表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『公爵令嬢様、距離感が近すぎます! 〜伯爵子息は今日もツッコミが追いつかない〜』  作者: 伊佐波瑞樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/84

第9話 公爵令嬢様、応援の距離感も近すぎます


 皆さん、こんにちは!!


 アルフレッド・シェルザートです。


 王立学園に入学して、数日が経ちました。


 最初の入学式。


 初授業。


 初食堂。


 初めての「食堂のほどほど」。


 そして小皿。


 そう、小皿である。


 あれ以来、俺の中で小皿という単語の存在感が妙に増している。


 普通、小皿は料理を取り分けるためのものだ。


 決して婚約者同士の距離感を定義するための道具ではない。


 だがリリスの中では違う。


 彼女は真剣に、


『食堂のほどほどは小皿が大切です』


 と語ったらしい。


 結果、フルーラ公爵家からガロウ公爵の書状が届いた。


『娘が「小皿は節度です」と言っている。説明しろ』


 説明できるか!!


 むしろ俺が説明してほしい!!


 ……と思ったが、冷静に考えると少し分からなくもない。


 直接食べさせるのは近すぎる。


 同じ皿から取るのも少し近い。


 小皿で渡すなら節度がある。


 つまりリリスなりに、ちゃんと考えているのだ。


 考えている。


 考えているのだが、毎回言葉選びが独特すぎる。


 そんな学園生活にも、俺は少しずつ慣れてきた。


 教室では、リリスは斜め前の席。


 授業中は前を向く。


 我慢できたら、休み時間に褒める。


 廊下では少し近いが、歩きやすい距離。


 食堂では小皿。


 ……小皿はもういい。


 そして今日。


 ついに、実技授業の日が来た。


 王立学園では、貴族としての教養だけでなく、最低限の武術や護身術、魔法の基礎も学ぶ。


 男子は剣術や体術を中心に。


 女子も護身術や魔法基礎を学ぶ。


 もちろん、得意不得意や家の方針によって差はある。


 リリスのような公爵令嬢も、最低限の護身術は身につけるらしい。


 そして俺は、剣術がそこそこ得意だ。


 父上からも、ライズからも、幼い頃から鍛えられてきた。


 だからこそ今日の授業は、少しだけ気が重い。


 なぜか。


 リリスが見るからだ。


 いや、見られるだけならいい。


 むしろ格好悪いところは見せたくない。


 少しは良いところを見せたい。


 ……今のは秘密だ。


 問題は、リリスが心配しすぎる可能性があること。


 そして、応援の距離感がどうなるか分からないこと。


 朝、屋敷を出る前に父上から言われた。


「アルフレッド、今日は剣術実技か」


「はい」


「リリス嬢が見ている前で格好つけすぎるなよ」


「格好つけません」


「本当か?」


「本当です」


「男は好きな子の前では少し強く見せたがるものだ」


「母上にも似たようなことを言われました」


「夫婦だからな」


「そこで息を合わせないでください」


 父上は楽しそうに笑った。


「まあ、お前の剣は悪くない。普段通りやればいい」


「はい」


「ただし、相手を怪我させるな」


「分かっています」


「そして、自分も怪我をするな」


「はい」


「リリス嬢が泣く」


「そこですか」


「大事だ」


 否定できない。


 母上はいつものようにハンカチを追加してくれた。


「今日は実技でしょう? 汗を拭くものと、アマリリス様が泣きそうになった時のもの、分けておきなさい」


「母上、用途が完全に分かれていますね」


「混ぜるのは失礼でしょう?」


「そういう問題ですか?」


「そういう問題よ」


 母上は真顔だった。


 俺も真顔で頷くしかなかった。


 そしてライズは、学園用の鞄を確認しながら言った。


「若様、本日は訓練用の手袋も入れております」


「ありがとう」


「水分も」


「ああ」


「予備のハンカチも」


「母上が入れてくれた」


「さらに予備の予備も」


「多いな」


「アマリリス様がどの程度お泣きになるか不明ですので」


「泣く前提をやめろ」


 そんな朝を経て、俺は学園へ向かった。


 学園に着くと、リリスはすでに正門近くにいた。


 今日も制服姿。


 髪にはブルーローズの髪飾り。


 相変わらず、朝の光を受けると絵のように美しい。


 だが、俺を見つけた瞬間、表情が少し柔らかくなる。


 それだけで、周囲の生徒たちが小さくざわつく。


 もうだいぶ慣れた。


 慣れたくなかったが、慣れた。


「アル、ご機嫌よう」


「ご機嫌よう、リリス」


 リリスはいつものように走らず、ちゃんと歩いてきた。


 偉い。


「今日も走りませんでしたね」


