右手に剣を持っている。
ここで今までなかった、騒がしい声が耳に入ってきた。無人だった観客席が人影で埋まっている。
地表から吹く風が、歓声とともに、クリスのローブを巻き上げた。女性らしい体を飾るような漆黒の鎧が現れる。観客の声が沸き上がる。
クリスは歓声に応えるようにフードを外した。金髪が風にのって広がる。
その姿にルドの目と心が奪われた。こんな時でも、美しいと惹かれてしまう。
ルドが見惚れていると、怒号に近い歓声が圧し掛かってきた。観客のテンションが最高潮になる。
地の底を這う低い鐘の音が響く。クリスが躊躇いなく踏み出す。
「師匠!」
ルドが叫びながら、クリスの魔法が届かない範囲へ距離をとる。そこに頭の中で直接、ボルケーノの声が響いた。
『今度こそ勝て。でなければ、貴様が負けた瞬間、その女を観客席にいるヤツらの餌食にする』
「なっ!? クッ!」
ボルケーノの話を気をとられ、クリスの魔法に気づくのが遅れた。氷の刃が四方から突き刺さる。
ルドは地面を転がり、クリスから逃げるように距離を取った。
「師匠は無詠唱魔法を使ってくるから、攻撃が読めない」
『迷っている場合ではないぞ。あの中に放り込んだら……どうなるだろうな』
「なにを!?」
ルドが姿の見えないボルケーノに向けて叫ぶ。観客席からは歓声や怒号、咆哮が飛んでくる。
人の形をしている者から、人と動物が混じった者、見たことのない形状をしている者など様々だが、皆一様に興奮している。あの中にクリスが入ったら、何をされるか分からない。
ルドがクリスからの攻撃をひたすら避ける。
「あれは……なんなんだ?」
『先ほど説明したであろう? これは予行練習だと。あいつらは人間が、神や悪魔と呼んでいる者たちの姿だ」
「あれが!?」
『外観だけだがな。中身は貴様の嫉妬や憤怒、色欲など負の感情だ。貴様が負けた瞬間、女は貴様の負の感情の中に放り込まれる。あの女を傷つけるのは、貴様自身だ』
「なっ!?」
思わず動きが止まる。そこに鋭い岩が飛んできた。
「しまっ!?」
腕をクロスしてガードするが、手足の服は岩の鋭い刃によって破れ、切れた皮膚から血が流れる。頭の中でボルケーノの笑い声が響く。
『さあ、どちらを選ぶ? どちらにせよ、貴様によって、あの女は傷つくがな』
「クソッ!」
ルドが右手に持っている剣を握りしめる。
「どうすれば、いいんだ……」
その問いに返事はなかった。




