25.ムトゥカ。
「――へぇ、じゃあ、ムトゥカはシェラーサの出身なの?」
「ああ。男爵家の五男坊でね。爵位は兄貴が継いでるし、元々商家からの成り上がりの五男だからオマケみたいなもんだしね。で、今は傭兵しながらあっちこっち旅してんの。ナースリヴェーラからの商談の護衛で五日前にハルヴォニーに入って、三日前にヒルトゥラに着いたとこだったんだ。コロッセウムの常連、カイ=テラァスカルフの名前は前から知ってたよ。だから昨日宿で見かけて気にはなってたんだ」
小ぶりの馬鈴薯を刺したフォークをフリフリ、としてから、黒衣の男――ムトゥカは、にかっと笑みを浮かべ、馬鈴薯に齧りついた。
「やー、コロッセウムで驚いたよ。無頼風と一緒に居た可愛いお嬢さんが『やっちまえー!』だもんなー」
あはははは、っと可笑しそうに笑うムトゥカにライサが顔を真っ赤にした。
「見ていらしたの!?」
「だってヒルトゥラと言えばコロッセウムっしょ? やっぱ一度は見ておきたかったからね。俺も行ってたんだよ、コロッセウム。あんたらよりも三つほど後ろに居たんだ。試合よりもお嬢さんたちが気になっちゃってねー。めっちゃ笑かしてもらったわ。けど、試合終わって宿に戻ろうとしたら先に帰って行ってたお嬢さん二人が店から出るの見かけて、ちょっと心配になったんだよね。ただ俺も街を眺めながら歩いていたから、あんなことになってるとは思わなくてさ。宿屋に向かう道曲がったら姿が見えないから嫌な予感がしてね。慌てて戻ったんだ」
「そうだったの…。ところでカイは? よくわかったわね。路地に入っちゃっていたのに」
「ああ、俺は何となく? 勘だよ勘。なぁーんか嫌な予感がして嫌な感じがする方に走ったらお前らがいたの」
「それって勘でどうにかなるもんなの…?」
野生の勘ハンパ無い。凄いを通り越して呆れてしまう不思議。
「とりあえず、カイの試合は終わったんでしょ? これからどうすんの?」
「ああ、とりあえず、もう一日滞在して国境のあるエッゲリングに向かう予定だ」
「もう一日って、何か予定でもありまして?」
「ええ、ちょっと――」
リューティアはちらりとムトゥカを覗き見た。助けて貰った恩はある。けれど言ってもいいものか。ライサの時はすんなりと話せたのだが、ルフタサリの闇を見てしまった後なのもあり、失礼だとは思っても、どうにも不安が首を擡げてしまう。
ムトゥカは一瞬きょとんとすると、直ぐに小さく苦笑を浮かべた。
「あー、部外者には話しにくい感じかな?」
「そういうわけじゃないんだけど、えっと…」
「良いよ良いよ、会ったばっかで信用しろってのが無理な話だし、俺がリティの立場でも多分言わないだろうから。何でもかんでもベラベラしゃべっちゃう方が心配になるしね」
ムトゥカは少し困ったようにあはは、っと笑うと立ち上がった。
「それじゃ、俺はそろそろ席を外すよ。少し散歩に行ってくる。飯ご馳走さん」
「あ、あ、ごめんねムトゥカ!」
リューティアは慌てて立ち上がると頭を下げた。ムトゥカは目を細めて笑うと、軽くリューティアの頭をぽんっと撫でた。
「気にしない気にしない。ちょっと酔いも冷ましたいしね。俺も一旦ナースリヴェーラに戻る予定だから、エッゲリングで運が良ければまた会えるかもしれないね」
***
「明日はアッテルベリ卿の屋敷に向かう予定なんだ。約束をこぎつけているわけじゃないから会って貰えるかは微妙なんだがな」
「アッテルベリ卿? そう言えばアッテルベリに領地が移ったと仰っていましたわね」
ムトゥカが席を外すと、三人はライサが首を傾ける。
「ヴェストリン=アッテルベリ伯爵、だよ。一応このヒルトゥラはアッテルベリ卿の領地になる」
「ヒルトゥラはルフタサリ領ではありませんの?」
「元はルフタサリ領だぁな。二年前にルフタサリ領からアッテルベリに移ったんだ」
ヒルトゥラがアッテルベリの手に渡ったのは、まだ僅か二年前のこと。アッテルベリもまた、ルフタサリの没落により、様々な問題を抱えていた。
その為いまだヒルトゥラはルフタサリの影響を強く受け、隣接するルフタサリから流れ込む破落戸が後を絶たず、奴隷狩猟区などという不名誉なものまで残ってしまっている状態で、立て直しには莫大な費用と労力を必要とする。荒れに荒れた内部の腐敗は手の付けようがないのが現状だ。
表向きだけでも変わらずにいられたのは、ひとえにアッテルベリの功績と言えよう。
「何が出来るかは、判らないんだけれど…。私、あの男にこのまま領地を任せてはおけないの。ここに来るまでにも、幾つか見て来て、このままじゃダメだって」
「そう、ですわね…」
ライサはじっとテーブルに視線を落とし、何か考え込む素振りを見せると、リューティアの手をぎゅっと握った。
その目には、何か決意の様なものが滲んでいる。
「わかりましたわ。お邪魔でなければ明日わたくしもご一緒させてくださいまし。今はまだ無理ですが、わたくしもきっとリティのお役に立てると思いますの」
「うん、ありがとう、ライサ。心強いわ」
真剣な顔でリューティアの目を見つめるライサの表情に、ふわりと胸の中が暖かくなる。
ライサの気持ちが嬉しかった。
「とりあえず、今日は色々あったからな。早めに休むとするか」
ニ、っと笑みを浮かべると、カイはエールのジョッキを一気に飲み干し立ち上がった。
***
三人と別れたムトゥカは一人、夜の街に出た。一度周囲を見渡すと、フードを目深に被り、足音を殆ど立てずに風の様に駆けだした。
やがて中央広場の片隅で待つ二人の男と合流する。
上質の上着に身を包んだ夜の闇にも鮮やかな見事な金髪のサファアブルーの瞳の見目麗しい青年と、彼の護衛と思われる黒髪に琥珀色の瞳の大柄な男だった。
ムトゥカは青年の前に進みでると片手を胸元に当て、深く一礼をする。
「イェレ様、お待たせいたしました」
「ご苦労だったね。守備は?」
「明後日ヒルトゥラを発ち、エッゲリングに向かうそうです。如何なさいますか?」
「構わないよ。もうしばらく様子を見よう。鋼の緋熊が付いている様だし、悪いことにはならないだろうからね。あの子もさすがに懲りただろうから」
「かしこまりました」
「じゃ、行こうか。ジョイス。案内をしてくれ」
「はっ」
ジョイスと呼ばれた男は、一度主に深く一礼すると、先に立って歩き出した。
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