「はい。朝はだいぶ慣れてきました」


「素晴らしいです」


「……朝から褒められました」


 リリスの頬が赤くなる。


 だが泣かない。


 成長だ。


「今日は実技がありますね」


 リリスが言った。


「はい」


「アルは剣術がお得意なのですよね」


「得意というほどではありませんが、少しは」


「ライズ様から、アルはお強いと聞きました」


「ライズが?」


「はい」


 俺は背後に控えるライズを見た。


 ライズは何事もなかったように目を伏せる。


「ライズ」


「事実を申し上げただけでございます」


「余計なことを」


「アマリリス様が若様のことを知りたいと仰いましたので」


「それは……」


 言い返しづらい。


 リリスが俺を見上げる。


「アルが剣を振る姿、楽しみです」


「期待しすぎないでください」


「楽しみです」


「二回言いましたね」


「大切なことですので」


 その目がきらきらしている。


 かなり期待されている。


 やめてくれ。


 緊張する。


 教室へ向かう途中、ユリウスとエレナ嬢が合流した。


「おはよう、アルフレッド、アマリリス様」


「おはようございます」


「ご機嫌よう、ユリウス様、エレナ様」


 ユリウスは俺の顔を見るなり、にやりと笑った。


「今日は実技だね」


「ああ」


「シェルザート家の剣、見られるのを楽しみにしているよ」


「ユリウスも剣は?」


「嗜む程度かな。兄たちにはよくしごかれたけど」


「侯爵家も大変ですね」


「お互い様だろう?」


 エレナ嬢がリリスへ微笑みかけた。


「アマリリス様も護身術を?」


「はい。最低限は学んでおります」


「まあ、では今日はご一緒できそうですね」


「はい」


 リリスはそう答えたあと、少し不安そうに俺を見た。


「アル」


「はい」


「怪我をしませんか?」


「訓練用の剣ですし、先生も見ていますから」


「でも、剣です」


「木剣です」


「木でも痛いです」


「それはそうですが」


 リリスの表情が曇る。


 これはまずい。


 心配が強くなっている。


「リリス」


「はい」


「俺は無茶をしません」


「本当ですか?」


「本当です」


「怪我をしたら、すぐ言ってください」


「はい」


「隠さないでください」


「はい」


「痛いのを我慢しないでください」


「はい」


「もし怪我をしたら、私が」


「私が?」


 リリスは真剣な顔で言った。


「泣きます」


「治療じゃないんですか!?」


 思わず声が出た。


 廊下を歩いていた生徒たちがこちらを見る。


 しまった。


 朝からやってしまった。


 リリスはきょとんとしている。


「治療もします」


「先にそちらを言ってください」


「でも、たぶん泣きます」


「それは分かります」


「分かってくださるのですね」


「分かるようになってきました」


 ユリウスが横で笑いを堪えている。


 エレナ嬢も口元を押さえている。


 もうこの二人は完全に見守り側だ。


 教室で朝の確認を終えると、実技授業のため訓練場へ移動することになった。


 王立学園の訓練場は広い。


 石畳の通路を抜けた先に、開けた砂地の広場があり、その周囲には木製の柵と見学席が設けられている。


 武器庫には訓練用の木剣や槍、盾が並び、奥には魔法訓練用の的も置かれていた。


 春の風が砂を少し舞い上げる。


 生徒たちは実技用の上着に着替え、男女で分かれて整列した。


 男子は剣術と基礎体術。


 女子は護身術と基礎魔法制御。


 ただし、最初の授業なので、今日は全員が同じ訓練場内で説明を受ける。


 つまり。


 リリスから俺が見える。


 俺からもリリスが見える。


 距離はある。


 だが、視線は届く。


 嫌な予感がする。


 実技担当の教師は、筋骨隆々の男性だった。


 短く刈った黒髪に、日に焼けた肌。


 腕が太い。


 声も大きい。


「実技担当のバルド・グライスだ!! まず言っておく!! ここでは家名よりも、まず怪我をしないことを優先しろ!!」


 ものすごく分かりやすい先生だ。


 声が訓練場全体に響く。


「剣術に自信がある者も、ない者も、初回から調子に乗るな!! 相手を怪我させた時点で減点だ!! 自分が怪我をしても減点だ!!」


 リリスが遠くでぴくりと反応した。


 怪我。


 その単語に反応したらしい。


 俺はちらりと彼女を見る。


 リリスは真剣な顔でこちらを見ていた。


 いや、先生を見よう。


 俺は小さく首を横に振る。


 リリスははっとして先生の方を向いた。


 危ない。


 まだ説明中だ。


「まず男子は木剣の扱い、女子は護身の基本姿勢からだ!! ただし、男女問わず希望者は後日、剣術も魔法も追加で受けられる!! 得意分野だけでなく、最低限の自衛力を持て!!」


