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『公爵令嬢様、距離感が近すぎます! 〜伯爵子息は今日もツッコミが追いつかない〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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72/86

第72話 公爵令嬢様、前日の「また明日」だけで夜会がもう始まりそうです



 皆さん、こんにちは!!


 アルフレッド・シェルザートです。


 王城の春の親睦夜会まで、あと一日。


 明日。


 ついに、その言葉になった。


 十日後でもない。


 一週間後でもない。


 三日後でも。


 二日後でもない。


 明日。


 朝が来て。


 昼を過ごして。


 夕方になれば。


 俺たちは王城へ向かう。


 完成した礼装を着て。


 修正した靴を履いて。


 家族と馬車に乗り。


 第一控え廊下へ。


 挨拶列へ。


 王族の前へ。


 大広間へ。


 そして。


 俺は、深い青のドレスをまとったリリスと踊る。


 危ない。


 前日の冒頭から、すでに第一舞踏まで走った。


 戻る。


 今日は今日。


 まだ朝。


 シェルザート家の自室。


 寝台。


 天井。


 カーテンの隙間から入る、白い光。


 俺は横になっている。


 礼装は着ていない。


 王城にもいない。


 目の前にリリスもいない。


 落ち着け。


 深く息を吸う。


 吐く。


 明日は明日。


 今日は、前日。


 夜会の直前ではあるが。


 前日には前日の役目がある。


 完成した礼装の最終確認。


 靴の短時間試着。


 持ち物。


 明日の時間割。


 家族との連絡手順。


 学園での最後の確認。


 そして。


 友人たちと、明日を楽しみにすること。


 昨日、家族合同の最終確認を終えた。


 途中で帰ること。


 残ること。


 休むこと。


 予定を減らすこと。


 帰れる場所があるから、安心して楽しめること。


 最後にベイル先生が言った。


 夜会の目的は、失敗しないことではない。


 幸せな記憶を持ち帰ること。


 あの言葉が、まだ胸に残っている。


 幸せな記憶。


 夜会が終わった時。


 何を持って帰りたいか。


 第一舞踏を踊れたこと。


 王族へ挨拶できたこと。


 リリスの深い青のドレスを見たこと。


 友人と話したこと。


 家族が笑っていたこと。


 ガロウ公爵が札を使い切らずに済んだこと。


 最後だけは、かなり難しい。


 だが。


 全部が完璧でなくてもいい。


 一つでも。


 幸せだったと思えるものがあれば。


 それを持って帰る。


 そう考えると。


 少しだけ、胸の硬さがほどける。


 寝台から起き上がる。


 足を床へ。


 痛み。


 なし。


 夜会用靴ではない。


 普段の室内履き。


 それでも、足の状態を確認する癖がついた。


 右。


 左。


 問題なし。


 立つ。


 窓へ。


 カーテンを開く。


 空は薄い青。


 雲が少し。


 風は強くない。


 庭師が朝の庭を整えている。


 屋敷は、いつもより静かだった。


 忙しいはずなのに。


 皆が、大きな音を避けているような。


 夜会前日。


 屋敷全体が、呼吸を整えている。


 廊下へ出る。


 ライズが、すでに待っていた。


「おはようございます、若様」


「おはよう」


 ライズの腕には、細長い箱。


 濃紺の布。


 見た瞬間、胸が鳴る。


「それは」


「最終調整を終えました、若様の礼装でございます」


 来た。


 完成。


「今、見ますか?」


「はい」


 即答した。


 自室へ戻る。


 ライズが箱を机へ置く。


 留め具を外す。


 蓋が上がる。


 濃紺。


 深い夜のような色。


 黒ではない。


 青。


 光の角度で、少しだけ明るく見える。


 胸元には、細い青の刺繍。


 指一本分下げた位置。


 戻る合図。


 遠くから見れば、装飾の一部。


 知っている者には、意味がある。


 銀の留め具。


 襟元。


 袖。


 全体は控えめ。


 だが、きちんと夜会用。


 俺のための礼装。


 完成している。


「……綺麗だ」


 思わず言った。


「若様がご着用されるものでございます」


「分かっている」


「ご自身へ綺麗と」


「礼装が」


「承知しております」


 ライズの口元が、ほんの少しだけ上がっている気がする。


「着ますか?」


「短時間だけ」


「はい」


 寝間着から着替える。


 シャツ。


 礼装。


 袖を通す。


 肩。


 背。


 胸。


 昨日までの仮縫いと違う。


 布が、体へ収まる。


 苦しくない。


 緩すぎない。


 腕を上げる。


 下ろす。


 礼。


 歩く。


 問題なし。


 鏡の前。


 そこにいるのは。


 いつもの制服姿の俺ではない。


 濃紺の礼装。


 銀。


 青。


 髪も整えていない。


 靴も普段のもの。


 それでも。


 夜会へ行く人間に見える。


 俺が。


 本当に。


「若様」


 ライズが静かに呼ぶ。


「何だ」


「今、何をお考えで?」


「似合っているか」


「はい」


「伯爵子息らしく見えるか」


「はい」


「リリスの隣へ立っても」


