27.アッテルベリ。
「ここがアッテルベリ伯のお屋敷ですの?」
「うん。懐かしいわ。昔はルフタサリ家の別宅だったの」
クリーム色の壁に青みがかった緑の屋根。屋敷の脇には、大きな楡の木。美しく手入れのされた庭。庭の薔薇は、母が愛したものだった。
「ほら、向こうに薔薇のアーチが見えるでしょう? あの先に四阿があって、良くそこでお父様とお母様と、三人でお茶をしたわ。アッテルベリ家の当主、ヴェストリン様はお父様とはご学友だったの。私も小さい頃、よく遊んでいただいたのよ」
セピア色に色あせた、懐かしい思い出がまざまざと蘇って来る。
アッテルベリ卿は、両親の残してくれた屋敷を、以前のまま残してくれていた。
取り次いでもらえるか不安だったが、門兵に声を掛けると、程なく屋敷の執事が対応にやって来た。
幸い、アッテルベリ卿の屋敷の執事は、大分老いた感じはあるが、リューティアも馴染みがある男だった。
「シンバリー! …ああ、申し訳ありません。覚えていらっしゃる? リューティア=ルフタサリです」
「リューティアお嬢様?! ああ、お元気そうでようございました。エルンスト様がお亡くなりになられた後、リューティア様のご様子がわからず、旦那様も奥様も大変心配なさっておいででした」
「色々あって…。ごめんなさい、お約束も無しに突然押しかけてしまって。アッテルベリ卿はお元気ですか? 御在宅でしたら、少しだけでもお話出来ないかと思いまして…」
「ええ、おられますが…。旦那様に確認を取ってまいります。少々お待ちください」
ほどなく屋敷の中が騒がしくなり、慌てたように綺麗に顎鬚を整えた壮年の男が駆けて来た。
この屋敷の当主、ヴェストリン=アッテルベリ伯爵だ。
「リティ! ああ、無事だったか! 良かった、心配をしていたんだよ? 随分と長い事連絡が取れなかったものだから」
「ヴェスおじさま!」
駆け寄ってきたヴェストリンは懐かし気に目を細めた。
「とりあえず、立ち話も何だ。中へお入り。…と、リティ、そちらの方達は?」
「あ、ご紹介します。『鋼の緋熊』のカイ=テラァスカルフと、私のお友達、ライサ嬢です」
「突然押しかけましたご無礼お許しくださいませ。お初にお目にかかります。わたくし、ライサシュルヴィア=アレクサンテリと申します」
「アレクサンテリ…?」
カイは小さく会釈をし、ライサは見事なカーテシーをしてみせた。
初めて聞いたライサのフルネームは、リューティアの知らない家名だったが、ヴェストリンはライサの家名を知っている様で、酷く驚いた顔をしていた。
何だろう? と首を傾げていると、ヴェストリンは我に返った様に笑みを浮かべ会釈をした。
「これはご丁寧に。私はヴェストリン=アッテルベリと申します。さぁ、どうぞ」
***
「――そうか、エルンストが亡くなった時、君はまだ十歳になったばかり、だったね」
ヴェストリンは寂し気にポツリと小さく呟いた。
「私…。あの人がお父様の弟だなんて、信じられないんです。私はまだ子供だったし、随分と前のことでうろ覚えだけれど、確かにあの時、執事のルーカスは、そんな話は聞いていないと申しておりました。ですが、違うという証拠も無くて…」
リューティアの言葉に、ヴェストリンは眉を寄せる。
「エルンストに弟がいたのは確かだよ。私もあった事は無いが、学生の頃、彼が時折弟の話をしていたのを覚えている。名前もアーグウスト、エルンストはアーグィスの愛称で呼んでいた」
「…じゃあ…。あの男が言っていたのは、本当だったのでしょうか…」
血の気が引く。きっと父の弟の名を騙っているのだと思っていた。だからこそ、証拠さえ手に入れれば、家と領地を取り返せると思っていた。
目の前が真っ暗になる。
「私も俄かには信じがたいし、悔しく思っているよ。エルンストとは苦楽を共にした旧友だ。エルンストが領地の為にどれだけ尽力してきたか、私も良く知っている。それだけに、エルンストが必死に身を削り守ってきた領地や君が、好き勝手に荒らされるのを黙って見ているのは歯がゆくてならん」
ヴェストリンは節くれだった指先を絡め、悲痛な表情を浮かべていた。
「私も納得はいってはいないよ。あのエルンストの弟が、ここまで愚弟とは正直思いたくないのでね。私も調べさせてはいるのだが、これといった決定打が見つからんのだ。エルンストの話では、明るく陽気で自由奔放な性格だったそうだ。異国に渡りそのまま住み着いてしまったと聞いていたのだが」
「私の屋敷に居たアーグウストと名乗る男は、明るくも陽気でもありませんでしたが」
「そうだろうね。けれど、それでは違うという証明になどできないだろう? 月日というのは人を変えるものだ。些細なことが切っ掛けで別人の様になってしまう事は、然程珍しいことでは無い」
ヴェストリンは深くため息をつくと、執事に指示を出し幾つかの書類を運ばせた。
十数枚に渡る書類には事細かに彼が独自に調べ上げたアーグウスト=ルフタサリについての記述が書き込まれている。
それによると、確かにエルンストには三歳年下の弟がいたこと。髪の色、瞳の色、共にリューティアの家に押しかけて来たアーグウストと同じだ。
東の小国、セーデルブロムで男爵家の令嬢と恋に落ち、リューティアの祖父母の反対を押し切り、向こうで結婚したらしい。その妻の名は、フリティラリア。叔母を名乗った女と同じ名だ。娘が一人。ここも同じ。
姿柄もあったが、似ていると言えば似ているかも、という程度だ。いかんせん、父エルンストもアーグウストもお世辞にもイケメンとは言い難い、それこそ石を投げれば似た人に当たるほど、平凡な顔立ちだった。さらに普段のあの男は常に怒鳴っている印象で、笑顔の姿柄では似てるのかどうなのかさえわからない。姿柄自体、元よりも幾分良く描かれるのが常だ。姿柄のアーグウストは椅子にゆったりと腰かけ、優しそうな笑みを浮かべているが、あの男がこんな笑みを浮かべるのは、想像すら出来ない。
「あの男の爵位継承にも、不当性は見当たらなかった。エルンストが亡くなった時、君はまだ幼く領地の経営は無理だった。エルンストの子は君一人で、エルンストの両親は既に他界している。爵位の継承権を持つのは、エルンストの弟、現ルフタサリ当主アーグウストだけだった。爵位の継承は正当なものと言わざるを得ない。立場的にはルフタサリの方が我がアッテルベリよりも格上。私が口を挟めることではないのだよ」
申し訳なさそうにヴェストリンは眉を下げた。
「ただ、現状ルフタサリ卿をこのまま辺境伯の地位に挿げておくのも厳しいだろう。今はナースリヴェーラが大人しいから何とかなってはいるが、このままルフタサリが辺境伯としての職務を放棄するのであれば、陛下が動かぬはずもない。私の方でも引き続き調べておくよ。落ち着いたら連絡をしなさい。出来うる限り、力になろう」
「ありがとうございます、おじさま!」
ルフタサリを取り戻す手は何も見つからなかったが、一つ、味方を得ることができた。
それだけでも、大きな収穫だと、リューティアはほっと安堵の笑みを浮かべた。
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