 説明が終わり、男子は木剣を受け取った。


 俺も木剣を手にする。


 重さを確認する。


 家で使っているものより少し軽い。


 学園用だからだろう。


 ユリウスが隣で木剣を軽く振った。


「アルフレッド、君はかなり慣れていそうだね」


「そう見えますか?」


「持ち方が自然だ」


「父上とライズに鍛えられましたから」


「なるほど」


 ユリウスも悪くない構えだった。


 嗜む程度と言っていたが、かなり基礎はできている。


 グライス先生が全体を見て回る。


「まずは素振りだ!! 肩の力を抜け!! 剣は腕だけで振るな!! 足、腰、視線!! 全部使え!!」


 素振りが始まる。


 俺はいつものように構え、木剣を振った。


 呼吸を整え、足を踏み込み、振り下ろす。


 風を切る音。


 砂を踏む音。


 身体が少しずつ温まっていく。


 久しぶりに余計なことを考えず、剣に集中できる感覚があった。


 何度か振っているうちに、周囲の生徒たちの音が少し遠くなる。


 剣の軌道。


 手の感覚。


 踏み込み。


 呼吸。


 悪くない。


「シェルザート!!」


 グライス先生の声が飛んだ。


「はい!」


「いい振りだ!! だが、少し綺麗にまとめすぎだ!! 実戦では崩れる!! 次は踏み込みを強くしろ!!」


「はい!」


 俺は踏み込みを強める。


 木剣が空を切る音が少し重くなる。


 先生が頷いた。


「よし!!」


 その瞬間、女子側から小さな声が聞こえた。


「アル……」


 声というより、息だった。


 だが俺には聞こえた。


 リリスだ。


 見るな。


 今見るな。


 素振り中だ。


 俺は前を向いたまま、次の振りに入る。


 だが、少しだけ頬が熱くなった。


 見られている。


 リリスが見ている。


 落ち着け。


 格好つけるな。


 普段通り。


 普段通りだ。


 素振りの後は、二人一組で基礎打ち込み。


 俺の相手はユリウスになった。


「よろしく、アルフレッド」


「よろしくお願いします」


「手加減してくれよ」


「そちらこそ」


 木剣を構える。


 先生の合図で、まずは決められた型通りに打ち込む。


 上段。


 受け。


 横薙ぎ。


 受け流し。


 足運び。


 ユリウスは想像以上に上手かった。


 軽やかで、無駄が少ない。


 ただ、力はそれほど強くない。


 俺は合わせながら打つ。


 何度か打ち合ううちに、周囲の生徒たちが少し見ていることに気づいた。


 俺とユリウスの動きは、他の組よりも少し速いらしい。


 グライス先生も近づいてきた。


「二人とも悪くない!! よし、少し自由に打ってみろ!! ただし力は抑えろ!!」


「はい!」


 自由打ち。


 短い模擬戦のようなものだ。


 ユリウスが笑った。


「お手柔らかに」


「こちらこそ」


 合図。


 ユリウスが先に動く。


 軽い踏み込みからの横薙ぎ。


 俺は受け、半歩下がり、返す。


 ユリウスが避ける。


 速い。


 思ったよりずっと速い。


 俺は少しだけ集中を深めた。


 木剣がぶつかる音が響く。


 何度か打ち合う。


 ユリウスは流れるように動く。


 俺は一瞬の隙を見て、足を踏み込み、木剣を彼の剣の根元に当てた。


 軽く押し込む。


 ユリウスの体勢が崩れる。


 俺は止めた。


「参った」


 ユリウスが笑う。


「強いな、アルフレッド」


「ユリウスもかなり」


「いや、最後の崩しは綺麗だった」


 周囲から小さな声が上がる。


 グライス先生が大きく頷いた。


「よし!! シェルザート、今の止めは良かった!! 相手を傷つけずに崩したな!! ローレンも動きが軽い!! 今後が楽しみだ!!」


「ありがとうございます」


 俺は息を整えながら礼をした。


 その時。


 女子側から、ぱち、と小さな音がした。


 拍手。


 リリスだった。


 すぐに我に返って手を止めている。


 だが遅い。


 何人かの女子が見ている。


 エレナ嬢が口元を押さえて笑っている。


 リリスの顔が真っ赤になった。


 俺は額に手を当てたくなった。


 可愛い。


 でも目立つ。


「リリス……」


 小声で呟くと、なぜかリリスが遠くでぴくりと反応した。


 聞こえたのか?