 言葉が止まる。


 まただ。


 家格。


 釣り合い。


 第三者の言葉を、中心へ置かない。


 でも、自分の中にある不安は、簡単には消えない。


「若様」


「はい」


「礼装は、家格を変えるものではございません」


「はい」


「また、礼装が若様を婚約者にするわけでもございません」


「はい」


「それでも」


 ライズは鏡の中の俺を見る。


「明日の若様は、十分にアマリリス様の隣へ立たれる方に見えます」


 胸が熱くなる。


「十分?」


「完璧と申し上げますと、若様が疑われますので」


「はい」


「十分に」


「受け取る」


「よろしいかと」


 ライズが襟元を整える。


 胸元の青。


 俺は指先で触れない。


 見るだけ。


「戻る合図」


「はい」


「明日、本当に使うだろうか」


「必要な場合は」


「使わずに終わるかも」


「それもよろしいかと」


「使わなかったら、準備が無駄?」


「いいえ」


 即答。


「合図があると知っていることが、支えになります」


「はい」


「避難経路と同じでございます」


「帰る道」


「はい」


「使わなくても、ある」


「左様でございます」


 俺は鏡を見る。


 礼装。


 青。


 明日。


 胸が鳴る。


 怖い。


 でも。


「楽しみだ」


 声に出た。


「記録いたします」


「何を」


「若様、前日朝、完成礼装確認時に楽しみ発言」


「書かなくていい」


「重要事項でございます」


「はい」


 ライズが礼装を脱がせ、丁寧に箱へ戻す。


「本番まで、こちらは保管いたします」


「はい」


「本日の試着は終了」


「もう?」


「肩、袖、胸元、礼、歩行に問題なし」


「もう一度くらい」


「増やしません」


「はい」


 練習を増やしすぎない。


 前日。


 父上と母上も言うだろう。


 食堂へ。


 父上は、明日の王城までの移動予定を見ていた。


 母上は、俺の予備品一覧。


 机の上には。


 小さな青い香り袋。


 リリスのものとは別。


「おはようございます」


「おはよう、アル」


「おはよう」


 席へ。


 スープ。


 パン。


 卵。


 いつもの朝食。


「礼装を見たのね」


 母上が聞く。


「はい」


「どう?」


「問題ありません」


「感想は?」


「……似合っていると思います」


 言った。


 自分で。


 母上が微笑む。


「よろしい」


 父上も頷く。


「自分で言えたな」


「はい」


「リリス嬢の隣へ?」


 一拍。


「立てると思います」


「よし」


 否定しない。


 まだ不安はある。


 でも。


 立てる。


 言葉にする。


 母上が香り袋を差し出す。


「これは?」


「リリス様と同じ青い薔薇の香り」


「俺にも?」


「あなたも緊張するでしょう?」


「はい」


「同じ香りを持つ必要はないと思ったけれど」


「はい」


「フルーラ家から、二つ届いたの」


「リリスと同じ?」


「香りは同じ。袋の色は違うわ」


 俺のものは濃紺。


 細い銀糸。


 リリスは、おそらく深い青。


「婚約者用?」


「いえ」


「では?」


「ガロウ公爵が二人分作らせたそうよ」


「公爵が」


「『リリスが落ち着く香りなら、アルフレッド殿も落ち着くかもしれない』と」


 ガロウ公爵。


 少し意外。


 娘だけではなく。


 俺にも。


「受け取ります」


「ええ」


 香り袋を鼻へ近づける。


 青い薔薇。


 強すぎない。


 温室を思い出す。


 リリス。


 初めてではない。


 何度も見た場所。


 青い花。


 泣き声。


 近すぎる距離。


 ツッコミ。


 家族。


 笑い。


 今まで。


 香り一つで、全部が来そうになる。


 止める。


 一香りは一香り。


「アル」


 母上が呼ぶ。


「はい」


「前日だからといって、全部を思い出さない」


「はい」


「振り返りは、夜会後でもできる」


「はい」


 未来だけではなく。


 過去へも走りすぎない。


 今日は今日。


 朝食。


 母上が一覧を出す。


「明日の予定を、一度だけ確認します」


「はい」


「起床」


「七時」


「朝食」


「七時半」


「昼食」


「十二時」


「休息」


「十三時から十四時」


「入浴と身支度開始」


「十四時半」


「軽食」


「十六時」


「礼装」


「十六時半」


「出発」


「十七時十五分」


「王城到着予定」


「十七時四十五分」


「第一控え廊下」


「十八時十五分」


「よろしい」


 予定。


 何度も確認した。


 今日が最後。


「今日、もう確認しますか?」


 母上が聞く。


「いいえ」


「夜も?」


「一度だけ」


「それならよいわ」


 父上が言う。


「時間を追いすぎるな」


「はい」


「明日は、時計を見る役がいる」


「ライズ」


「はい」


「お前は?」


「必要な時だけ確認」


「よし」


 母上が次。


「持ち物」


「ハンカチ」


「何枚?」


 ライズが答える。


「本日の分は三十七枚。明日は――」


「待ってください」


 俺が止める。


「明日の枚数は、今聞く必要がありますか?」


 食堂が少し静かになる。


 ライズが俺を見る。


 母上。


 父上。


 俺も。


 聞きたい。


 怖い。


 何枚。


 過去最大だろう。


 でも。


 枚数を聞けば。


 泣く未来を数える。


「明日、必要な数があるなら」


 俺は言う。


「ライズに任せます」


 ライズが一拍。


「承知いたしました」


「教えないでください」


「はい」


「本番後に」


「記録として」


「はい」


 父上が笑った。


「進歩だな」


「枚数を考えても、夜会は変わらないので」


「その通りだ」


 母上も微笑む。


「ハンカチの準備は、ライズの役目」


「はい」


「あなたの役目は?」


「必要な時に渡す」


「よろしい」


 全部を知る必要はない。


 ライズに任せる。


 それも信頼。


 朝食後。


 夜会用靴。


 十五分だけ。


 今日は前日なので短く。


 履く。


 立つ。


 廊下一往復。


 階段五段。


 礼。


 足。


 痛みなし。


 違和感なし。


 終わり。


「もう脱ぎます」


 自分から言った。


 母上が頷く。


「よろしい」


 物足りない。


 でも終える。


 学園へ向かう馬車。


 今日は、窓の外をよく見た。


 昨日まで。


 明日の想定ばかり。


 今日は。


 前日の町。


 パン屋。


 荷車。


 道を掃く人。


 子ども。


 市場へ向かう馬車。


 王城の夜会へ行かない人たち。


 明日も、いつもの日を過ごす人。


 その中で。


 俺たちだけが、少し特別な夜へ行く。


 でも、世界全部が夜会ではない。


 失敗しても。


 終わっても。


 朝は来る。


 町は動く。


 屋敷へ帰る。


 そのことが。


 少し安心する。


 正門前。


 リリスは、いつもの場所にいた。


 制服。


 普段のブルーローズ。


 明日つけるものではない。


 明日の本番用は、もう完成しているはず。


 リリスが俺を見つける。


 笑う。


 今日の笑顔は。


 不安より。


 楽しみが少し大きい。


 昨日の書状通り。


 歩く。


 一歩。


 二歩。


 三歩。


 俺も。


「ご機嫌よう、リリス」


「ご機嫌よう、アル」


「足の状態を聞いても?」


「はい」


「痛みは?」


「ありません」


「違和感は?」


「ありません」


「修正靴は?」


「十五分。廊下一往復。階段五段。問題ありませんでした」


「同じです」


「もう脱ぎましたか?」


「はい」


「私も」


「増やしませんでした」


「はい」


 目が潤む。


 でも、泣かない。


 呼吸。


「アル」


「はい」


「礼装を見ましたか?」


「はい」


「どうでした?」


「似合っていると思います」


 リリスの目が大きくなる。


「アルが、ご自分で?」


「はい」


「本当に?」


「はい」


「強いです」


「事実です」


「まだ見ていません」


「鏡で」


「はい」


 涙が一粒。


「明日、見てもよいですか?」


「はい」


「ちゃんと?」


「はい」


「最初に?」


「家族が先です」


 リリスが止まる。


 少し。


 でも俺は続ける。


「王城で会った時、リリスにも」


「はい」


「見てほしいです」


 涙が増える。


「受け取ります」


「リリスは?」


「はい?」


「ドレスと髪飾り」


 リリスの頬が赤くなる。


「見ました」


「どうでした?」


「……私に、似合っていると思います」


 言えた。


 今度は俺の胸。


 自分で。


 リリスが。


 深い青。


「よかったです」


「まだ見ていません」


「でも、リリスがそう思えたことが」


「はい」


「よかったです」


 涙が一気に落ちる。


「アル」


「はい」


「私、自分で似合うと言えました」


「はい」


「以前なら」


「はい」


「皆さまに決めていただいたものだから、と」


「はい」


「自分では分からないと」


「はい」


「でも」


「はい」


「鏡を見て」


 リリスの声が震える。


「私が選んだ青い薔薇があって」


「はい」


「お母様と選んだドレスがあって」


「はい」


「アルの礼装と並ぶ色を考えて」


「はい」


「私に似合うと思えました」


「はい」


「とても、嬉しかったです」


 完全に泣いた。


 俺はハンカチ。


 ミラも。


 朝の正門。


 でも、今日は周囲の視線が温かい。


 何人かの生徒が、話を聞いていたらしい。


「よかったですね」


 後ろから声。


 クラリス嬢。


 ニール。


 少し遅れて、ユリウスとエレナ嬢。


「おはようございます」


「ご機嫌よう」


「ご機嫌よう」


 クラリス嬢がリリスへ微笑む。


「明日、楽しみですね」


「はい」


 リリスが、泣きながら答える。


「楽しみです」


 言えた。


 皆の前で。


 エレナ嬢の目が少し潤む。


「よいお顔ですわ」


「ありがとうございます」


「褒められた後も?」


 ユリウスが言う。


 リリスが一拍。


「登校します」


 皆が笑う。


 明るい。


 前日。


 でも、重くない。


 ユリウスが俺を見る。


「礼装、似合った?」


「はい」


「自分で言うんだ」


「今日は言います」


「成長したね」


「ありがとうございます」


「褒められた後も?」


「登校します」


 また笑い。


 校門を通る。


 今日は。


 自然と全員が並ぶ。


 俺。


 リリス。


 ユリウス。


 エレナ嬢。