 いや、距離あるぞ。


 アルの声は聞こえる理論か?


 怖い。


 授業は続き、男子は交代しながら打ち込み、女子は護身術の基本姿勢を学んでいた。


 俺はリリスの様子も少し気になった。


 彼女は真面目に取り組んでいる。


 ただ、相手役のエレナ嬢が手首を掴む練習をした時、リリスは完璧に外していた。


 意外と動ける。


 さすが公爵令嬢。


 護身術はしっかり学んでいるらしい。


 だが、次に先生が「相手との距離を測れ」と言った瞬間、リリスがこちらを見た。


 違う。


 それは護身術の距離であって、アルのほどほどではない。


 俺は首を横に振った。


 リリスは少し残念そうに前を向いた。


 残念がるな。


 実技授業の後半、簡単な見学時間が設けられた。


 男女それぞれの練習を見て、互いの基礎を知るためらしい。


 男子は女子の護身術を見る。


 女子は男子の剣術を見る。


 つまり、リリスが正式に俺の剣術を見る時間である。


 嫌な予感がする。


 グライス先生が言った。


「では、最後に何組か代表で動きを見せてもらう!! シェルザート、ローレン!! 先ほどの動きをもう一度やれ!!」


「はい!」


 俺とユリウスは前に出た。


 視線が集まる。


 男子も女子も見ている。


 そしてもちろん、リリスも見ている。


 彼女は両手を胸の前で握り、真剣な顔だった。


 目が輝いている。


 応援したい。


 でも声を出すと目立つ。


 その葛藤が顔に出ている。


 分かりやすい。


 俺は木剣を構えた。


 ユリウスも構える。


 合図。


 今度は見本なので、さっきより少しゆっくり、分かりやすく動く。


 打ち込み。


 受け。


 流し。


 踏み込み。


 崩し。


 最後は俺がユリウスの剣を軽く外し、寸止めする。


 木剣が止まる。


 砂が静かに落ちる。


「そこまで!!」


 グライス先生の声。


 周囲から拍手が起こった。


 今度は全体の拍手だ。


 リリスも拍手している。


 堂々と。


 合法的に。


 いや、合法って何だ。


 でも、彼女はとても嬉しそうだった。


 その笑顔を見て、少しだけ報われた気がした。


 グライス先生が言う。


「今のように、相手を倒すだけが剣ではない!! 止める、崩す、守る!! 特に貴族として剣を学ぶ者は、力の使い方を誤るな!!」


 良い言葉だ。


 俺は先生の方を向いて頷いた。


 そして席へ戻ろうとした、その時。


 リリスが小さく一歩出た。


 え?


 授業中だぞ?