 ニール。


 クラリス嬢。


 歩く速度。


 誰も急がない。


 明日は、一緒の列ではないかもしれない。


 でも今日は。


 学園への道。


「クラリス様」


 リリスが呼ぶ。


「はい」


「明日は」


「はい」


「夜会へ行く時間、何をされていますか?」


「家族と夕食です」


「昨日も聞きました」


「はい」


「でも、もう一度聞きたくて」


「構いません」


「何を召し上がりますか?」


「母が、少し特別な料理にすると」


「特別?」


「皆さまの夜会のお祝いに」


 リリスの目が潤む。


「私たちの?」


「はい。直接は行けませんが」


「はい」


「同じ夜に、少しだけお祝いを」


 リリスが立ち止まりそうになる。


 だが歩く。


「クラリス様」


「はい」


「ありがとうございます」


「夜会後、お話を聞かせてください」


「全部」


「はい」


「失敗も?」


「特に」


「特に?」


「完璧な話より、皆さまらしい話が聞きたいです」


 クラリス嬢の言葉。


 皆、少し静かになる。


 完璧な話。


 成功。


 王族。


 舞踏。


 でも。


 足を踏んだ。


 泣いた。


 札を使った。


 食べるのを忘れた。


 それも。


 皆らしい。


「分かりました」


 リリスが答える。


「全部、持って帰ります」


「はい」


 宝物。


 幸せな記憶。


 失敗も含めて。


 教室へ入る。


 今日は、普段の配置。


 机。


 椅子。


 黒板。


 大礼堂でも。


 模擬王城でもない。


 いつもの教室。


 それだけで、少し安心する。


 壁際には。


 明日の最終資料。


 一枚だけ。


『本日は増やさない』


 ベイル先生の字。


 教室のあちこちで、生徒たちが笑う。


「先生、先に書いてる」


「質問禁止かな」


「確認は一度?」


「たぶん」


 ベイル先生が入る。


 全員が席へ。


 礼。


 先生は黒板を見る。


「読めますね」


「はい」


「本日は、新しいことを増やしません」


 教室全体が。


 少しだけ、ほっと息を吐く。


「夜会前日」


「はい」


「これまでの確認を、一度だけ」


「はい」


「できなかった点を、今日一日で直そうとしない」


「はい」


「新しい練習を始めない」


「はい」


「夜会後に学べることは、夜会後へ」


「はい」


 完璧に仕上げようとしない。


 もう、ここまで。


 今の自分たちで行く。


「最初に」


 先生は黒板へ三つ書く。


『体調』


『楽しみ』


『助けを求める相手』


「一人ずつ、答えてください」


 前から。


 ユリウス。


「体調、問題なし」


「楽しみは?」


「王城の炭酸水」


 教室が笑う。


「ほかに」


「エレナと、最初の挨拶列を無事に抜けること」


 エレナ嬢の表情が少し柔らかくなる。


「助けを求める相手は?」


「家族、教師、エレナ」


「よろしい」


 エレナ嬢。


「体調、問題ありません」


「楽しみは?」


「友人の皆さまの礼装と、王城の庭園」


「助けを求める相手は?」


「家族、先生、ユリウス様」


 ユリウスが少し驚く。


「僕?」


「必要なら」


「受け取る」


 教室に小さな笑い。


 ニール。


「体調、問題ありません」


「楽しみは?」


 長く考える。


「姉と、同じ夜会へ行くことです」


 姉の目が潤む。


 今日は家族はいない。


 でも、教室に温かい空気。


「助けを求める相手は?」


「姉。先生。シェルザート君たち」


 俺たち。


「分かりました」


 リリスが答える。


「評価では?」


 ニールが笑う。


「受け取りました」


 クラリス嬢。


「私は夜会へは行きません」


「はい」


「体調、問題ありません」


「楽しみは?」


「皆さまが帰ってきて、話を聞かせてくださることです」


 教室の空気が。


 さらに柔らかくなる。


「助けを求める相手は?」


「家族と、友人です」


「よろしい」


 俺の番。


 立つ。


「体調、問題ありません」


「楽しみは?」


 一拍。


 言える。


「アマリリス様との第一舞踏です」


 教室がざわつく。


 温かい。


 笑い。


 拍手。


 リリスの目が一気に潤む。


 俺も顔が熱い。


 先生は待つ。


 拍手が落ち着く。


「ほかに?」


「家族や友人と、同じ場を過ごすことです」


「助けを求める相手は?」


「父上、母上、ライズ、先生、王城係」


 一拍。


「そして、アマリリス様です」


 また拍手。


 リリスが完全に泣く。


「アマリリスさん」


 先生が呼ぶ。


「はい」


「まだ、あなたの番です」


「はい」


 立つ。


 涙を拭く。


 背筋。


「体調、問題ありません」


「楽しみは?」


 リリスが俺を見る。


 視線。


 教室。


 皆。


「アルフレッド様との第一舞踏です」


 今度は俺。


 胸が強く鳴る。


 教室の拍手。


 ユリウスが指笛をしようとし。


 エレナ嬢に見られて止める。


「ほかに?」


「深い青のドレスを着ること」


「はい」


「自分で選んだブルーローズを、皆さまに見ていただくこと」


「はい」


「家族と王城へ向かうこと」


「はい」


「友人の皆さまと、同じ夜を過ごすこと」


「はい」


「そして」


 一拍。


「幸せな記憶を、持ち帰ることです」


 教室が静かになる。


 拍手は、すぐ起きなかった。


 言葉が。


 皆の中へ入る。


 やがて。


 一人。


 二人。


 拍手。


 広がる。


 大きく。


 リリスの涙が落ちる。


 先生が頷く。


「助けを求める相手は?」


「父。母。兄。ミラ。先生。王城係」


 そして。


「アルフレッド様です」


 俺の胸。


 熱い。


 拍手。


 今日は、よく拍手が起こる。


 祝福。


 前日。


 皆が。


 互いを送り出そうとしている。


「よろしい」


 先生が言う。


「本日の主要確認は、以上です」


 教室が驚く。


「もう?」


 ユリウス。


「増やしません」


「はい」


「残りは?」


「明日の王城案内図を一度確認」


「はい」


「持ち物は家族と」


「はい」


「学校では」


 先生は一拍。


「夜会前日の友人として、過ごしてください」


 友人として。


 練習相手ではなく。


 参加者でもなく。


 ただ。


 学園の友人。


 授業は通常。


 算術。


 歴史。


 魔法理論。


 いつもの内容。


 だが。


 皆、少しだけ落ち着かない。


 ページをめくる音。


 窓の外。


 教師の声。


 明日。


 頭へ来る。


 でも。


 問題を解く。


 答える。


 今日の授業。


 休み時間。


 教室の後ろへ、皆が集まる。


 特別な準備はない。


 机を寄せる。


 椅子。


 小さな輪。


 クラリス嬢が、布袋を持っていた。


「皆さまへ」


「何ですか?」


 リリスが聞く。


「小さなお守りです」


 中から。


 細い糸で作られた輪。


 一人ずつ。


 色が違う。


 俺は濃紺。


 リリスは青。


 ユリウスは銀。


 エレナ嬢は藤。


 ニールは茶。


「手作り?」


 ユリウスが聞く。


「はい」


「いつ?」


「少しずつ」


「夜会へ行かないクラリス様が?」


 ニール。


「はい」


「私も、何か一緒に持っていたくて」


 リリスの目から涙。


「クラリス様」


「手首ではなく、鞄へつけてください」


「はい」


「礼装には合いませんので」


「はい」


「控え鞄へ」


「はい」


「王城で見えなくても」


「はい」


「持っていてくだされば」


 リリスが立ち上がりかける。


 抱きしめそう。


 止まる。


 一拍。


「クラリス様」


「はい」


「近づいてもよいですか?」


 聞いた。


 クラリス嬢が少し驚く。


 そして。


「はい」


 リリスが。


 一歩。


 半歩。


 クラリス嬢の前へ。


 手を取る。


 抱きしめない。


 両手。


「ありがとうございます」


「はい」


 クラリス嬢の目も潤む。


「夜会後」


「はい」


「全部、お話しします」


「楽しみにしています」


 皆も輪を受け取る。


 俺は、濃紺の糸。


 細い。


 派手ではない。


 でも、温かい。


「ありがとうございます」


「はい」


「持ち帰ります」


「はい」


 ライズが控え鞄へつける位置を確認する。


「紛失防止を施します」


「そこまで?」


「大切な品でございますので」


 ニールの姉からは。


 小さな焼き菓子。


 昼休みに皆で食べる。


「緊張で食べられなくなる前に」


 ニールが言う。


「姉が」


「ありがたいです」


 エレナ嬢は。


 小さな紙。


 一人ずつ。


 書かれているのは。


『困った時は、一度呼吸』


『褒められた後も夜会は続く』


『水』


『食べる』


『帰れる』


 それぞれ違う。


 俺の紙。


『相手の言葉を待つ』


 刺さる。


 必要。


 リリスの紙。


『嬉しい時は、嬉しいと言ってよい』


 リリスが読んだ瞬間。


 泣く。


「エレナ様」


「はい」


「明日」


「はい」


「嬉しいと、何度言ってもよいですか?」


「会話を止めない範囲で」


 皆が笑う。


 ユリウスは。


「僕からはこれ」


 小さな鈴。


 全員、止まる。


「夜会に鈴?」


「持っていかないでください」


「何のため?」


「今日だけ」


「はい?」


「明日の前に、緊張が強くなったら鳴らす」


 ユリウスが一度。


 ちりん。


 小さな音。


 教室。


 皆が見る。


「鳴ったら、全員一回だけ笑う」


「なぜ?」


「前日だから」


「意味が分かりません」


「アルフレッド、笑って」


「……」


 でも。


 ユリウスの顔。


 皆。


 少し笑う。


 リリスも。


 エレナ嬢も。


 ニール。


 クラリス嬢。


 俺も。


「ほら」


「はい」


「緊張が少し減った」


「軽いですが」


「軽さにも役目がある」


 以前、エレナ嬢が言った。


 ユリウスの軽さ。


 一部。


 場を和らげる。


「受け取ります」


 俺が言う。


 ユリウスが少しだけ、照れた顔。


「どういたしまして」


 俺たちからも。


 何か。


 特別な品はない。


 でも。


 俺は皆を見る。


「明日」


「はい」


「困ったら、互いに助けてください」


「もちろん」


「でも」


「はい」


「助けるためだけではなく」


 一拍。


「一緒に楽しんでください」


 ユリウスが笑う。


「それが一番」


 エレナ嬢も。


「はい」