「アマリリス?」


 エレナ嬢が小声で止める。


 リリスははっとして止まった。


 踏み出した足を戻す。


 頑張った。


 でも、動いた。


 俺は少し近づいて、小声で言った。


「リリス」


「はい」


「今、来ようとしましたね」


「少しだけ」


「なぜ?」


「アルが格好よかったので」


「理由が強い」


「褒めたくなりました」


「授業後にしてください」


「はい」


「あと、今は皆が見ています」


「……はい」


 リリスは頬を赤くして頷いた。


 周囲の女子たちがくすくす笑っている。


 エレナ嬢も微笑ましそうだ。


 ユリウスは横で完全に笑っている。


「アルフレッド」


「何ですか」


「君、今の寸止めより、アマリリス様への対応の方が難しそうだね」


「間違いなく難しいです」


「だろうね」


 実技授業が終わると、俺はかなり汗をかいていた。


 木剣を戻し、手袋を外す。


 水を飲む。


 息を整える。


 リリスは女子側の練習を終え、こちらへ近づいてきた。


 歩き方が少し早い。


 でも走っていない。


 頑張っている。


「アル」


「はい」


「お疲れ様でした」


「リリスもお疲れ様でした」


「怪我はありませんか?」


「ありません」


「本当ですか?」


「本当です」


「痛いところは?」


「ありません」


「手は?」


「大丈夫です」


「見せてください」


「ここで?」


「はい」


 真剣だ。


 これは心配している。


 俺は手袋を外した手を見せた。


 少し赤くなっているが、怪我はない。


 リリスは俺の手をじっと見つめる。


「赤いです」


「木剣を握っていたので」


「痛くありませんか?」


「大丈夫です」


「本当に?」


「本当です」


 リリスはそっと手を伸ばしかけた。


 止まる。


 周囲を見る。


 偉い。


 人前だと気づいた。


「触って確認するのは、近すぎますか?」


「ここでは少し」


「では、見ます」


「はい」


 リリスは真剣に俺の手を見た。


 何を確認しているのか分からないが、とにかく真剣だった。


「怪我はないようです」


「でしょう」


「よかったです」


 ほっとしたように笑う。


 その笑顔を見て、俺も少し柔らかい気持ちになる。


「リリスの方こそ、怪我は?」


「ありません」


「本当ですか?」


「はい」


「護身術、上手でしたね」


「見てくださっていたのですか?」


「少しだけ」


 リリスの顔が一瞬で赤くなる。


「アルが、私を」


「見ていました」


「……っ」


「リリス?」


「嬉しいです」


「泣かないでください。訓練場です」


「はい。汗と涙が混ざると大変なので」


「理由」


 エレナ嬢が後ろで笑っていた。


「アマリリス様、先ほどの手首外し、とても綺麗でしたわ」


「ありがとうございます。エレナ様もお上手でした」


「でも、アルフレッド様が見ていたと知った時のお顔が、一番可愛らしかったです」


「エレナ様!」


 リリスが赤くなる。


 珍しく他の令嬢にからかわれている。


 学園に入って、リリスの世界も少しずつ広がっているのかもしれない。


 それは良いことだと思った。


 午前の授業が終わり、昼食の時間。


 今日は実技後ということもあり、食堂はいつも以上に賑わっていた。


 俺たちは昨日と同じように、ユリウス、エレナ嬢と四人で席を取った。


 リリスは席につく前に、少し考え込んでいた。


「リリス?」


「はい」


「どうしました?」


「実技後の食堂のほどほどは、通常と同じでしょうか」


「また新基準が」


「汗をかいた後ですので、近すぎると失礼かと」


「あ、それは正しい気遣いです」


「ですが、アルが怪我をしていないか確認したい気持ちもあります」


「怪我はありません」


「確認したい気持ちがあります」


「気持ちを二回言いましたね」


「大切なので」


 結局、昨日と同じ斜め前に座ることになった。


 リリスは少し安心したように頷く。


「実技後も、小皿は有効です」


「小皿から離れましょう」


 今日の昼食では、ユリウスが楽しそうに剣術の話を振ってきた。


「アルフレッド、君の剣は守りが上手いね」


「そうですか?」


「相手を傷つけずに崩す動きが自然だった」


「父上から、剣は振るうより止める方が難しいと教わりました」


「いい教えだ」


「ユリウスの動きも速かったです」


「僕は兄たちから逃げるので鍛えられた」


「逃げる?」


「上二人が武闘派でね。まともに相手をすると痛いから、避けるのだけ上手くなった」


「なるほど」


 エレナ嬢が笑う。


「ユリウス様は昔から逃げ足が速いと評判ですものね」


「エレナ、それは褒めているのかな?」


「もちろんですわ」


「怪しいな」


 リリスはその会話を聞きながら、少し楽しそうだった。


 最初はアルしか見えないような様子だったが、少しずつクラスメイトとの会話にも慣れてきている。


 ただし、俺の話題になると反応が早い。


「アルの剣は、守る剣なのですね」


「そう言えるほど立派なものでは」


「私は、素敵だと思います」


「リリス」


「相手を傷つけずに止めるのは、とてもアルらしいです」


 その言葉は、まっすぐだった。