 ニール。


「頑張ります」


「頑張りすぎない」


 クラリス嬢が言う。


 皆が笑う。


 昼休み。


 食堂。


 いつもの席。


 今日は。


 夜会参加者たちの話題で、食堂全体が賑やか。


「ドレス何色?」


「礼装見た?」


「明日何時出発?」


「眠れるかな」


「第一舞踏、誰と?」


「家族と」


「靴大丈夫?」


 群衆の反応。


 前日の浮つき。


 参加しない者も。


「見に行けないけど、話聞かせて」


「王城の菓子ってどんなの?」


「王族に会ったら?」


 質問。


 期待。


 明るい。


 リリスは、多くの者に声をかけられる。


「アマリリス様、深い青のドレスだそうですね」


「はい」


「楽しみですわ」


「ありがとうございます」


 目が潤む。


 一拍。


「自分でも似合うと思えました」


 周囲が。


 一瞬静かになる。


 そして。


「まあ」


「素敵です」


「拝見できる方が羨ましい」


「本当に」


 温かな声。


 リリスの涙が落ちる。


「ありがとうございます」


「明日は?」


「夜会は続きます」


 自分から。


 皆が笑う。


 俺にも。


「シェルザート様、礼装は濃紺ですか?」


「はい」


「青の刺繍が?」


「胸元に」


「お二人で色を?」


「はい」


「お似合いでしょうね」


 胸が熱い。


 一拍。


「ありがとうございます」


「褒められた後も?」


 誰かが言う。


 食堂に笑い。


 もう、皆が知っている。


「昼食は続きます」


 俺も言う。


 食べる。


 スープ。


 パン。


 肉。


 明日。


 緊張で食べられなくなるかもしれない。


 だから今日。


 普通に食べる。


「アル」


 リリスが聞く。


「はい」


「食べられていますか?」


「はい。スープ、パン、肉」


「分かりました」


「リリスは?」


「スープ、パン、野菜。最後に菓子を」


「分かりました」


 評価しない。


 でも。


 明日も、同じ会話をする。


 約束。


 食堂を出る前。


 クラリス嬢が俺たちを見る。


「明日の今頃」


「はい」


「皆さまは、身支度前ですね」


「はい」


 明日の昼。


 まだ。


 夜会前。


「私は、家で皆さまのことを考えています」


 リリスの目が潤む。


「私も」


「はい?」


「明日、王城で食べる時」


「はい」


「クラリス様も夕食を召し上がっていると思います」


「はい」


「違う場所でも」


「はい」


「同じ夜です」


「そうですね」


 クラリス嬢の笑顔。


「楽しんできてください」


「はい」


 リリスが答える。


「楽しんできます」


 午後。


 魔法基礎。


 教師は。


 今日は何も用意していなかった。


 机。


 椅子。


「本日は、魔力を使いません」


 教室が驚く。


「前日です」


「はい」


「温存」


「はい」


「体と同じく、魔力も休める」


「はい」


「確認するだけ」


 一人ずつ。


 魔力の流れ。


 痛み。


 乱れ。


 問題なし。


 俺。


 問題なし。


 リリス。


 深い青。


 少し揺れる。


「緊張ですね」


「はい」


「抑え込まない」


「はい」


「少し揺れたまま」


「はい」


「明日、完璧に止める必要はありません」


「はい」


「感情がある」


「はい」


「だから魔力も動く」


「はい」


「暴走しなければよい」


「はい」


 リリスの深い青が。


 揺れながら。


 消えない。


「よろしい」


 教師が言う。


「明日は、魔力を見せる夜ではありません」


「はい」


「ですが、あなた方の中に魔力はある」


「はい」


「必要な時に支える」


「はい」


「使わなくてもよい」


 戻る合図。


 退席。


 香り袋。


 全部同じ。


 ある。


 使わなくても。


 支え。


 放課後。


 いつもの場所。


 レオナルド先輩。


 今日は。


 椅子も。


 札も。


 水筒もない。


 ただ立っている。


「お兄様」


「リリス」


「今日は、何も持っていませんね」


「前日だからな」


「お父様は?」


「屋敷で、札を減らしている」


「減らせていますか?」


「四十枚から三十二枚」


「まだ多いです」


「母上は二十枚まで減らす予定だ」


「頑張ってください」


 足の確認。


「痛みは?」


「ありません」


「靴は?」


「十五分。廊下一往復。階段五段。問題なし」


「よい」


 俺も。


「同じく問題なし」


「よい」


 それだけ。


 レオナルド先輩は。


 俺たちを見る。


 長い沈黙。


 夕方の光。


 校舎。


 生徒たちの帰る声。


「明日だな」


「はい」


 リリスが答える。


「怖いか」


「はい」


「楽しみか」


「はい」


「どちらが大きい」


 リリスは少し考える。


「今は」


「はい」


「楽しみが、半歩だけ大きいです」


 レオナルド先輩の表情が。


 柔らかくなる。


「よい」


 俺へ。


「君は」


「同じです」


「半歩か」


「はい」


「なら、それで行け」


「はい」


 レオナルド先輩は、リリスへ。


「ドレス」


「はい」


「似合っていた」


 リリスの目が一気に潤む。


「お兄様」


「昨日見た」