 いつもの照れ混じりの好意とは少し違う。


 俺という人間を見てくれている言葉。


「……ありがとうございます」


「はい」


 リリスは嬉しそうに微笑んだ。


 するとユリウスが小さく言った。


「今のはいいね」


「何がですか」


「君たちは、ただ甘いだけじゃないんだなと思って」


「甘いですか?」


「甘いよ」


 エレナ嬢も頷く。


「かなり」


「……」


 俺は返答に困った。


 リリスは首を傾げる。


「甘い、ですか?」


「はい。とても可愛らしい甘さですわ」


「まあ」


 リリスは嬉しそうにした。


 否定しないんだな。


 昼休みの終わり際、事件は起きた。


 いや、事件というほどではない。


 だが俺にとっては十分事件だった。


 食堂の入口付近が少しざわついた。


 視線が集まる。


 第一王子エドワード殿下が、数人の取り巻きと共に入ってきたのだ。


 昨日廊下で見た時と同じ、整った姿。


 王族らしい気品。


 自然と人が道を開ける。


 その視線が、一瞬こちらへ向いた。


 俺。


 そしてリリス。


 リリスの表情がわずかに硬くなる。


 俺はそれに気づいた。


「リリス」


 小さく声をかける。


「はい」


「大丈夫です」


「……はい」


 リリスは深く息を吸い、公爵令嬢の顔に戻った。


 王子は特にこちらへ来ることはなかった。


 ただ、視線だけを残して、別の席へ向かった。


 それだけ。


 それだけなのに、空気が少し重くなった。


 ユリウスが声を落として言う。


「……やはり、気にしているようだね」


「でしょうね」


「王家との縁談話があったから」


「はい」


 エレナ嬢も少し心配そうにリリスを見る。


 リリスは静かに言った。


「私は、決めています」


「リリス」


「私は、アルの婚約者です」


 その声は小さいが、はっきりしていた。


 いつもの「アルは私の婚約者です」と似ている。


 だが、今回は少し違う。


 自分に言い聞かせるような響きだった。


 俺は彼女を見た。


 そして、静かに答える。


「はい。俺も、リリスの婚約者です」


 リリスの目が揺れた。


「……アル」


「だから、焦らなくて大丈夫です」


「はい」


「何かあれば、一緒に考えましょう」


「はい」


 リリスは少しだけ笑った。


 泣きそうだったが、泣かなかった。


 偉い。


 本当に。


 その日の午後は座学だった。


 王子の視線が少し気になったが、大きな問題はなく終わった。


 リリスも授業中、前を向いて頑張っていた。


 そして放課後。


 正門前で別れる時、リリスは俺を見上げた。


「アル」


「はい」


「今日は、実技でアルがとても格好よかったです」


「ありがとうございます」


「怪我をしなくて、よかったです」


「はい」


「王子殿下のことも、少し怖かったです」


「……はい」


「でも、アルが隣にいると言ってくださったので、大丈夫でした」


「俺は、ちゃんと隣にいます」


「はい」


 リリスは目を潤ませた。


 だが、笑った。


「今日は、泣きません」


「本当ですか?」


「はい。帰ってから少し泣くかもしれません」


「やっぱり」


「でも、今は笑います」


 そう言って、リリスは本当に笑った。


 柔らかく、少し強い笑顔だった。


「また明日、アル」


「はい。また明日、リリス」


 馬車に乗る前、リリスは一瞬だけ俺の手を見た。


 繋ぎたいのかもしれない。


 だが、人目が多い。


 彼女は自分で我慢した。


 俺は小さく頷く。


 よく頑張りました。


 リリスはそれを理解したように、嬉しそうに頷き返した。


 馬車が去っていく。


 俺はそれを見送った。


 今日も騒がしかった。


 剣術。


 応援。


 拍手。


 心配。


 王子の視線。


 それでも、リリスは少しずつ学園に馴染もうとしている。


 俺も、彼女の隣に立てるようになりたい。


 そう思った。


 その夜。


 屋敷に帰ると、父上が待っていた。


「実技はどうだった?」


「無事終わりました」


「リリス嬢は泣いたか?」


「泣きませんでした」


「ほう」


「拍手はしました」


「可愛いな」


「可愛いですけど、目立ちます」


「お前も慣れろ」


「簡単に言わないでください」


「王子は?」


「食堂で視線だけ」


 父上の表情が少し真面目になる。


「そうか」


「接触はありません」


「なら、まだ静観だ」


「はい」


 その夜遅く。


 予想通り、フルーラ公爵家から書状が届いた。


 差出人はガロウ公爵。


 内容はこうだった。


『娘が「アルは守る剣です」と言っている。あと、木剣に嫉妬している。説明しろ。 ガロウ』


 俺は書状を読み、しばらく沈黙した。


 木剣に嫉妬?


 なぜ?


 俺が握っていたから?


 まさか?


 父上は腹を抱えて笑った。


 リーマスは「物にも想いが宿ると言いますから」と頷いた。


 ライズは当然のように親指を立てた。


 俺は天井を見上げ、今日も心の底から叫んだ。


 公爵令嬢様!!


 応援の距離感どころか!!


 嫉妬の対象まで近すぎます!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