「はい」


「青い薔薇も」


「はい」


「大きすぎない」


「ありがとうございます」


「銀も」


「はい」


「減らして正解だった」


「アルのお好みと、私の好みです」


「分かっている」


 少し不満。


 でも。


「よく選んだ」


 リリスの涙が落ちる。


「ありがとうございます」


 俺へ。


「礼装は?」


「今朝見ました」


「似合っていたか」


「はい」


「リリスの隣へ立てるか」


 一拍。


「はい」


 レオナルド先輩が頷く。


「ならよい」


 短い。


 でも。


 認められた。


「アルフレッド」


「はい」


「明日」


「はい」


「妹を、守れとは言わない」


 意外。


 俺は顔を上げる。


「はい」


「共にいろ」


「……はい」


「必要な時は支えろ」


「はい」


「だが、妹にも支えさせろ」


「はい」


「二人で楽しめ」


 胸が熱くなる。


「ありがとうございます」


「褒められた後も?」


 レオナルド先輩が言った。


 俺たちが驚く。


「お兄様が」


「学んだ」


 リリスが泣きながら笑う。


「明日は続きます」


「はい」


 レオナルド先輩の目元も。


 ほんの少し。


 何かある。


 でも、言わない。


「父上から伝言だ」


「何ですか?」


 リリスが聞く。


「『明日の朝、ドレス姿を見る前に泣かないよう努力する』」


「無理だと思います」


「私もそう思う」


「他には?」


「『王城で娘を見ても、抱き上げない』」


「当然です」


「『第一舞踏中に助けへ入らない』」


「絶対です!!」


 俺の声。


 レオナルド先輩が頷く。


「母上の札にある」


「よかったです」


「最後」


「はい」


「『幸せそうなら、それでよい』」


 リリスが静かになる。


 涙が。


 ゆっくり落ちる。


「お父様が?」


「ああ」


「それだけ?」


「父上には重い言葉だ」


「はい」


「帰ったら」


「はい」


「私も伝えます」


「何を」


「幸せです、と」


 レオナルド先輩の表情が柔らかくなる。


「明日、言え」


「はい」


 正門。


 夕方。


 夜会まで。


 あと一日。


 俺たちが学園で会う、前日の最後。


 馬車。


 家族。


 いつもの場所。


 でも。


 明日は、制服ではない。


 王城。


 礼装。


 深い青。


 俺とリリスは、木の下へ。


 家族の視界内。


 少しだけ。


 二人。


「アル」


「はい」


「今日の宝物名は」


「はい」


「明日を、怖いだけではなく楽しみにできた日の宝物です」


「良い名前です」


「あと」


「はい」


「自分のドレスが、自分に似合うと言えた日の宝物です」


「はい」


「アルの礼装も」


「はい」


「きっと似合います」


「まだ見ていません」


「でも、アルが似合うと言えたので」


「はい」


「私も信じます」


 胸が熱い。


「明日」


 リリスが言う。


「はい」


「王城で会った時」


「はい」


「最初に、何と言いますか?」


 以前も。


 第一控え廊下で。


 何を言うか。


 その時に。


「明日の俺が」


「はい」


「明日のリリスを見て」


「はい」


「その時に言います」


 リリスが微笑む。


「取っておきます」


「はい」


「私も」


「はい」


「その時のアルを見て」


「はい」


「その時に言います」


「はい」


 短い沈黙。


 風。


 葉。


 夕方。


 いつもの正門。


「アル」


「はい」


「明日まで」


「はい」


「長いです」


「一日です」


「はい」


「でも」


「はい」


「今日の夜があります」


「はい」


「朝があります」


「はい」


「昼があります」


「はい」


「身支度があります」


「はい」


「それから」


「王城です」


 リリスの目が潤む。


「一つずつ」


「はい」


「明日まで、一気に行きません」


「はい」


「今は?」


「帰ります」


「はい」


「家族と」


「はい」


「夕食を食べて」


「はい」


「眠ります」


「はい」


「アルも?」


「はい」


「予定表を十回見ませんか?」


「一回だけ」


「私も」


「公爵の札を全部読みませんか?」


「お母様に任せます」


「はい」


「また明日」


 言葉。


 いつもと同じ。


 でも。


 今日は。


 明日が特別。


「また明日、アル」


「また明日、リリス」


 リリスが馬車へ。


 振り返る。


 今日は。


 一度。


 頷く。


 俺も。


 馬車へ乗る。


 ガロウ公爵。


 セレスティア夫人。


 レオナルド先輩。


 家族。


 出発。


 遠ざかる。


 俺は。


 見えなくなるまで。


 見送る。


 でも。


 待ちすぎない。


 俺の馬車へ。


 父上。


 母上。


 ライズ。


「帰りましょう」


 母上。


「はい」


 屋敷へ。


 夕食。


 今日は、胃へ優しい料理。


 量は普段通り。


 食べる。


 話す。


 でも。


 夜会の確認は、一度だけ。


「明日の起床」


「七時」


「出発」


「十七時十五分」


「問題なし」


 終了。


 父上が言う。


「他に、言いたいことは?」


 俺は少し考える。


「明日」


「はい」


「二人とも」


 父上と母上を見る。


「一緒に、楽しんでください」


 母上の目が潤む。


 父上も。


「もちろん」


 母上が答える。


「アルも」


「はい」


「リリス様だけではなく」


「はい」


「父上や母上とも、話してください」


「はい」


「友人とも」


「はい」


「自分の夜会を過ごす」


「はい」


 父上が言う。


「明日、お前を見ている」


「はい」


「だが、見続けない」


「はい」


「父上も、友人と話す」


「はい」


「母上と踊る」


 俺が驚く。


「踊るんですか?」


「一曲くらい」


 母上が笑う。


「久しぶりね」


「そうだな」


 父上と母上。


 夜会。


 二人も。


 楽しむ。


 俺だけではない。


 リリスだけでも。


 子どもの夜会を見守る家族だけではない。


 皆の夜。


「見たいです」


「お前は自分の相手を見ろ」


「はい」


 笑う。


 食後。


 自室。


 ライズが持ち物を確認。


 俺は見ない。


 任せる。


「必要なものは?」


「揃っております」


「忘れ物は?」


「ございません」


「ハンカチは?」


「十分に」


「枚数は?」


「お聞きにならないお約束でございます」


「はい」


 香り袋。


 クラリス嬢の濃紺の糸輪。


 控え鞄。


 すべて。


 明日。


「ライズ」


「はい」


「明日」


「はい」


「俺が緊張しすぎたら」


「はい」


「止めてくれ」


「承知いたしました」


「先回りしすぎたら」


「止めます」


「食べていなかったら」


「一度確認いたします」


「帰りたい時、言えなかったら」


「若様へ、理由を尋ねます」


「はい」


「でも」


「はい」


「楽しんでいたら」


 ライズが一拍。


「邪魔をいたしません」


「頼む」


「若様」


「何だ」


「私も、明日の夜会を楽しみにしております」


 意外。


 ライズが。


「記録が?」


「それもございます」


「はい」


「ですが」


 ライズは静かに。


「若様が、ご自身を下げることなく、アマリリス様の隣へ立たれる姿を拝見することを」


 胸が熱い。


「楽しみにしております」


「受け取る」


「はい」


 その夜。


 フルーラ家から。


 いつもの三通。


 前日の書状。


 一通目。


『明日だ。リリスのドレスを見た。似合っていた。泣いた。青い薔薇も見た。泣いた。明日は泣かないよう努力する。セレスティアに「努力の目標を下げる」「泣いても立つ」「第一舞踏へ入らない」「幸せそうなら、それでよい」の札を出された。最後の札は自分で書いた。リリスが幸せそうなら、それでよい。明日は父も楽しむ。たぶん。札は二十四枚まで減った。 ガロウ』


 二通目。


『前日だ。新しいことを増やすな。靴も礼装も問題なし。今夜は寝ろ。明日、リリスを守れとは言わない。共にいろ。妹にも君を支えさせろ。第一舞踏で足を踏んでも、世界は終わらない。ただし父上が入ろうとしたら止める。私も楽しむ。 レオナルド』


 三通目。


『アルフレッド様。いよいよ明日ですね。リリスは完成したドレスを身につけ、鏡の前で「私に似合っていると思います」と自分の言葉で申しました。その姿を見て、ここまでの日々が報われたように感じております。けれど、明日は報いるための試験ではありません。どうか、楽しんでくださいませ。上手に踊れたことだけでなく、笑ったこと、少し間違えたこと、皆で同じ夜を過ごしたことを持ち帰ってください。夫の札は二十四枚まで減りました。これ以上は難しいようです。前日は継続より休息が大切です。 セレスティア』


 俺は。


 三通を読む。


『私に似合っていると思います』


 もう一度。


 胸へ。


 リリス。


 明日。


 深い青。


 自分で選んだ一輪。


 俺は。


 手紙を机へ置く。


 予定表は。


 一度だけ。


 見た。


 もう見ない。


 寝台へ。


 灯りを落とす。


 でも。


 眠れるか。


 天井。


 暗い。


 明日。


 胸が鳴る。


 第一舞踏。


 王城。


 リリス。


 止める。


 呼吸。


 香り袋。


 青い薔薇。


 一香り。


 今日。


 寝台。


 夜。


 眠る。


 それでも。


 目を閉じる前。


 俺は小さく言った。


「楽しみだ」


 誰もいない。


 いや。


 ライズは隣室にいる。


 聞こえたかもしれない。


 記録されるかもしれない。


 でも。


 いい。


 楽しみ。


 怖い。


 不安。


 全部。


 明日の俺へ渡す。


 今夜の俺は。


 眠る。


 その前に。


 今日も。


 心の底から叫ぶ。


 声には出さない。


 家族を起こすから。


 だが。


 心の中で。


 はっきりと。


 公爵令嬢様!!


 明日、あなたの深い青のドレスを見るのを、心から楽しみにしています!!


 完璧に踊れなくても、少しくらい泣いても、俺たちらしい幸せな夜を持ち帰りましょう!!


 あと、お父様は札を二十四枚まで減らしたことを、大きな成果のように報告しないでください!!


 多いです!!


 ものすごく多いです!!


 でも。


 明日。


 その札を使い切るくらい。


 皆でたくさん笑えたら。


 それも、きっと。


 幸せな記憶になる。

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